学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

真理を試みにかける哲学者/ニーチェ『古代レトリック講義』を読む

ニーチェの講義録『古代レトリック講義』を読むと、哲学者派と弁論家派が互いに敵対し長きに渡って抗争を続けてきたことがよくわかる。「真理」という価値を重んじ、「認識」をけっして疑おうとしない“真性の”哲学者たちは、人々を説得して罠にはめるレトリックがもたらす「本当らしさ」をもっとも嫌う。

レトリックは人々に対して罠を仕掛けている。そう言って哲学者たちは実に執念深くレトリックを告発してきた。ここで罠というのは、自分が操作されていることを気づかせないまま私たちを説得しようとする罠、私たち自身の自由な意志に逆らって、語り手の企みによって私たちを味方につけてしまおうとするあの罠のことである。哲学者たちは、最善のものから人々の目を逸らさせ、自由意志を外から犯すレトリックのことが心の底から気に食わないのである。 

1.『ゴルギアス』のレトリック論

プラトンはレトリック(*1)が大嫌いだった。それゆえ彼は、レトリックを論じた初期の対話編『ゴルギアス』の中で、哲学者派のレジェンドとして彼が心からリスペクトするソクラテスに「レトリックは技術などではない」と言わせている。 

*1 古典ギリシア語ρητορικηは「レトリック」・「弁論術」・「雄弁術」・「修辞学」などと訳される。

 レトリックはあくまで技術ではなく、技術未満の経験にとどまっているのだとプラトンは力説する。そればかりか、彼はレトリックを喜びや快楽を作り出して最善のものから聴衆の目を逸らせる「迎合」だと言い、肝心なものが何かということを教えようともせずその場限りの心地よさに耽るように人々を仕向けて都市国家を堕落させる下手人として罪に問うてさえいる。

このように対話編『ゴルギアス』においてレトリックの地位は非常に低い。プラト二ズムの階層秩序において、人々を「説得する」レトリックは、体育術や医術・立法術や裁判術といった人々にとって最善のものを「教えてくれる」有用な諸技術の下位に甘んじ、「女どもの」料理術や化粧術・「ソフィストたちの」詭弁術のような他の「迎合」と同列の地位に置かれている(*2)。プラトンヒエラルキーでは、お世辞でさえ弁論術(レトリック)より上の地位にあるのである。小林秀雄が言うように、初期のプラトンにとって哲学者とは、何よりもまず、「本当らしさ」によって人々を「説得しない」者であり、人々に「本当のこと」を「教える」者なのである。 

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*2 各技術には「影のようなもの」として、それぞれ「迎合」が潜り込んでいる。

ついでに言っておくと、ギリシアの哲学者全員が料理や化粧を軽蔑する男性中心主義者だったわけではない。「ギリシアの何人かの〈真理=真実の師たち〉は、料理をもって考えることの代わりとする術を知っていた」(©デリダ『真実の配達人』)。

 

 

 

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2.『パイドロス』と『弁論術』のレトリック論

ところが対話編『パイドロス』以降にはこれとは別の見方が現れてくる。プラトンの体系におけるレトリックの地位の相対的な上昇が見られるのだ。 

『パイドロス』は説く。弁論家は、まず第一に、「本当らしさ」をコントロールして聴衆を騙すことができるようになるために、何よりもまず「本当のこと」を手中にしているべきである。

第二に、弁論家は、聴衆を激情に駆り立てて彼らを意のままにする術をわきまえていなければならない。聴衆の血圧の上げ下げをコントロールできてこそ始めて一人前の弁論家と言えるのである。

そのためには、人間の感情について正確に見知っていなければならないし、レトリックの形式が人間の感情に及ぼすあらゆる影響を見知っていなければならない。したがって弁論術を修めるためには、きわめて高度で包括的な基礎能力が求められる。

例えば、アカデメイアプラトンに学んだアリストテレスは、その著書『弁論術』第2巻の中で「怒り」や「穏やかさ」を始めとするレトリックに関係する14種の感情に分析を施している(*3)。

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*3 アリストテレス『弁論術』第二巻は、6種の基本感情を説いた晩期デカルトの『情念論』や48種の感情を分析したスピノザの『エチカ』の偉大なる先行事例である。ハイデガーが実存論的分析論を構想するにあたってその手本としたテクストでもある。

