学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

お引っ越し/ブノワ・ペータースの『デリダ伝』を読みながらふと思ったこと。

6月以降、このブログを一行たりとも更新することができていない。上海でのパスポート紛失事件以来、遅れに遅れた仕事に忙殺されてしまい、ブログを書くことに時間を割けなかったということもあるだろうが、一番の理由はおそらく引越しだろう。

 
長いあいだ住み慣れた日暮里を泣く泣く離れ、新宿区の四谷に引っ越してからもう4ヶ月になる。通勤は以前と比べて段違いに便利になり、盛り場の新宿も近くて刺激も多いので、その点では満足しているのだが、どこか落ち着かず心が宙に浮いた感じになっている。
 
ここに越して来てからというもの、本を読むより飲みに行く時間の方が多くなり、買った本を最後まで読み切ることができなくなって来ているし、一度読んだ本をもう一度読み返すこともほとんどなくなってしまった。ゴールデン街や荒木町で酒に酔いながら本を読むことなど物理的に不可能なのだから当然である。エンゲル係数もやばいことになっていて、もしかすると僕にとって四谷という土地柄は、読書をするにはあまりいい環境ではないのかもしれない。
 
だが、他方でまた、せっかく重い腰を上げてはじめたブログを書くというこの習慣をこのまま止めてしまうのはあまりに勿体ないとも思っている。もちろん、麻布十番で書けなかった人が、軽井沢でならスラスラ書けるということはあるだろう。けれども、僕の場合、四谷から引っ越すことは当分の間できないのだから、ケーニスベルクから一歩も外に出なかったカントのごとく、この場所から一歩も動かずに書く術を何とかして探し出さなければならない。
 
                   ◆
 
 
したがって、場所よりも姿勢の方が、僕が今後このブログを細々と書き継いでいくに当たっておそらく大切になってくるだろう。そのことに気づかせてくれたのは、朝に読んだジャック・デリダの評伝『デリダ伝』の一節だった。どういう姿勢の時に執筆のアイデアが浮かんで来るかについてデリダは次のように語っている。
横になりながら書いたり、夢から覚めた起きぬけにノートを取ることが私にはあります。〔…〕座って執筆しているとき、わたしは思考、イデア、思考の運動を管理しているのですが、そうしたものは常に、わたしが立ち上がっているときや、別のことをしていたり、歩いたり、ランニングをしたりしている最中にわたしにやってくるものなのです。最も組織だった物事、アイデアがわたしにやってくるのは、ランニングをしていた頃(今はやめています)でした。メモするためにポケットにメモ用紙を入れてランニングに行くこともありました。それから、わたしは机に向かい〔…〕走っている最中に決まってわたしにやってくる物事、ひそやかで、手短で、しかし時にはきらめきを放つようなことを管理し、活用していたものです。ごく早くからわたしは意識していたのですが、何かよいことがわたしに起こるのは、たいてい立っているときなのです。
ー ブノワ・ペータース『デリダ伝』P594
デリダとは何者か?彼は何よりもまず、常人ではほとんどフォローしきれないほどの大量の文章を書き残した人である。そんな彼が至る所で書き残したひそやかで「時にはきらめきを放つような」アイデアの数々は、実は、彼がおとなしく「座って」執筆活動をしている時ではなく、「立っているとき」、とりわけ「歩いたりランニングをしていた」時に生み出されたものだったのだ。
 
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また、別の意味で興味深いのは、彼が「最も組織だった物事、アイデアがわたしにやって」来たのは、「ランニングをしていた頃」だったと述べていることである。どういうことか。評伝によればデリダがランニングを自らの日課としていたのは、「カルフォルニア滞在のときから」1980年代にかけてであり、同時期に発表された文章は以下の通りである。
 
1980年 『絵葉書Ⅰ』『絵葉書Ⅱ』
1982年 『他者の耳
1984年 『Otobiographies.L’enseignement de Nietzsche et politique du nom propre』
1985年 『視線の権利』、
1988年 『Memories ー pour Paul de Man』
 
「最も組織だった物事、アイデア」が詰め込まれていると彼が自画自賛する以上の著作リストの中に、『声と現象』や『グラマトロジーについて』や『エクリチュールと差異』のような、論文や書物といったアカデミックな体裁をかろうじて守り、それ自体を独立して読むことができるような初期の名高い著作群は含まれていない。
 
