Tripping Out ネタ まとめ
ベースラインが印象的なCurtis Mayfieldの名曲Tripping Outネタを時系列で一覧表にまとめてみました。
一覧表内のリンクは列ごとに以下のルールで貼っています。
アーティスト名 | 曲名 | 年 | 備考 |
---|---|---|---|
Real Thing | Rainin' Through My Sunshine | 1978 | 『Step Into Our World』収録。 |
山下達郎 | Paper Doll | 1978 | 『GO AHEAD!』収録。 |
Curtis Mayfield | Tripping out | 1980 | 『Something to Believe in』(1980年)収録。 |
山下達郎 | 甘く危険な香り | 1982 | TBS系ドラマ『あまく危険な香り』主題歌。 |
ORIGINAL LOVE | 接吻 -kiss- | 1993 | 日本テレビ系ドラマ『大人のキス』主題歌。 |
小沢健二 | 天使たちのシーン | 1993 | 『犬は吠えるがキャラバンは進む』収録。 |
Cornelius | Bad moon rising | 1994 | 『THE FIRST QUESTION AWARD』収録。 |
KDD | Big Bang KDD | 1996 | 『Opte Pour Le K』収録。 |
Camp Lo | Black Nostaljack | 1997 | 『Uptown Saturday Night』収録。 |
Paris Match | Silent Night | 2002 | 『song for you』収録。 |
Toshi | Breaking Through | 2004 | 『Time to Share』収録。 |
DJ Deckstream | Tripping Out | 2009 | 『Music Castle』収録。 |
The Others & Distinction | Disko | 2010 | 『Disko / Under Score』収録。 |
Andrei | Tripping Out | 2012 | 『Legendary Edits』 収録。 |
Sticks and Moon | Trip | 2012 | 『Stick Bukowski EP』収録。 |
Rhye | Last Dance | 2013 | 『Woman』収録。 |
Bleu Toucan | Ananas | 2014 | Salade de Fruits』収録。 |
Ken Ring | E De Sant Ken? | 2014 | 『Det Började För Längesen』収録。 |
KS French | Trippin Dub | 2014 | Edits EP V4』収録。 |
KANDYTOWN | THE YESTERDAY Ep.2 | 2015 | |
Deelicious | Tripping out (Original Mix) | 2015 | |
KEN KEN & URBAN VOLCANO SOUNDS | そして、カーティスは途方に暮れる | 2016 | |
CRU | Fetiche | 2017 | 『Tens Mesmo De Querer』収録。 |
リンク
TRIPPING OUTトラック 小沢健二 / 天使たちのシーン 「DOGS(犬は吠えるがキャラバンは進む)」 | ザ・スーパー・ポップ宣言 - 楽天ブログ
山下達郎/甘く危険な香りがCurtis Mayfield / Tripping outを元ネタにしていない、いやむしろ逆ではないか | やっぱ音楽って・・・
註
哲学の非経済的性格について/デリダ『友愛のポリティックスⅠ』を読む
『友愛のポリティックスⅠ』は、デリダが研究ディレクターを務めたパリの社会科学高等研究院(EHESS)で1988年から1989年に行われたセミナー*1の第1回講義の講義原稿に、大幅な加筆修正を施して出版された書物である。本書の執筆が開始されたのは1994年であり、この年のデリダは、「数多くのプロジェクトを抱えて倒れそうな程に」忙殺されていた。ロンドンから帰国してすぐ、彼はマウリツィオ・フェラーリス*2に宛てた手紙の中で次のように愚痴っている。
わたしのほうは、かつてないほど忙殺されています(特にあの『友愛のポリティックス』、7月の終わりまでに書き上げると約束してしまったあの呪われた書物のせいです)。この夏、他の仕事、特に〔カプリでのセミネールに関わるテクスト〕『宗教』*3もあるなかで、どうやったらこの状況を切り抜けられるのか、分からないのです!」
さて、この「呪われた書物」は政治的なものと家族的なものの関係を主題として論じている。『政治的なものの概念』*4は伝統的に家族のモチーフ、とりわけ兄弟のモチーフと密接に結びついてきた。例えば、フランス革命のあの有名なスローガン「自由・平等・博愛=友愛=兄弟愛[flaternite]*5」はまさにそうだし、第二次世界大戦後の日本の民主化や日米同盟は言うに及ばず、民主主義が「兄弟的同盟関係」なしに規定されることは稀だった。東浩紀の最近の著作『ゲンロン0 観光客の哲学』もまた、目次を読めば明らかなように、政治哲学と「家族の哲学」の固い絆を隠そうとはしていない。
近代の政治思想は、家族から市民社会を経て国家へと至る弁証法を考案したのだが、国家へと至るいかなる弁証法も、この弁証法によって止揚されるものから決して切り離されたりはしなかった。国家的なもの≒政治的なものが、家族や市民社会から完全に切り離して考えられることはなかった。
本書においてデリダは、数ある『政治的なものの概念』の中から友愛(フィリア)という"特権的な"テーマを選択し*6、プラトン*7・アリストテレス*8からキケロ*9やアウグウスティヌス*10を経てモンテーニュ*11へと至る友愛[φιλια]に関する古典の数々を読み直した上で、それらの伝統的な言説のうちに兄弟[αδελφος]のモチーフが形を変えて「過度なくらいに規則的に」回帰して来る事に着目し、次のように問いかける。
主要な問いは、まさにこの領域における哲学的な正典のヘゲモニーに関わるものである。いかにしてその正典は頭角を現したのか。あの力はどこからその正典へとやってきたのか。いかにして正典は、女性的なるものあるいは異性愛、女性同士の友愛あるいは男女間の友愛を排除してきたのか。そこではなぜ友愛の女性的な、あるいは異性愛的な経験が本質的なものとして考慮されないのか。なぜここまでエロス〔性の衝動〕とフィリア〔友愛〕のあいだの不均質性があるのか。
と言うことで、デリダのこの試論の賭け金=争点は兄弟であり、兄弟愛、換言すれば、男性同士の友愛である。という事はつまり、ーデリダはなぜか決してそのことを表立って口にはしないのだがー暗黙理に男性同士の同性愛も一連の脱構築的分析の射程のうちに収められていることになるだろう。友愛についての正典の著者たちが決して語ろうとはしなかった兄弟愛の家族主義的で男性中心主義的で同性愛的な諸前提を、さらには本書で「親子関係の図式論」と名指されるもの、すなわち、祖先・種族=種類・性[Geshlecht]・血・生まれ・自然[φυσις]=本性[natura]の概念セットを、デリダは執拗に問い詰めていく。
なぜ友は兄弟のようであるのだろうか?生まれを同じくする分身が持つこの近接性を越えて行くような友愛を夢想してみよう。親族関係を越えて行くような友愛を。親族関係とは、もっとも自然なものでありながら同時にもっとも不自然なものである。
ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P5
デリダの考えに従えば、親族関係一般にはある種の「不自然なもの」、『ユリシーズ』でジョイスが言うような「法律上の虚構」が必ずと言っていいほど含まれている。純粋に実在的な系譜学的絆など有りはしない。それは「夢見られた条件」でしかなく、徹頭徹尾デリダが「幻想」と呼ぶものの次元に属している。家族の系譜は「つねに定立され、構築され、導出されるのだ」。本書において、父で有ることの虚構性は当然のこととして前提され疑われることは無い。
そしてそれはまた、フロイトまで含む人々がそれについて何を言ってきたにせよ、母で有ることについても真である、かつてなく真である。「誕生」のあらゆる政治、あらゆる政治的言説は、この点について、信でしかあり得ないものを濫用しているのだ、一つの信にとどまると他の人々なら言うであろうものを。政治的言説において誕生、自然あるいは国民にーさらには人間的兄弟愛の諸国民あるいは普遍的国民にさえー訴えるあらゆるもの、この家族主義のすべては、この「虚構」を再自然化することにある。
ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P154
兄弟もまた虚構の再自然化の例外ではない。
ーでも、兄弟とは何だろう、どう思う?
