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学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

軍艦の擬人化の由来/司馬遼太郎『街道をゆく19 - 中国・江南のみち』を読む

艦隊これくしょん』は、旧大日本帝国海軍の軍艦(艦艇)を擬人化した美少女キャラ(艦娘)を収集・育成し、編成した艦隊で任務をこなしていくブラウザゲームである。2014年4月の時点で登録者数は185万人を超え、今や運営元であるDMM.com のオンラインゲーム事業の売り上げの3割以上を占める人気コンテンツに成長している。

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周知のように、このゲームの魅力は、美少女に擬された軍艦のデザインや彼女たちのキャラクターに多くのものを負っているが、船を擬人化するという発想そのものは突如天から降ってきたものではなく、戦前にも存在していたことが確認されている。

【おたく温故知新】第5回 戦前にもあった萌え擬人化?〜戦火に消えた悲運のNYK美少女三姉妹〜 | おたくま経済新聞
http://otakei.otakuma.net/archives/2012012703.html

以下では、『艦これ』的な擬人論の数ある先行事例の一つとして司馬遼太郎の『街道をゆく19 - 中国・江南のみち』を読んでいく。擬人化という観点から本書を読む者は、軍艦や船舶に「人格」を読み込む司馬遼太郎の姿をはっきりと確認することができるだろう。
                


軍艦に人格を見る

国家の持ち船である軍艦に人格を感じていたことは、私どもの年代の少年期にはある。
司馬遼太郎街道をゆく19 中国・江南のみち』P302

日本人は古くから自分の持船をまるでもう一人の自分のようにみなしてきた。彼らはそこに「生命」を見出し、時には一個の「人格」を認めることさえあった。司馬遼太郎は、自身も含めて戦前の少年たちが、自分の持船ならぬ「国家の持船である軍艦に人格を感じていた」ことを述懐している。もちろん軍艦に「人格」を見ていたからといって彼らの心情をすぐさま軍国主義に結びつけるような手荒なマネはできない。この点について司馬遼太郎は次のように述べている。

ごく心理学的なことなのである。大和・陸奥・長門・比叡・金剛・摩耶・鳥海 ・高雄といった船名が、単に機械を識別するためにつけられた記号にすぎないと言いきれるひとは、よほど少年の夢想世界からかけ離れて育つことができた特異な人にちがいない。

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艦娘人気ランキング トップ28位まで(pixiv調べ)                 


                

船を生き物として見る

「生きもの」として船を見るという発想は、特殊日本的なものではなく、例えば、中国の帆船である戎克[ジャンク]に対する現地の人々の接し方にも「それを感ずる」と司馬遼太郎は言う。戎克[ジャンク]は、船体に魚の目玉やその他もろもろの怪奇な装飾画が描かれている中国の古式の帆船である。

ジャンクの目玉は、船のへさきに近い両側に巨大魚の目玉を形どってそれが彫りこまれ、彩色されている。中国の寧波[ニンポー]を訪れた際にその目玉を見た司馬遼太郎は、そこに「生きもの」を見出し、愛情たっぷりにジャンクを「彼女」と呼んでさえいる。

「この目玉がなければ、船は方向をうしなう」ということなのか、波に躍りつつ前へ進む姿をみていると、まことにあの目玉によって彼女は安全にうごいているのだと思えてくる。船が生きものであるということのもっとも露わなしるしではないか。-司馬遼太郎街道をゆく19 中国・江南のみち』

ジャンクを「生きもの」とみなし、愛情を感じていたのは司馬遼太郎だけではない。1941年刊行の『戎克 - 中国の帆船』の名もなき日本人の著者は、その「どことなく古代式」な船型を持つ戎克[ジャンク]に「哀れ」を感じている。

吾々が支那の戎克を見て、最も強く印象を与えられるものは〔…〕一面には古代文化の様相を想像すると共に、又一面には如何にも世界文化から独り取り残された様な哀れな淋しい感をもつことである。- 小林宗一編『戎克 - 中国の帆船』(中支戎克協会発行)

