学者たちを駁して

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酔っ払いのついた嘘/太宰治『グッド・バイ』の感想

太宰治の遺作『グッド・バイ』を読み終えた。残念ながら連載13回目にして未完のまま中途半端に終わってしまっているのだが、毎回続きが気になる面白い作品だった。本を閉じた後、どういう訳かそれまでは一向に気にならなかったこの作者の生涯に興味が湧いてしまい、少しの間それについてググってみた。

 
太宰治。本名、津島修治。1909年6月19日生まれの双子座。1948年6月13日死没。享年39歳。心中だった。彼の死に際して、おそらくその最良の理解者の一人であろう、飲み友達の坂口安吾は次のように語っている。
 
文学ごときで人が死ぬものか。太宰の自殺は文学のせいなんかじゃない。肺病を患って体が弱っていたせいだ。さもなければ、酒の飲み過ぎだ。何が“死によってみずからの文学を完成する”だ。お前のはただの芥川の猿真似だろうが。笑わせるな。卑しくもマイ・コメディアン(略してM・C)を自称するものが、二日酔いのまま舞台に上がるなどもってのほかだ。そんなだらしの無い生活をしているから酔った勢いで調子に乗って自殺などやって、文学という舞台の上でスベって恥を掻くんだ。
 
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太宰の遺書は、体をなしていない。メチャクチャに酔っ払っていたようだ。十三日に死ぬことは、あるいは内々考えていたかも知れぬ。ともかく、人間失格、グッドバイ、それで自殺、まァ、それとなく筋は立てておいたのだろう

坂口安吾『不良少年とキリスト』

 生前からイタズラ好きで有名だった太宰は死に臨んでもなおイタズラをして文壇と言う小さな世間を騒がせた。死んだ日が13日。遺作となった小説のタイトルが『グッド・バイ』で、これは13回目で絶筆。不吉な「13」をズラリと並べてバイバイ=死というわけだ。内輪ウケを狙った筋書きとしてはよくできているような気もするが、安吾は太宰のつけたオチ=自殺の不手際を非難してこう罵っている。

本当の自殺よりも、狂言自殺をたくらむだけのイタズラができたら、太宰の文学はもっとすぐれたものになったろうと私は思っている。

坂口安吾『不良少年とキリスト』

 「人間失格」「グッドバイ」「13」なんて、いやらしい。ゲッ。他人がそれをやれば、太宰は必ず、そう言う筈ではないか。

坂口安吾『不良少年とキリスト』

  手厳しい。太宰があの時もしも玉川上水で死にそこなって生き返りでもすれば、前の日の酒の席での醜態を恥じて二日酔いの苦悶の中で書いたであろうようなことを安吾は淡々と綴っていて、ただひたすらに手厳しい。その手厳しさは、芥川の自殺に際して、谷崎が残したあの身も蓋もないコメントを想わせる。

芥川君は〔…〕小説を書くには不向きな人だった。

谷崎潤一郎『饒舌録』

 

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                                                             ◆
 
 
だが、それにしても…小説というのはどうも性に合わない。大学を卒業してからどんどん小説を読まなくなっている気がする。去年、最後に読んだ小説はなんだったか。思い出せない。今年に入ってから心機一転、谷崎潤一郎を体系的に読み直そうとしたのだが、かろうじて読めたのは、エッセイなのか小説なのか定かではないような『吉野葛』だけで、それ以外のものはすべて中途で投げ出した。
 
フィクション全般がダメなわけじゃない。マンガやアニメ、ゲーム、映画やテレビドラマにはいつも楽しませてもらっている。フィクションを受け付けないのではなく、ある種の小説が後生大事に抱えている“リアリズム”を僕の体が生理的に受け付けないのかも知れない。
 
 
                                       ◆
 
 
小説家の想像力は、現実よりもさらに現実的なもの、「現実の、より一層完全なヴィジョン以外のものではあり得ない」。作家は、自分自身を掘り下げて書く。もし、或る作家が作り出したキャラクターが“生きている”ように見えるとすれば、それは、そのキャラクターが複数化された作家自身の分身に他ならないからだ。それが小説のリアリズムというもので、“現実をありのままに写生する”こととは似ても似つかぬ営みだ。
この世に、同じ形をした二粒の砂はない、同じ二つの蝿もいない、全く同じ手もない、鼻もない、という事を知り給え。
乾物屋なり、門番なりを描くなら、他のいかなる乾物屋とも門番とも違うと思わせるように描いてくれ。而も、これを表現するには、たった一つの言葉しかない。これを動かすには、たった一つの動詞、これを形容するには、たった一つの形容詞しかない事を知り給え。
そう言って、フローベールは小説家のあり得べき理想を指し示す。乾物屋を“ありのままに”書き写すのではなく、この世に「二つ」とない乾物屋を描き出すこと、「他のいかなる乾物屋とも違う」乾物屋を作り上げること。その対象についてその対象だけに当てはまるようなたった一つの「言葉」、それがただそのものだけにしか当てはまらないために、それがなおも一個の「言葉」であると辛うじて言い得るか得ないかのような「言葉」を綴ること。対象と「言葉」のあいだのこの一致こそが「内的差異」であり、フローベールの理想とするものだ。
 