ーうん、兄弟とは何だろう?人は兄弟に生まれつくのだろうか?
ー親愛なる友よ、そいつは馬鹿げた問いじゃないか、そうに決まってるさ。
ーそうかな。自然のなかで兄弟に出会った事があるかい?自然のなかで、いわゆる動物の誕生の際に?兄弟性には法と名前が、象徴が、言語が、契りが、誓約が、言語的なもの、家族的なもの、そして民族的なものが必要だ。
(中略)親愛なる友よ、兄弟とは常に盟友である兄弟、義兄弟=法律上の兄弟[blother in low]、養子縁組による兄弟[foster brother]だとは思わないか?
ーそれに姉妹は?彼女も同じ事例に収まるのだろうか?兄弟性の一事例なのだろうか?ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P232
ありとあらゆる兄弟関係は「法律上の虚構」を含み込み、デリダによれば、自然ナ兄弟など存在しない。誰かと兄弟≒友で有るためには、何よりもまず「法」や「契り」や「誓約」が必要であるとデリダは言う。まるで「法」や「言語」の外では兄弟や姉妹を想像し得ないかのように。
だが、それにしても、デリダが通りすがりに指摘する「誓約による兄弟」とは具体的にどう言うものなのだろうか?「誓い合った兄弟」、Schwurwbruderchaft[兄弟になるという誓約]とは一体何なのか?それはおそらくこのエントリーの冒頭で引用した本書の「主要な問い」に関わるものであり、都市国家[πολις]の誕生=起源に関わるものでもあるのだが、この問題のアウトラインを明瞭に理解するためには、本書を超えて社会学の知見が必要にして不可欠となるだろう。少なくとも系譜学的かつ家族中心主義的な兄弟愛の図式の脱構築的分析においてデリダが生涯手放すことのなかったエミール・バンヴェミニストの『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集』*12と同程度には。
ここで家共同体[Hausgemeinschaft]についてのマックス・ウェーバーの不可欠な示唆を参照しておこう。以下に見られる標識は、これから先に必要とされる諸々の作業の巨大さと錯綜の合図である。兄弟のモチーフを分析する上で「法」と「名」と「象徴」と「言語」だけで事足りると考える哲学者の軽率さと傲慢さに、慎重さと謙虚さとを対置するには差し当たりこれらの標識だけで十分だろう。
このエントリーは、いまだ極めて不明瞭な諸領域における予備的と言えるか言えないか程度の一歩をあえて踏み出そうとするものに過ぎない。デリダにとって「忌々しき」存在であるウェーバー*13の諸論考をデリダの意に反して全文引用し、この上なく貴重な知に属するものを綿密に捉え返し、『友愛のポリティックス』の記述と突き合わせなくてはならない。
以下ではただそこから、このエントリーの趣旨の一貫性にとって、とりわけ兄弟の都市社会学的意味論に関わるものにとって、内容の面からも方法論的規則の面からも最も重要になるであろうものだけを取り上げる。まず第一に問題となるのは、一言で言えば、共同体[gemeinschaft]としての家族に不可欠な構成要素としての経済的なものである。
永続的な性的共同関係(ゲマインシャフト)によって支えられている、父・母・子供の間の関係は、われわれにとって、とくに「始源的なもの」のようにみえる。性的共同体と少なくとも概念的には区別しうる「家計」の共同性、つまり経済的な扶養共同体[Versorgungemeinschaft]という概念を別個に立てた場合、後に残された、夫と妻との純性的関係、および父と子供の生理的にのみ基礎づけられた関係が、ともかくも持続するかどうかはきわめて動揺的で疑わしい。なぜなら、父子関係は、父と母との間に安定した扶養共同体を欠くのなら、存在しないのが普通であり、またたとえ存在したところで、常に大きな影響力を持つとは限らないからである。性的交渉という地平に立脚した共同体関係のうちで「始源的」なものと言えば、母と子供の関係のみである。母と子供の関係は一つの扶養共同体であるから、子供が自力で十分な食糧探しをなしうるまで存続するのが自然の理に叶っている。
すぐその次にあるのが、兄弟姉妹の間の養育共同体[Aufzuchtsgemeinschaft]である。ミルク仲間[ομογαλακτες]というのは、最も親しい親戚に対する特別な名称である。ここでも決定的なのは、共通の母胎という自然に属する事実ではなく、むしろ経済的な扶養の共同性なのである。特殊な社会形象としての「家族」の生成を問題にするや否や、あらゆる種類の共同体関係は、たしかに、性的および生理的な関係と交錯する。歴史的にきわめて多義的な概念は、個々のケースにおけるその意味が明晰化されてはじめて有用なものとなる。このことについてはのちに述べよう。
ーマックス・ウェーバー『経済と社会』第2部第3章第1節(『世界の名著61ウェーバー』P554〜555)
純粋に性的な関係のみに支えられた父・母・子供のフロイト的三角関係を「始源的なもの」とみなすことへの懐疑という点でウェーバーはデリダと同じ前提を共有しているようにみえる。だが、ウェーバーはデリダが単にほのめかすだけで兄弟を巡る一連の脱構築的分析の中で表立っては顧みようとはしなかったもの、すなわち経済的なものについて率直に語っている*14。より正確に言えば「政治的なものの敵」としての経済的なものについて語っている。
兄弟は同じ母胎から生まれる限りで自分たちを兄弟と名指すのではない。兄弟で有ることにとって共通の母胎という「自然に属する事実」は「決定的」な要因ではない。むしろ、「社会」に属する事柄、換言すれば、同じミルクで育った仲間であることが兄弟で有ることを基礎付ける。要するに、「家計[οικος]の共同性」や「経済的な扶養の共同性」が兄弟で有ること、さらには共同体としての家族関係一般を基礎付けるのである。
誰かと誰かが兄弟で有るためには、「法と名前が、象徴が、言語が、契りが、誓約が」あるだけではまだ十分ではない。友愛(フィリア)をめぐる哲学的言説の脱構築的分析においては、おそらく家計=炉[οικος]のテーマ系の導入が、経済的なものの導入が「決定的」な役割を果たすことになるはずである。
フィリアの意味論的焦点に炉があるとすれば、そしてフィリアがオイケイオテースなくしては成り立たないとすれば、あまりこじつけめくことなくこう言うことができるだろう。本書を方向づける問いとは〔…〕炉=家なき友愛の問い、オイケイオテース*15なきフィリアの問いだと言うことになろう*16〔…〕非エコノミー的な友愛、それは可能だろうか?それ以外の友愛があり得るだろうか?それ以外の友愛があるべきだろうか?。
ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P241
以上である。『友愛のポリティックスⅠ』が241頁もの紙幅を割いてようやく辿り着いた場所を、『経済と社会』はわずか2頁であっさりと後にする。241頁を超えてなお「呼びかけ」のままに留まろうとする際限の無い哲学的分析をわずか2頁にまで節約=縮減する「社会学的分析」のこの経済性、哲学者の饒舌と社会学者の寡黙さのこの興味深い対比は多分に「概念」の経済(=節約)的性格に関わっている。
そして同時にまた、この対比は、「概念」でも語でもない差延[differance]の時間かせぎ的性格にも関わっている。デリダの本を読むといつも不満に思うのだが、何よりもまず第一の不満は、脱構築には時間=金がかかることである*17。『友愛のポリティックス』*18は、『世界の名著61ウェーバー』*19に比べて1頁当たりのコスパが悪いのだ。脱構築的分析のこの非経済的性格、浪費ぐせ、高コスト体質は、おそらくまだ誰にも真っ正面から問いに付されたことはない。生産性の向上を常に追い求める上司が遅々として仕事の進まない出来の悪い部下を叱りつけるように、なぜ哲学的分析は社会学的分析に比べてこうも時間がかかるのですか?とこの本の著者を問い詰めることもできるだろう。
最後に、パリの或る「呪われた組織」に必死に自分を売り込んで研究員として就職したばかりの哲学者による*20、社会学的分析についての今となっては希少=高価な証言を引いてとりあえずの終わりとする。
デリダ 社会学的分析に用いられる概念が、マルクス派、ウェーバー派、その他いかなる理論に基づくものであれ、それらは概念である限りにおいて〈脱構築〉の対象にならざるを得ず、またアカデミックな制度に組み込まれている限りにおいて、やはり〈脱構築〉の対象にならざるを得ない。この点で私は社会学的分析の限界を指摘しておきたいのです。
浅田彰 なるほど。
ー座談会 ジャック・デリダ×柄谷行人×浅田彰『超消費社会と知識人の役割』*21
参考
- 作者: ジャックデリダ,鵜飼哲,大西雅一郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2003/02/21
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- 作者: 尾高邦雄,ウェーバー,梶山力,大塚久雄,富永健一,厚東洋輔,倉沢進
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1979/08
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- 作者: ジャン・リュックナンシー,エチエンヌバリバール,ミケルボルグ・ジャコブセン,アランバディウ,モーリスブランショ,ジャン・フランソワクルティーヌ,Jean‐Luc Nancy,Jean‐Fran〓@7AB7@cois Courtine,Etienne Balibar,Mikkel Borch‐Jacobsen,Alain Badiou,Maurice Blanchot,港道隆,大西雅一郎,安川慶治,広瀬浩司,鵜飼哲,松葉祥一,加国尚志
- 出版社/メーカー: 現代企画室
- 発売日: 1996/04/01
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デリダ『「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算ージャン=リュック・ナンシーとの対話』収録。
注
*1:デリダのセミナーは彼が社会科学高等研究院の教授に就職した1984年から2003年までの19年間セミナーを開講された。
「哲学の国籍=国民性と哲学のナショナリズム」
1.国民、国民性=国籍、国民主義(1984-1985)
2.ノモス、ロゴス、トポス(1985-1986)
3.神学-政治的なもの(1986-1987)
4.カント、ユダヤ人、ドイツ人(1987-1988)
「友愛の政治」
5.友愛の政治(1988-1989)
6.他者を好んで食べる(カニバリズムの修辞学)(1989-1990)
7.他者を食べる(1990-1991)
「責任=応答可能性の問題」
8.秘密に責任を持つ(1991-1992)
9.証言(1992-1993)
10.証言(1993-1994)
11.証言(1994-1995)
12.敵対/歓待(1995-1996)
13.敵対/歓待(1996-1997)
14.偽証と赦し(1997-1998)
15.偽証と赦し(1998-1999)
16.死刑(1999-2000)
17.死刑(2000-2001)
18.獣と主権者(2001-2002)
19.獣と主権者(2002-2003)
*3:『宗教』とは、「単なる理性の限界内における宗教の二源泉」というサブタイトルを持つ宗教論『信と知』のことである。1994年2月末、「最も明白でありかつ最も曖昧な、宗教」をテーマについて意見交換をするために、デリダ、ガダマー、ヴァッティモ、フェラーリスなど数名の哲学者がイタリア南部のカプリ島のホテルに集まった際の講演原稿に加筆修正を加えて出版された。
*4:カール・シュミットの著作『政治的なものの概念』を参照。
*6:デリダにとって友愛[φιλια]は、哲学[φιλοσοφια]の根本構造を規定する要素として特権的な意味を持つ。その部分を読んでみよう。
われわれは、ここで、われわれが特権化する観点から見て、もっとも重要なもの、すなわち哲学の問いに限定しよう。哲学としての友愛、友愛としての哲学、哲学的-友愛、友愛的-哲学、友愛-哲学は、〈西洋〉において、つねに切り離しえない概念だった。何らかのフィロソフィアなくして友愛はない、フィリア〔友愛〕なくして哲学〔フィロソフィ〕はない。友愛-哲学。最初から、われわれは、政治的なものを、この連結符の傍らで検討している。
友愛と哲学の結び付きは、フィロ(友愛)とソフィア(知恵)の二つの語から成る哲学[philosophia]の語源からして明らかであり、フィロソフィアのフィロ(友愛)をどのように解釈するかという問題は、いつの時代も哲学者たちの「傍ら」にあり、謎に満ちたこの問いかけは彼らの内なる問いであり続けてきた。この点について、デリダと同時代人のジル・ドゥルーズは次のように語っている。
哲学という語に含まれた「友愛」にどのような意味を持たせるべきなのか。プラトンでも、ブランショの『友愛』という本でも、友愛との関係で思考の問題を取り上げていることに変わりはないが、果たして「友愛」の意味は同じなのだろうか。