 

手始めに分析されるのは「怒り」である。古代ギリシアの弁論家は、実は人生相談サイト『発言小町』などに棲息する今日の日本の釣り師たちの遠い祖先にあたる人々なのだが、彼らが効果的に人々を釣る=怒らせるためには、当然のことだが、「怒り」の原因について熟知していることが是非とも必要である。

弁論によって聞き手を、人々が怒りっぽい心の状態にあるような性質の者に仕上げ、またその反対者たちを、人々が怒るのはそのせいであるような性質の者に、また人々が怒りを発するような者に仕立て上げねばならない - アリストテレス『弁論術』第2巻第2章 -

「怒り」に続いて分析されるのは「穏やかさ」である。不本意にも自分のブログが炎上してしまった場合、そのブロガーは自分に対する人々の「怒り」を鎮めることを余儀無くされる。そのためには、「怒り」の反対の感情である「穏やかさ」がどういうものかについて、よく知っていることが求められる。

 と、まぁこんな調子で、アリストテレスは全部で14種の感情を同じ手つきで次々と分析していくのである。具体的には、例えば「怒り」の場合、  

  1. どんな状態の時に人は怒りやすいのか?
  2. 人はどういう人に対して怒るのか?
  3. 人はどういうことで怒るのか?

が問われ、順番に答えられて行くのだ。アリストテレスはこのような感情分析(情念論)の実用性を強調している。これら三つの問い全てについて答えることができるなら、人々を釣る=怒らせることが今よりもっと簡単にできるようになるはずであり、その他の感情についても同じやり方で分析することで、語り手はより効率的に人々に対してそれらの感情を植えつけることができるようになるというわけなのだ。

だがそれにしても、なぜ『弁論術』の重要な一角を感情分析が占めているのか?その理由は、感情とは「事柄に対する人々の判断を左右するもの」であり、したがって、弁論の「本当らしさ」や「説得力」に関係するからである。だから、卑しくも弁論家を名乗る者ならば、誰もがレトリックの諸形式が感情に対して持つ諸効果について熟知していることを求められる。

『弁論術』が人々の感情についての極めて包括的な知を要請するのはアリストテレスだけではない。後期プラトンにとってもそうであり、彼は『弁論術』を学ぶ者たちに対して感情の原因についてよく知っていることを求めている。そして、プラトンにとって単なる経験か技術かの境界が原因を認識しているかどうかにかかっている以上、『弁論術』は『ゴルギアス』の頃のプラトンが主張するような単なる技術未満の経験ではもはやない。

こうして、哲学に対抗する新たな知の体系としての『弁論術』が上昇運動を開始し、それに伴い、哲学の側でも、単に知識を獲得するだけが哲学の使命ではないことがはっきりしてくる。哲学者にはもっと高貴な使命が与えられるのだ。それはすなわち、認識によって《獲得した知を他の人々に伝えること》である。『パイドロス』の中でソクラテスは高らかに宣言する。

一度でも知のこの高みに達した者は低い課題には満足しないだろう。

かくして他の人々に知を伝達[communication]し哲学がさらなる高みに上り詰めるために必要不可欠な手段として、かつてお世辞より下の最下級戦士の地位に甘んじていたレトリックがしだいに注目されるようになっていく。レトリックを用いることで哲学者は、ある事柄についての感情の火を他の人たちにも点火することができる。そのようにして私たちはしかじかの事柄に関する自分の感情を他の人たちにも植えつけることができ、それによってはじめて、認識によって《獲得した知を他の人々に伝えること》ができるのである。

 今やプラトンは、哲学者の中の哲学者として彼が理想化するソクラテスというこの対話編のキャラクターを、学問との関係では「真理」を語る「教育的な」人物として描き出し、政治との関係ではレトリックを駆使して「もっともらしいこと」を言い募り大衆の心に火を点ける「説得的な」人物として描き出す。哲学者の弁証法が目指す「本当のこと」と弁論家のレトリックが目指す「本当らしさ」。『パイドロス』では両者の力が拮抗し始めている。後期プラトンにとって賢者=哲学者とは、「教育的」であると同時に「説得的」でなければならないのだ。したがって、『パイドロス』以降のプラトンは、それまでの「説得しない哲学者」と同じ人物ではもはやない。「本当らしさ」を司り「説得力」を醸成するレトリック[=弁論術・修辞学・文献学]に対する態度という点で、後期プラトンは明らかに転向している。