上記のリストには、むしろ、『絵葉書』を始めとして、明瞭さが徹底して避けられ、別の文章への暗黙の参照や引用、論述の意図的中断や迂回によって極度に断片化され重層化されているせいで、もはやそれぞれを独立した論考として読むことができないような難解な著作が並んでいる。
 
デリダの文章は難しい。だが、『絵葉書』のようなテクストの難解さは、『グラマトロジーについて』のように内容のレベルでの問題ではなく、学問的で論理的な手続きに測る読者を意図的に排除し、読者に対してほとんど暗号解読に近い責め苦を負わせるような彼のあの「奇妙な」書き方に宿っている。
 
東浩紀は、『絵葉書』に代表されるこの時期の難解な文章の数々に関して、その

難解さはもはや内容にのみ関わるのではない。それはむしろスタイルに、より正確に言えば、そのようなスタイルが選択されたことの動機に関わる。そもそも、何故デリダはそのような奇妙なテクストを書いたのか?

東浩紀存在論的、郵便的

 60年代の理論的作業、『声と現象』や『グラマトロジーについて』のような高い評価を得た仕事とスタイルを、何故彼は棄てねばならなかったのか?

東浩紀存在論的、郵便的

 などと問うているが、この素朴な疑問に対する答えは、僕の知る限りでは今なお出ていない。

アカデミックな著述のスタイルから大きく逸脱したこの時期のデリダの「奇妙な」著作群と「カルフォルニア滞在」以来の彼のジョギングの習慣とが時期的に大きく重なり合っているのは単なる偶然に過ぎないのだろうか。おそらく…いや、きっと、デリダならば
「偶然ではない」
「ジョギングと私の書き方とは決して無関係ではありえない」
と当然のごとく答えたことだろう。というのは、例えば「ヘーゲルハイデガーの性生活」とかジャック・デリダの「ジョギングの習慣」のような哲学者のプライベートかつ伝記的なエピソードを伝統的哲学が組織だって蔑ろにしてきたことを執拗に告発したのが他ならぬデリダ自身だったからだ。
ご承知のように、伝統的哲学は伝記を排除してきました。伝記は何か哲学の外部にあるものと考えられているのです。アリストテレスについてのハイデガーの定言が思い出されるでしょう。「アリストテレスの人生とはどのようなものだったのか?」さてその答えは、たった一文で表されます。「彼は生まれ、考え死んだ」です。そして、他のすべてのあらゆることは純然たる逸話にすぎないというのです。
ー ブノワ・ペータース『デリダ伝』P7
わたしは彼らが自分たちの性生活について語るのを聴きたい。ヘーゲルハイデガーの性生活はどのようなものであったか。〔…〕それというのも、それこそ彼らが語らないなにかだからです。どうして哲学者たちは自分の作品の中で、性を持たない*1存在者であるかのように自らを表現するのでしょう。どうして哲学者たちは自らの著作から私生活を消し去るのでしょう。どうして彼らは個人的なことについては決して語らないのでしょう。
ー ブノワ・ペータース『デリダ伝』P8

したがって、デリダのこの時期の著作に関してジョギングの日課が果たした役割を標定するというこのささやかな企てを、デリダ自身の発言から正当化することは十分に可能だと僕は考える。立つことと座ること、あるいは、考えることと書くこと、より正確に言えば、「机」から「立ち上がり」家の外に出て走りながら考えることと、家に戻って「机に向かい」「座って」書くこととは、日々ジョギングに励んでいたあの時期のデリダの脳内で一体どのようにして結びついていたのだろうか。謎である。 

 

                   ◆

 
話が逸れてしまった。僕にとって、ブログを書く上で重要なのは、書く場所を確保することよりもむしろ、書くためのアイデアが浮かぶ良い姿勢を見つけることの方だという話だった。
 
ブログを書けないというこの状況を好転させるために住む「場所を変える」ことは確かに重要だ。けれども、僕のようにパスポートをなくして上海という悪い場所から一歩も抜け出せなくなってしまったり、誤って不適切な環境に引っ越してしまった場合、総じて、さまざな事情から「場所を変える」ことが容易ではない人は数多く存在する。
 