友愛をめぐる問いにはまだ答えがありません。哲学者は賢人ではなく、友人である、だから友愛も、当然ながら哲学の内なる問いだということになるわけですが、では、誰の友人であり、何の友なのか。コジェーブやブランショやマスコロは、友人をめぐる問いをとらえ直し、思考そのものの核心にこれを位置づけています。謎に満ちたこの問いを全身で受け止めるのでなければ、そして困難は承知の上でこの問いに答えるのでなければ、哲学の何たるかはわかりようがないのです。
ードゥルーズ『記号と事件』収録「哲学について」
もし仮に、哲学者が賢人[σοφος]ではなく友人であるならば、哲学者は一体誰の友人であり、哲学は何の友なのか。ドゥルーズはこの問いに答えて、哲学者が友として接する相手として音楽を挙げている。
いずれにせよ、哲学の本質には友愛が帰属し、友愛のうちには常にすでに哲学が有る。哲学と友愛ー相互に帰属し合う両者の関係に 固有な点をあえて『形而上学』的に表現するならば、ακολούθησις[互いに随伴すること]として、さらにまた、αντιστρεφειν[互いに向きあうこと]として把握することができるだろう。哲学[φιλοσοφια]と友愛[φιλια]は、どちらも他方の後を追いかけ、一方の有るところには他方もまたすでに姿を現しており、両者は互いに随伴し合う相互帰属関係にある。これはつまり、哲学と友愛は、互いに相手から目を離すことは決してないということである。
*8:アリストテレス『エウデモス倫理学』7巻、『二コマコス倫理学』8・9巻
*12:バンヴェニストの『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集』への言及は、1991年以降、年を追うごとに目に見えて頻繁になり、以後最後のセミナーまで途切れることはなかった。
*13:「しかし、将来いかにして、どの媒体〔メディア〕、来るべき解釈学が迎えるどんなシュライエルマハー[Schleiermacher]に差し向けられた、どのヴェールを、織物、fichu WWWeb[忌々しきWWWeb]を相手に、この機織り術の職人(『ポリティコス』のプラトンならばヒュパンテースと呼ぶでしょう)が格闘することになるのか、私たちは知りません。来るべきヴェーバー[Weber]が、その上に署名し、そこで私たちの歴史へ署名を書き込み、この歴史を教えようとするであろう fichu Web[Webという fichu]が何か、私たちには決して知ることはできないのです。」
ーデリダ『異邦人の言語』
*14:“社会空間”を性的なもの/非性的なもので直和分割する際に、法と言語を無前提に等閑視して、経済的なものを排除するような学説は社会学の内部にも存在する。例えば宮台真司の『彷徨える河』論を参照。
*15:オイケイオテースはたいていconvenance[適合、ぴったりしていること]と翻訳される。親しいもの(オイケイオス)。
*16:哲学の主導的問いが存在の問いだとすれば、デリダの問いは、家なき存在の問いと言うことにもなるだろう。
*17:友人と友愛を育むのに時間がかかること、友愛と時間の関係については『友愛のポリティックスⅠ』P33-37を参照。
*18:4200円。298頁。
*19:1800円。720頁。
*20:デリダが「呪われた組織」ENS(高等師範学校)を退職してもう一つの「呪われた組織」EHESS(社会科学高等研究院)に就職したのは、1983年12月末から1984年初頭にかけてのことである。この時期のデリダのアカデミックな研究機関への就職活動の詳細についてはブノワペータース『デリダ伝』P477〜480を参照。
*21:『朝日ジャーナル』1984年5月25日収録。「現代思想がTシャツになる」と聞いて無邪気に喜ぶデリダが垣間見れる貴重な記事である。
読書法について
読書の秋ということで今さらながら自分の読書法を見直してみた。
現在ぼくは以下の手順で本を読んでいる。
- 本を購入する
- 購入した本を裁断機で裁断する
- 裁断した本をスキャナで読み取りPDF化する
- スキャンミスがないかどうかをチェックする
- 作成したPDFファイルをPC内の所定のフォルダに格納してファイル名をつける
- 格納したPDFファイルをiPadに同期し、GoodReaderで閲覧する
ipad同期後は次の三つのルールに従って読書メモを取る。
- ルール1 読書メモは原則としてFasteverで取りEvernoteに保存する。
- ルール2 しおりはGoodreaderのブックマーク機能を利用する。
- ルール3 五色のラインマーカーを用いて色分けする。
黄緑 重要箇所
ビリジアン 著者の目的や意図
水色 問い、疑問文
黄色 理解できない箇所
薄ピンク 固有名詞、専門用語
技術的な問題を抱えているのはルール3のブックマークの部分である。
Goodreader内でブックマークをつけても、本を読了してipadからPCにPDFファイルを戻そうとすると、どういう訳かせっかくつけたブックマークが消去されてしまうのである。
ラインマーカーやメモは消えないのに、なぜブックマークだけが消えるのか。
原因は不明だが、これ以上この問題を放置しておくことはできない。
そこでブックマークデータをEvernoteでバックアップするという次善の策を思い付いた。
差し当たり次の手順でブックマークのバックアップを行うことにする。
7.Goodreaderで作成したブックマークデータをEmailでEvernoteに送信する
8.作成したブックマークデータをEvernoteで編集する
従来の1~6の工程に加えて、今回新たに7及び8の事務作業が発生することになり、読書の作業感が半端ない。
しかしながら、Evernoteにバックアップすれば本から得た二次データをEvernote内で一元管理することができるようになるし、作成したブックマークデータをそのまま術語集として転用したり、注釈をつけて読書ノートにすることもできる。
例えばついさっき読了したジャック・デリダの『友愛のポリティックスⅠ』からは↓のようなブックマークデータを作成することができる。要するにブックマークデータの編集・加工を通じて読書体験のさらなる質的向上に役立てようというわけだ。
Page 6 目次
Page 19 政治的なもの、家族・兄弟愛主義的、男性中心主義的
Page 20 親子関係の図式論と政治的なもの
Page 36 アリストテレス 友愛についての問い
Page 37 †愛(エロス)と友愛(フィリア)、『愛するということ』、『バートルビー』
Page 39 政治:できるだけ多くの友愛を作り出すこと