 

 

 

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3.ニーチェのレトリック論

後期プラトンのこの転向を誰よりもはっきりと見抜いていた若きニーチェプラトン哲学の息の根を止めるためにさらに先に進む。ニーチェのプラトニズム転倒の肝は、弁論家の目で哲学を見た点にある。

哲学の根本問題は「存在とは何であるか」という問いに答えることであることをニーチェは十分に心得ていた。しかし、他方で、「言葉は存在の家であ」り、存在は言葉の内に住まう。したがって、存在の本質へと向かう途上で必ずと言っていいほど哲学者は「言葉とは何であるか」の問いに答えることを求められる。

ニーチェは若干24歳で早くもこの問いに答えることを迫られている。若きニーチェはどう答えたのか?本書『古代レトリック講義』の中で彼はこう言っている。

言葉はレトリックである。というのは、言語は、臆見だけを転移させようとするのであって、認識を転移させようとはしないからである。
レトリックは同時に言語の本質である。言語は、レトリックと同じくらい真なるものに関係しないし、事物の本質に関係しない。言語は何かを教えようとしない。

こうしてニーチェは「本当らしく説得力のあること」の側から「真理」を攻め立てるという同時代の哲学的感受性の何光年も先を行く前人未到の領野を哲学のために切り開いていった。

われわれは真理を試みにかける。もしかすると人類はそれで没落するかもしれない。さもあらばあれ。

いかなる最高の価値もそれ自体としては一夜のうちに天空に出現するものでは決してないということをニーチェはしっかりと心得ていた。最高の価値を創造する者たち、すなわち「新しい哲学者たち」は、ニーチェによれば「試みる者」でなければならない。「試みる者」たちは、自分が決定的な真理を所有していないことをはっきりと自覚してあまたの道を行き、いくつもの軌道を切り開いて行かなければならない。このようにして私たちのためにニーチェが開拓しておいてくれた道はいくつもあるのだが、その中でも最も道幅が広く歩きやすいように整備された道の一つが「本当らしく説得力のあること」の側から「真理を試みにかける」この道なのである。

真理とは何かという問いに答えてニーチェは晩年に次のように述べている。

真理とは誤謬の一種で、それなしには生物の特定種が生きることができなくなるものである。生にとっての価値が、結局のところ〔真偽を〕決定するのである。

《真理は誤謬の種であり、誤謬は真理の類である》というニーチェ晩年の奇妙な命題は、レトリックを巡るプラトンのアンビヴァレントな態度についてニーチェが早くから注目していたことを考慮すれば、さほど奇異には聞こえなくなる。真理という価値の一切を晩年のニーチェが転倒することができたのは、晩年の彼もまた、若い頃と同じように「本当らしく説得力のあること」の側に身を置き、哲学者たちが語る「真理を試みにかけ」ていたのである。 

「真理を試みにかける」ニーチェの企ても、もうここまで来れば、「真実は虚構の中に住まう」(ただし主人として)と語るジャック=ラカンとか、一個の文学的フィクションは「真実以上の力強さを秘めている」と語るジャック=デリダ、あるいは、「虚構の虚構による虚構のための理論」を夢見る筒井康隆など、20世紀の批評理論が提出した真理と虚構の関係を巡る諸テーゼまではほんのあと数歩である。というのは、虚構は明らかに「真理」ではなく、むしろ「本当らしさ」の方に属しているからである。                                

ニーチェ『古代レトリック講義』訳解

ニーチェ『古代レトリック講義』訳解

 

 

参考

ニーチェ『古代レトリック講義』訳解

 
清水紀子『ニーチェとレトリック』
 
山口誠一『ニーチェ像の変貌』
 
杉田弘子『ニーチェの文体と言語哲学』

 

ゴルギアス (岩波文庫)

ゴルギアス (岩波文庫)

 

 

 

パイドロス (岩波文庫)

パイドロス (岩波文庫)

  

 

弁論術 (岩波文庫)

弁論術 (岩波文庫)