「この哀れさ―愛情なのだが―を感じるということが、すでに身を乗り出してジャンクを擬人化しているということなのである」。ジャンクを擬人化すること。それは、「軍艦に人格を感じ」ながら「少年期」を過ごした司馬遼太郎を含む戦前の世代に共通の作法なのである。

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*ジャンク
船のへさきの両側に魚の目玉の掘り込みがある。



船に目玉を描く民俗

通説にしたがえば、ジャンクの発生地は海ではなく河川、具体的には長江中流であり、船の前方をにらむために目玉をつけるのは、中国南部(華南)から東南アジアにひろがる慣習である。しかし、海事史学の専門家である松木哲によると、インドネシア近海では古くから造船技術が発達し、インド洋をわたってマダガスカルにまで達する「古代インドネシア近海の船舶文化」があり、その影響が中国の華南にまでおよんでジャンクを成立させたらしい。だとすれば、目玉のもとも中国ではなく、むしろ東南アジアにあると想像する方が自然ではないか、というのが、松本の考えである。

いずれにせよ、船を「生きもの」とみなす作法は、東南アジア全域に広がる作法であることは確かだ。しかし、さらに研究を進める者は、この種の作法が東南アジアに限られたものでさえないことに気づくだろう。事実、古代ギリシャにも目玉のある船があったようであり、ヨーロッパでは、エーゲ海ポルトガルからビスケー湾沿岸にかけて目玉が用いられる慣習が存在した。インド船にもかつて目玉模様があったらしいし、目玉のある船は、どうやら世界全域を貫く普遍的な現象のようなのだ。

印度の船舶にも支那と同じく古代の型式を多く残しているが、特に興味深いのは船首の両側に目玉模様がついているのが多いことである。〔…〕目玉模様(又は彫刻)は印度から更に東漸して支那に入り、支那戎克のへわきに必ずそれを付けることになった。-小林宗一編『戎克 - 中国の帆船』(中支戎克協会発行)

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*船尾に怪奇なが描かれたジャンク


                

擬人化と擬獣化

では古今東西にあまねく遍在する目玉を持つ船は果たして擬人化と言えるだろうか?否。正確には擬人化とはまだ言えないだろう。たとえば中国のジャンクには今なお目玉がさかんに描かれているが、その目玉は人間の目玉ではなく、あくまで魚の目玉である。だから、ジャンクの目玉は厳密には擬人化とは言えず、むしろ擬獣化の一種であって、戦前の大日本帝国の少年たちが軍艦に対して抱いてた擬人論的な心情とジャンクに魚の目玉を描き続ける中国人の心情の間には直接的な結びつきは無い。

だが、それにもかかわらず、司馬遼太郎は、両者を結びつけ、ジャンクのことを「彼女」と呼び、ジャンクに女性的な「人格」を読み込んでいる。ジャンクに女性的なものを見出し「愛情」を感じているのは中国人の船乗りたちではない。司馬遼太郎その人なのだ。

古今東西、世界各地で観察される目玉のある船は、船を擬獣化しているのであって、『艦これ』的擬人論の直接の祖先ではないのではないか。船の前方をにらむために目玉の飾りをつけるというのは誰でも思いつきそうなありふれた発想であり、船体まるごと人に見立てて船型をデザインする擬人化的発想とは外見的にも概念的にも異なるものだ。むしろ、日帝の軍艦ばかりか支那の帆船にまで女性的な「人格」を読み込んでいた司馬遼太郎のように、戦前の日本の少年たちの「夢想世界」こそが軍艦を擬人化する『艦これ』の心の故郷と言えるのではないだろうか。

街道をゆく〈19〉中国・江南のみち (朝日文庫)

街道をゆく〈19〉中国・江南のみち (朝日文庫)

*1:ロラン・バルト『中国旅行ノート』より