悪い場所に嵌まり込んでそこから「移動」できなくなってしまった人たちに対して一体どういうアドバイスをすればいいのか。少なくとも東浩紀のように、そこから自由になるには
場所を変える。それだけです。
東浩紀弱いつながり
とシンプルに答えたり、あるいはイケダハヤト師のように、高知に移住してそこで採れた新鮮なトマトをムシャムシャ貪りながら、
まだ東京で消耗してるの?
などと挑発することは、ほとんどナンセンス、いやむしろ、そこでそのままのたれ死ねと言っているに等しい。移動できずに困ってる人に対してそういう言い方はないだろう。
 
一般的に言って、場所や環境をフレキシブルに変えることができるのは一部の余裕のある人間だけであり、大抵の人間にそこまでの余裕があるはずもない。かつて提唱されたパーマネントトラベラー(PT)が広く一般には定着しなかったように、ノマドワーカーはまもなく絶滅危惧種となるだろう。場所ノ移動は今なお一部の特権階級の贅沢品であり続けているし、いくつかの解決困難な構造的問題を抱えているせいで経済状況がなだらかに悪化する一方のこの国にあって、ノマドはとうてい持続可能なライフスタイルではないからだ。
 
                  ◆
 
誰か或るつまらぬ人間が、神によって地獄に堕ちたならば、神は、その人間に逢いに、地獄に赴かなければならないだろう、そして、地獄は、彼にとって、天国のごときものとなるだろう
ー マイスター・エックハルト
だが、まことに残念なことにその神はもういない。つまらぬ不注意で地獄に堕ちてしまった人間が、転じてそこを天国に変えるには、場所ではなく自分の姿勢を変える必要がある。さらに抽象化して言えば、立ち上がって歩き出し、あるいは走りながら考える必要がある。そうすればデリダのように、アイデアの繊細な「きらめき」がどこからともなくやって来て、それを管理・活用することで機嫌よく一日を終えることができるようになるだろう。
 
デリダの場合、「座って」いる時ではなく「立っている」時、とりわけ「ランニングをして」いる時に、アイデアの「きらめき」はやって来た。
 
自分自身の過去の経験を振り返ってみても、デリダが語る上記の経験則は間違っていないように思えてくる。例えば、なぜかこのブログでもっともアクセスがある『奴隷制がダメである8つの理由』は、通勤電車の中で立っている時に少しずつ書き足して出来たものだし、前回の記事『上海パスポート紛失記』は、ホテルにおとなしく籠って座りながらではなく、上海市内をくまなく走り回った経験が活きている
 
上海でパスポートを紛失し、一切の移動の自由を奪われた僕は、最終的には市営地下鉄に乗ることさえできなくなった。命の次に大切なものを失ってビクビクしていたせいか不審人物に見えたのだろう。駅で切符を買っていると、いつも決まって公安の人間が現れて職務質問され、パスポートの提示を求められたのである。
 
高速鉄道はそもそもパスポートがなければ利用することができない。地下鉄に乗れば必ず公安の怖い人がやって来る。タクシーは金がかかるのに人民元の交換を制限されている。したがって、滞在期間が読めない中で可能な限り金を使わずに手っ取り早く市内を移動するには自分の足を使うしかないという訳である。
 
そんなわけで、不法に上海に滞っていた間は、雨の日を除いてほぼ毎日ランニングをして暇を潰すことになり、上海市街を西へ東へ、これが観光だったらまず行かないような路地や横丁を隅から隅まで走り抜けることができて大変に満足している。
 
 
                   ◆ 
 
 
またしても話が逸れてしまった。デリダにとって、アイデアの閃光はいつも決まって「立っている時」にやって来るという話だった。しかしながら、「これだ!」と思わず叫ぶことができるようなアイデアの繊細な閃き、いわゆる〈ピンと来る=ティルトする〉ことを巡っては、同じフランス人でありながら、上述のデリダとは別の文脈で一連の問いを提起したもう一人の人物がいる。ロラン・バルトのことである。彼は『明るい部屋』において、ティルト(ピンと来ること)のメカニズムについての反省をはるか遠くまで推し進めている。
 
同書において彼が観察するいくつかの写真は、どういうわけか、揺さぶられ、扇動させられ、同時にまた、「これだ!」と覚醒させられるような唐突な感覚を引き起こす。
こうした写真は、突然私のもとにやって来て、私を活気づけ、私はその写真を活気づける。それゆえ、その写真を存在させる魅力を活気づけと名づけなければならない。
いくつかの写真と同様、晩年のバルトが愛着を注いだ日本の芸術、すなわち俳句もまた〈ピンと来る(=ティルト)〉ものだった。
俳句はピンと来るもの、短く、ただ一度鳴る一種の澄んだ鈴の音であり、それは〈何かによって私はこころ揺さぶられたところだ〉と告げる。
このようなティルトによる突然の〈悟り〉が具体的な形となって現れるのは、縮約された〈点〉という形態においてである。ティルトは「矢のごとく」現れてバルトを不意打ちし、鋭利な切っ先で彼を鋭く「貫きにやってくる」。
 