Page 39 能動と受動、愛することと愛されること
Page 41 †《人は愛していると知らずに愛することはできない》、悪
Page 42 神(=第一動者)における愛のアポリア
Page 44 ナルシズムと愛されることの結びつき
Page 46 愛することと生者・息吹/死者・生気の無いもの
Page 47 生き残ること、喪
Page 48 友愛と時間
Page 49 確実性(べバイオス)と信頼、時間
Page 50 決断
Page 51 友愛の構造、計算できるもの(確実性・信頼)/計算できないもの(決断)
Page 54 事後性、出来事
Page 56 共に生きること、時間がかかること、有限性
Page 57 元からの友とこれから友になるかもしれない人
Page 58 (現実性によって)限定された多数性
Page 59 民主制の還元不可能な二つの法則
Page 63 注 差延、慈愛、中動態
Page 70 おそらく、将来・出来事/過去・哀悼
Page 71 不安定なもの
Page 75 テレイオポイエーシス的なもの、メシア的構造
Page 79 ニーチェ 孤独な独りぼっちの友たち、SNS、隠遁的共同体
Page 82 将来の哲学者/形而上学者
Page 84 おそらく→根源的同意→問い
Page 86 平準化する者たち、アメリカの自由主義者たち
Page 87 苦悩の廃棄、憐れみ
Page 89 ★新しい哲学者たち
Page 94 万人の真理、繊細さ
Page 96 注 哲学者たちによる「おそらく」への侮蔑
Page 97 注 バタイユ・ブランショ・ナンシーの共同体論
Page 98 注 兄弟愛なき共同体
Page 107 沈黙
Page 116 沈黙、慎み深さ
Page 116 不気味なもの、見知らぬもの
Page 122 兄弟=同胞、徳
Page 128 所有及び近接性への批判
Page 132 決断主義のアポリア
Page 133 !決断の図式は主体を前提としている、受動的な決断
Page 135 !決断の他律的・無意識的性格
Page 145 冷戦終結後の世界、敵の喪失
Page 146 シュミット 敵の喪失
Page 155 シュミット
Page 164 例
Page 169 兄弟化、家族主義
Page 170 優性学、土着性
Page 173 バンヴェニスト、兄弟
Page 179 民主主義と土着性、選良、優性、外国人嫌悪
Page 181 民主制と貴族制、数の問題
Page 184 追悼・哀悼的言説、遺言の言説と友愛
Page 186 シュミットへの二つの反論
Page 187 !系譜学的図式の脱構築、家族
Page 190 注 見張り
Page 191 注 スタシス、三位一体
Page 195 フロイト 死の欲動
Page 196 性悪説/性善説
Page 197 友と敵の差異
Page 200 政治的概念の抗争的性格
Page 210 両価性、フロイト『戦争と死に関する時評』
Page 211 ?
Page 212 死に向かう存在、死に至る欲動
Page 216 中性、政治的なもの
Page 219 例外状態、決断状況
Page 220 可能性と現実性の同一視、実在的可能性
Page 221 脱政治化と政治化、『負量の概念』
Page 221 !敵(友)は少なければ少ないほど多い
Page 222 脱政治化とグローバル化
Page 222 現象学、形相的還元
Page 223 友/敵の区別の現実性の問い、ハイデガー
Page 224 亡霊=戻ってくるもの、追い返す=抑圧する
Page 226 脱政治化=超政治化
Page 228 注 フロイトの悲観主義、性悪説
Page 229 両価性の法則
Page 229 注 フロイト『集団心理学と自我の分析』
Page 233 対立(対立的否定性)
Page 236 『パルチザンの理論』、ゲリラ、テロ、毛沢東の戦争論
Page 237 パルチザンの土着的性格
Page 243 哲学と闘争
Page 244 後進国ドイツにおけるパルチザンの誕生
Page 245 パルチザンの系譜、ヘーゲル→マルクス→レーニン→毛沢東
Page 246 絶対的敵対、兄弟殺しの戦争
Page 247 自然ナ兄弟
Page 248 兄弟誓約
Page 249 問いと闘争、戦略、ハイデガーの存在の問い、『精神について』
Page 250 ポストモダン
Page 252 なぜ友ではなく敵なのか。
Page 254 善=悪を治療する薬(パルマコン)
Page 255 オイケイオテース(親しいもの)、友愛と炉(オイコス)
Page 256 炉=家なき友愛の問い、オイケイオテースなきフィリアの問い、エコノミーなき友愛の問い
Page 276 注 オケイオテース(適合)
Page 287 狂気とデカルトのコギト、敵の喪失→理性の喪失、理性と反感
Page 288 ギリシャ的兄弟愛/キリスト教的兄弟愛、遺言
Page 290 不気味なもの、居場所のない、アリストテレスによる友の定義
Page 291 モンテーニュ『エセー』による友愛の定義
Page 295 完全な友愛の分割不可能性
Page 296 自然な兄弟関係/誓約による兄弟関係
Page 309 注 結婚
Page 311 注 キケロ『ラエリウス、友愛について』
読書をする上でまず第一に大切なことは「資料を完全に制御しうる状態にすること」であり、この点については5年越しの蔵書の電子化とそれに付随する事務処理により一応の解決をみた。
だが、その一方で、一連の電子化の反作用により、白川静が↓のインタビューで推奨しているような「手で覚え、肉体化され」ることで得られる「未分の全体」を含んだ読書体験からはますます遠ざかりつつあるのが問題だ。
おそらく、次の課題は以上の読書の作業工程の中に“手仕事”の要素をいかに取り込むかであり、この課題を早急に解決して有意義な読書生活を送りたいと思っている。
白川 (略)方法は、資料に対するものであって、方法があって資料があるのではなく、資料のなかから方法は導かれるべきものです。私は数万片の甲骨資料をすべて写し、あるいは抄写を試みました。
呉 一点一点トレーシングペーパーに写すのですか。
白川 そうです。一片ずつトレースしておくと主題による分類がいくらでも可能で、事項別に分類することができ、字形の系統化などもできます。まず資料を完全に制御しうる状態にすること、それが第一の基礎的な手続きです。手で写すことは、コンピューターに打ち込むよりも、はるかに有効です。コンピューターは特定項によって作動しますが、手で覚え、肉体化されたものは、いわば未分の全体を含むのです。手で写して新しく得た資料はすでにある資料と感じあい、重畳し、互いに意味づけをしてゆく。