フローベールのこの理想を踏まえた上で、その弟子のモーパッサンは『ピエールとジャン』の序文の中で、自分はリアリストと呼ばれるよりも、イリュージョ二ストと呼ばれる方がよほどマシだ、と主張する。彼の言う「イリュージョ二スト」とは要するに手品師のことであり、すぐれたリアリストとは、イリュージョニスト、すなわち、「現実のイリュージョンを、現実そのものよりも完全なイリュージョン」として読者に見せることが出来る手品師のことだ。
 
読者にたやすく手品のタネを見破られるようでは小説家=イリュージョニストは務まらない。だから、小説家は誰しも、自分の作り出したイリュージョンを読者に無理矢理にでも信じ込ませることのできる熟練の手品師でなければならない。
 
別の言い方をすれば、小説家は上手に嘘をつくことができなればならない。晩年のロラン・バルトが、『新たな生』を求めて小説を書こうとしてなかなか書けずに悩み、それに自ら答えて「私には嘘がつけないからです」と言った時、彼は未来の小説家としてモーパッサンと同じ問題に向き合っていたのだろう。
 
 
                   ◆
 
 
小説を書くことは嘘をつくことをその内に含んでいる。小説は言ってみれば「真と偽の混合物」であり、予告なしに両者を混ぜ合わせる。視点を転じて読者の側から言えば、小説を読むことは、作者のついたとりとめもない嘘を受け容れること、「偽なるもの」を許容することを意味している。ところが、混じり気のあるものが嫌いな僕はと言えば、小説家のつく見え透いた嘘や回りくどい嘘、総じて出来の悪い嘘を許すことができない。ちょっとでも不出来な嘘を目にすると忽ち萎えて本を投げ出してしまう。堪え性がないのだろう。哲学書を読みすぎたせいで「偽なるもの」や「嘘」、〈不純なもの〉に対する感受性が日に日に衰えている気がする。哲学の毒にやられてしまっているのかもしれない。
 
だが、そんな僕でも『グッド・バイ』は久しぶりに面白く読めた小説だった。“リアリズム”という名前のついた二日酔いのイリュージョン、出来損ないのわざとらしいイリュージョンがないからだろう。出来の悪いイリュージョンとして坂口安吾が批判したのは、あくまで“文学作品としてみた場合の太宰治の人生”だ。それに対して、短いとは言え『グッド・バイ』は立派な小説であり、未完とはいえ小説は小説だ。久しぶりに一篇の小説を投げ出さずに読み切ることができたのはめでたいことだ。今年の年末は小説を読んで実家で静かに過ごすことにしよう。荒木町で酔っ払うのは止めにしよう。リハビリがてら長篇は避け、短篇や中篇(レシ)から少しずつ読んで行こう。坂口安吾の『不連続殺人事件』なんてどうだろう?あれだけこっぴどく太宰をやっけるのだからさぞかし立派な嘘(=小説)をついているのだろうと嫌が応にも期待が高まる。もしかすると、気分を変えて海外の推理小説に当たってみるのもいいかもしれない。と、そんなことを考えながら、パトリシア・ハイスミスの短編集『女嫌いのための小品集』を手に入れた。
「〔…〕まさか、お前、死ぬ気じゃないだろうな。実に心配になって来た。女に惚れられて、死ぬというのは、これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース(茶番)というものだ。滑稽の極みだね。誰も同情しやしない。死ぬのはやめたほうがよい。うむ、名案。すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引き下がる。どうだ、やってみないか。」
太宰治『グッド・バイ』

 

グッド・バイ (新潮文庫)

グッド・バイ (新潮文庫)

 

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*2

 参考

 

作家の随想 (6)

作家の随想 (6)

 

  

ピエールとジャン (新潮文庫)

ピエールとジャン (新潮文庫)

 

 

日本探偵小説全集〈10〉坂口安吾集 (創元推理文庫)

日本探偵小説全集〈10〉坂口安吾集 (創元推理文庫)

 

 

女嫌いのための小品集 (河出文庫)

女嫌いのための小品集 (河出文庫)

 
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rodori.hatenablog.com

 リンク

tabelog.com

太宰治坂口安吾など、当時の文豪たちが通っていた銀座のバーです。

 

Bar Lupin Ginza

銀座ルパンの沿革を知ることができるページです。

 

*1:銀座のルパンで酔っ払う太宰治。めっちゃ楽しそう。

*2:坂口安吾と酒を飲む太宰治。めっちゃ楽しそう。