(中略)
白川 ものに部分というものはない。部分は、全体に対して、全体の中においてある。部分が明らかになるときは、同時にその全体が理解されるときです。(略)
-白川静『回思九十年』
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参考文献
- 作者: 白川静
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- 作者: ジャックデリダ,鵜飼哲,大西雅一郎
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注
フジロックフェスティバル2017
Date | Stage | Artist |
---|---|---|
2017.07.27 Fri(前夜祭) | Red Marquee | Doctor Prats |
2017.07.27 Fri(前夜祭) | Red Marquee | T字路's |
2017.07.28 Sat | Green Stage | Train |
2017.07.28 Sat | Green Stage | ROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRA |
2017.07.28 Sat | Field of Heaven | サニーデイサービス |
2017.07.28 Sat | Cafe' de Paris | ヒカシュー |
2017.07.28 Sat | Field of Heaven | Ryhe |
2017.07.28 Sat | Green Stage | Gorillaz |
2017.07.29 Sun | Green Stage | The Avalanches |
2017.07.29 Sun | Green Stage | Cornelius |
2017.07.29 Sun | White Stage | 小沢健二(@ White Stage) |
2017.07.29 Sun | Green Stage | Aphex Twin |
2017.07.29 Sun | White Stage | 小沢健二(@Pyramid Garden) |
2017.07.30 Mon | Green Stage | Lukas Graham |
2017.07.30 Mon | Cafe' de Paris | 戸川純 Wiht Vampillia |
2017.07.30 Mon | White Stage | BONOBO(Live) |
2017.07.30 Mon | White Stage | ASGEIR |
2017.07.30 Mon | White Stage | MAJORLAZER |
2017.07.30 Mon | Green Stage | Bjork |
2017.07.30 Mon | Red Marquee | 水曜日のカンパネラ |
以上の順で観た。
山形酒祭り2017雑感
日本酒の聖地
つまみを一品注文し、一杯飲んだら長居せず、すぐに別の店に移動してまた一杯飲む。それを二・三軒繰り返した後、最後は麺類か深夜までやってる近所の喫茶店でお茶飲んで〆。ハシゴ酒が好きで、好きが高じて新宿界隈のハシゴ酒イベントに参加するようになってしまった。
最近ハマっているのが日本酒で、一年ほど前に新橋駅前ビルの立ち呑み日本酒バー『庫裏』で軽く一杯ひっかけていた時にたまたま横で飲んでいた早大生*1から聞きかじった話だが、四谷荒木町は日本酒の三大聖地の一つらしい。『与太呂』、『宵の間』、『弥七』に『タキギヤ』、『うのすけ』や『離れ のんき』も日本酒の飲み比べができる店だし、端から端まで歩いても五分とかからない狭い凹地であるにもかかわらず、舟町・荒木町界隈で日本酒にこだわってる店を数え上げたらキリがない。荒木町が"日本酒の聖地"と言う噂は本当なのかもしれない。
山形酒祭り2017
5月14日に「山形酒祭り2017」に参加した。山形県内の15の酒造が新宿〜四谷荒木町の飲食店8店舗とコラボするハシゴ酒イベントで、チケット代6000円で日本酒が飲み放題、おつまみも食べ放題だった。イベント開始後2時間程でいい感じに出来あがってしまったせいか、中盤からの記憶が曖昧で、何の銘柄を飲んだかさえ早くも忘れつつある。完全に記憶が飛んでしまう前に、まだかろうじて残っている記憶を頼りにイベントの雑感を書き残して置こうと思う。
前売りチケットを購入した『四谷舟町砂場』を13時に訪れてリストバンドと地図を入手。普段は静かな店内もこの日は満席で立ち呑み状態。ハムを肴に駆けつけ三杯飲んでから、以下の順番で店を回った。
1.四谷舟町砂場(荒木町)
【参加酒造】出羽桜、大山
2.和てじまぅる 酒菜 角萬(新大久保)
【参加酒造】米鶴、栄光富士
店の奥の方でブースを出していた米鶴の夏酒(蛍ラベル)が美味しかった。いい雰囲気の店だったので後日また飲みに行こうと思う。
3.Plat(新宿)
【参加酒造】清泉川、奥州自慢
この中では銀の蔵が美味しかった。チーズは全種類食べ切ったが、手前のキムチがトッピングされてるのが一番酒がよく進んだ。
4.濁酒本舗Tejimaul(新宿)
澤正宗は右の純米吟醸と中央の美酒美酒を、六歌仙は中央の山法師を、どぶろくはピンクと黒の銘柄をそれぞれ飲んだ。特にピンクのどぶろく*2は、甘さと酸っぱさの釣り合いが取れていてグイグイいけた。是非また飲んでみたい。2の和てじまぅる(新大久保)と同系列の店で、この店では山形ラーメンを食べることができた。
5.ラボ・ガレージ(新宿)
【参加酒造】楯野川、東光
東光の吟醸梅酒がサッパリしていてうまかった。女性の常連さんが多い印象の店。
6.すし処 志げる(荒木町)
【参加酒造】秀鳳
品切れのため秀鳳BEACH SIDEが飲めなかったのが悔やまれる。早めの時間帯に行った人はいくら丼を食べることができたらしい。
7.オール・ザット・ジャズ(荒木町)
【参加酒造】鯉川、加茂川、羽陽一献
前から行ってみたかった店でようやく行くことができた。確か伍連舎と13を飲んだとような気がするが、どんな味だったか覚えてない。
8.Talkin'Loud(荒木町)
【参加酒造】千代寿、白露垂珠
アシッドジャズがかかる日本酒バー。肴は卵の黄身のいしる漬けだった。何を飲んだか思い出せない。
宴の後
8軒目の『トーキンラウド』にたどり着いた時には既に時刻はもう16時。この辺りの時間帯になると、当初はバラバラに行動していたイベントの参加者同士にも奇妙な連帯感が生まれていて、終盤の店内はもはや完全に宴会状態になっていた。最後はスタート地点の『砂場』に千鳥足で舞い戻ってみんなで乾杯し、山形酒祭り自体は17時きっかりで終了。『砂場』を追い出された後は二次会、三次会と飲み屋をハシゴして解散した。家路に着いたのは確か21時頃だった思う。
次は50蔵27店舗が出店する大長野酒祭り(7/16)に参加する。山形酒祭りのように全蔵制覇することはまず不可能なので死なない程度に程ほどに楽しみたい。
註
プロティノスについて
プロティノス*1とその学派について書かれた以下のテクストを流し読みした。
- ベルクソン『ベルクソン講義録Ⅲ』Ⅳ 霊魂論講義 第3講 「プロティノスにおける霊魂論」
- ベルクソン『ベルクソン講義録 Ⅳ』Ⅰ 「プロティノス講義」
- 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第二巻 神秘哲学』第2部第4章 「プロティノスの神秘哲学」
- ヘーゲル『ヘーゲル哲学史 中巻』第三篇 「新プラトン派」
- ピーター・ブラウン『古代末期の世界 -ローマ帝国はなぜキリスト教化したのか?-』第2章 「ローマ帝国と宗教」
- 水地宗明・山口義久・堀江智編『新プラトン主義を学ぶ人のために』
以下では、プロティノスの生涯およびその思想の歴史的な位置づけ、並びに彼が実質上の創始者となったアレクサンドリア学派(新プラトン主義)の後世への影響について忘れないうちに簡単にまとめておく。
プロティノスの生涯
西暦205年にエジプトの地方都市リュコで生まれたプロティノスが「哲学への愛に燃え立った」のは28歳の時で、彼は当時の大きな学問的運動の中心地であったアレクサンドリアに遊学し、アンモニオス・サッカス*2に師事して11年間に渡り哲学を研究した。三世紀中葉のアレクサンドリアでは文献考証的な学問が育成されていた。ピュタゴラスやプラトンやアリストテレスに関する数多くの注解がそこで生まれ、そうした文献考証的なアレクサンドリアの風土は古典古代のさまざまな哲学書を註釈するプロティノスの講義のスタイルを決定づけることになった。アレクサンドリアから戻ると彼はローマに定住した。40歳の時だった。彼はこの地で学校を開設したが、そこでの教育は大きな成功を収めている。数多くの元老院議員が彼の授業を聴講し、皇帝ガリエヌス*3やその妃サロナもプロティノスを尊敬したと言う。
プロティノスは称賛の念を引き起こしただけではない。周囲の人々にとっては俗世を超越した神的な存在と映ったようである。プロティノスの弟子であり良き理解者でもあったポルプュリオス*4は読心術とでも言うべきものを彼に認めている。ポルプュリオスが自殺しようと思ったとき、プロティノスはそれを見抜いてシチリアへの旅行を勧め、そこでポルプュリオスは立ち直ることができた。
ポルプュリオスはまた、魔法を解く力をも彼に認めている。エジプトのある司祭が悪魔を呼び出してくれとプロティノスに頼んだとき、登場したのは神だった。なぜなら、実際彼に伴っていたのは神だったからである。
ー『ベルクソン講義録Ⅳ』P12
プロティノスにとっては神的なものと接触し、それと合一することが人間に許された究極の浄福であったことは言を待たない。彼自身もその生涯において少なくとも四度の法悦を経験している。プロティノスは270年にローマで66歳の生涯を終えた。彼の最後の言葉は「私は私の内なる神的なものと万物の内なる神的なものとを結びつける努力をしている」であったと言う。
『エンネアデス』
プロティノスの著作は主として聴講者の質問に答えるという形を取っている。それらは晩年の16年間に書き記された。現在にまで伝わっている論文集『エンネアデス』は、301年にポリュプュリオスが編集し公刊したものであり、彼はプロティノスが書き残した各論文の主題の類似性に着目しながら、総じて簡単なものから難しいものへ、短いものから長いものへと移っていく九篇の論文から成る六つのグループをまとめあげた。ポルプュリオスはこれら九篇で一組のグループを「エンネアス(九つで一組みのもの)」と呼び、その複数形である『エンネアデス』が後世においてポルプュリオス編『プロティノス全集』のタイトルとみなされるようになった。
ヘレニズム
プロティノスが書いたものを熱心に読んだのは、厳しく自分を律したおかげで晩年に成功を収めながら、それでも安心立命できないでいる人たちだった。「肉体をまとっていることを恥じてい」たプロティノスと同じく、彼の取り巻き達もまた、霊魂がなぜ肉体と結びつき堕落することになったのかという問題に悩まされていた。彼らは自分たちのことをヘレネス(ギリシア至上主義者)」と呼び、自分たちの考え方のことを「ヘレニズム(ギリシア至上主義)」と呼んでいた。
ヘレニズムは差し当たり、知的な折衷主義、漠たる道徳主義、宗教的には異教的、精神的にはギリシア的な文化として特徴付けることができるだろう。ヘレネスは総じてプラトン以来の伝統的「教養[παιδια]」と深く結びつき、古代末期に東方から伝来したグノーシス派やキリスト教徒の考え方を受け容れようとはしなかった。プロティノスは「エネアス」Ⅱ・9においてグノーシス派の論者を論駁しているし、彼の弟子の一人であるアメリオスもまた、グノーシス派のゾストリエンを論駁する40冊の書物を著している。
キリスト教批判の第一線でもプロティノスの後継者たちは活躍した。ポリュプュリオスは広範な学識に基づいたキリスト教批判を展開しており、その批判は19世紀のキリスト教批判に匹敵する程の水準に達している。また、ポリュプュリオスの弟子だったイアンブリコス*5は、一時的ではあるもののキリスト教徒に勝利した。と言うのは、キリスト教を国教化したコンスタンティヌス帝*6の甥にあたるユリアヌス帝*7をヘレニズムの信奉者に仕立て上げたからである。
プロティノスが身を置いたヘレニズムという保守的な環境は彼に決定的な影響を及ぼした。彼は当然のことながら、東方からの文化的侵略に対してギリシア哲学の総体を対置するよう促された。「ただし、単に並置によってことを運ぶのではなく、ギリシア哲学の思想の地下深くを」掘り下げることで彼はそうしたのだが、「その結果プロティノスは、この思想を湧出せしめた源泉それ自体をも湧出させた程だった」。
後世に与えた影響
ルネサンス期においてギリシア古典期の教養が復活できたのはヘレネスたちのおかげである。キリスト教が国教化された後もアレクサンドリア学派のプロクロス*8がギリシアの神々を称える『神学原論』を書いているし、ギリシア古典期の哲学の最良の部分を受け継いで中世ヨーロッパに伝えた聖アウグスティヌス*9や否定神学の創始者の一人であるディオニシウス・アレオパギタ*10にとってもプロティノスの哲学が重要な意義を果たしている。
プロティノスを実質上の創始者とするアレクサンドリア学派(新プラトン主義)が後世に与えた影響は計り知れない。12世紀に至るまでキリスト教圏やイスラム教圏でギリシア古典期の哲学だと信じられていたのは、実は古代末期においてヘレネスたちが復活させた哲学だった。ルネサンス期の西欧において復興されたプラトンもまた、ギリシア古典期のプラトンそのものではなく、ヘレネスたちが復活させた新プラトン主義のプラトンだったのである。
参考
世界の名著 15 プロティノス・ポルピュリオス・プロクロス (15)(中公バックス)
- 作者: プロティノス,田中美知太郎
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- 作者: アンリベルクソン,Henri Bergson,合田正人,江川隆男
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
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- 作者: アンリベルクソン,Henri Bergson,合田正人,高橋聡一郎
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神秘哲学 一九四九年― 一九五一年 (井筒俊彦全集 第二巻)
- 作者: 井筒俊彦,木下雄介
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古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか? (刀水歴史全書)
- 作者: ピーター・ロバート・ラモントブラウン,Peter Robert Lamont Brown,宮島直機
- 出版社/メーカー: 刀水書房
- 発売日: 2006/10
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*1:205-270年
*2:175-243年頃
*3:在位253-68年
*4:234-305年
*5:240-325年
*6:272-337年
*7:331-363年。古典的教養を身につけ、ヘレネスたちの代弁者たちであった彼は、帝位に就いた後に異教を復活させてキリスト教を転覆しようと専心したが、363年にペルシャ遠征で戦死した。享年32歳。傷口からしたたる血を空に向けてほとばしらせながら彼が残した最期の言葉はよく知られている。「ガリラヤ人(キリスト教徒の蔑称)よ、汝ら勝てり。」
*8:412-485年
*9:354-430年
*10:6世紀頃初頭から東方キリスト教会に現れ、後に西ヨーロッパにも伝えられた文章群の著者と言われる人物。使徒パウロから受洗したアテネのアレオパギタ(裁判官)デュオニュシオスがそれらの文書の著者と信じられてきたが、現在ではプロクロスの影響を受けた人物であることがほぼ定説となっている。
2016年を振り返る(音楽)
今年聴いた音楽を気に入った順番に並べてみた。
音楽
- The Avalanches『Wildflower』
- 清竜人25『Love & Wife & Peace』
- Mayer Hawthorne『Man About Town』
- cero『My Lost City』
- Bobby Womack『Soul Sensation Live』
- Tomato n'Pine『PS4U』
- Bobby Womack『Poet Ⅰ & Ⅱ』
- Zapp『Zapp Ⅱ』
- 水曜日のカンパネラ『シネマジャック』
- globe『Faces Places』
- Clean Bandit『New Eyes』
- Bonobo『Black Sands』
- Jamiroquai『Little L』
- Rahbi『Raw Live』
- Naiagara Fallin' Stars『Let's Ondo Again』
- 踊ってばかりの国『踊ってばかりの国』
- Mayer Hawthorne『Strange Arrangement』
- Muro『70 Minuites Of Funk Mixed by Muro』
- Nu Tone『Brave Nu World』
- Parov Stelar『Daylight』
- Zapp & Rogger『All the Greatest Hits』
- saint etienne『Foxbase Alpha』
- Rhye『Woman』
- Mansun『Six』
- Nitin Saxhney『London Underground』
- cero『World Record』
- The Weekend『Starboy』
- Radiohead『A Moon Shaped Pool』
- King『We Are King』
- hopesign『狼煙を今あげたところ』
- Bruno Mars『24K Magic』
- The Avalanches『El Producto』
- The Avalanches『Electricity Ep』
- 今陽子『今昔歌〜ピンキーの男唄〜』
- 清水ミチコ『趣味の演芸』
- 水曜日のカンパネラ『UMA』
- Rafga『Una Cerveza』
- Mute Beat『Still Echo』
- Davis Trellini『Davis Trellini』
以上39枚。
16年ぶりにアルバムを出したThe Avalanches『Wildflower』、解散を発表した清竜人25の『Love & Wife & Peace』、来日したMayer Hawthorneの『Man About Town』ーこの三枚はよく聴いた。曲単位ではサザンソウルやロマン派のピアノ曲を集中的に聴いていた。
従来型の円盤での聴取に加えて、ここ数年ストリーミングサービスやYoutube、ニコニコ動画、SoundCloudなどで新たな音楽に遭遇することが多くなって来ている。今年に入ってからは聴取の方法がさらに多様化して、近場のミュージックバーや比較的小規模のイベントスペース、小料理屋などで音楽を楽しむ機会が多かった。
夏フェスに行けなかったのが心残りなぐらいで、全体としては良い音楽に巡り会えた一年だったと思う。2017年は非録音媒体での聴取の比率をさらに上げて音楽を愉しみたい。
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