どこからともなくやって来たティルトの〈点〉による衝撃は、バルトの心にある種の動揺を生み出し、母を喪った悲しみに伴う粘つく無気力を回避することを可能にする。そして、それらはやがてバルトを「人が考えもしなかっただろうこと、考えられもしなかっただろうこと」へと導いていく。
 
そして、同時にまた、ティルトの引き起こすこの振動(動揺)は、亡くなった母との精神感応の基礎となり、官能と情動への開口部となる。『明るい部屋』の作家は、亡き母がかつて少女だった時代に、冬の庭のガラス張りの天井の下で撮影された写真の衝撃を通して、彼女を官能的に「見出す」のだ。
 
                  
                   ◆
 
 
では一体、これほどまでに貴重なティルトについて、どんな場合にも拒絶することなくそれを自らの元に「迎え入れる」姿勢は果たして存在するのだろうか。「立っている」こと、すなわち、直立することをもってその答えとしたデリダとは異なり、バルトは、禅と道教とに共通する姿勢である〈座禅〉、すなわち「座ること」を推奨する。
キリスト教徒の姿勢:跪くこと
ファシストの姿勢 :立つこと
アジアの姿勢   :座ること
ロラン・バルト〈中性〉について』 

まず第一に、バルトにとって「座ること」は、ファシストが好む直立不動の「立つ」姿勢が呼び込むある種の傲慢さと硬直性を回避するためのものである。

座ること=瞑想すること=何も深く考えないこと
ロラン・バルト『〈中性〉について』 
第二に、 座ることは、禅的実践の核をなす〈瞑想〉と固く結びついている。〈瞑想〉は「座ること」と一体であり、〈瞑想〉はこの姿勢において徹底的に探求されている。そして、〈座禅〉を通じて、何も深くは考えず、何ものにもとらわれない柔軟な精神が育まれ、バルトは次第にある種の非自発的な受動性、〈無為(不活動性)〉、要するに「何もしないこと」の讃歌へと導かれていく。
座ることは、利害を離れる〈無所得〉という考えに結びついている:利害を離れること、捕まえようと欲しないこと
ロラン・バルト『〈中性〉について』 
第三に、座ることにおいては、何も捕獲=把握しないことが肯定される。座ること、それはすわなち、利害を離れることであり、同時にまた、把握を望まないことでもある。バルトの倫理において把握=捕獲を決して欲しないというこの否定的な欲望が重要な位置を占めていたことは周知の通りである。彼が何も把握しないのは、何ものにも把握されないためである。捕獲されないものは捕獲されることを拒むものであり、このように捕獲という名の支配を全面的に放棄することは、あらゆる把握=捕獲に対する反抗手段を準備することになるだろう。
 
 ⑴あらゆる傲慢さと硬直性の回避
 ⑵無為(何もしないこと)
 ⑶捕獲=把握することの拒否
 
以上に列挙した「座る」姿勢が担い導く三つの帰結。これらは全て、〈悟り〉と呼ばれる一つの境地、要するにティルト[ピンと来る]というあの「束の間の閃き」を「迎え入れる」ことになるだろう。〈悟り(ティルト)〉とは、「通常の見方と決裂すること」であり、
一挙に生じる精神の大変動のようなものである。
ロラン・バルト『〈中性〉について』 
そして、〈悟り(ティルト)〉は、正確には、キリスト教の〈啓示〉とは異なるものである。なぜならそれは、何も解明しない(=照らさない)からだ。〈啓示〉と同じく、〈悟り〉もまた疑いを解消する。けれども、〈悟り〉の場合、それによって救いの確信が得られるわけではない。
いずれにせよ、西洋において、悟りとは、おそらくはロマン主義に近い、束の間のひらめきのことである。
ロラン・バルト『〈中性〉について』 

以上、長々と書いてしまったが、20世紀のフランスを生きた二人の作家、ジャック・デリダロラン・バルトの両名が、アイデアの閃きを「生み出す」とまでは言わないまでも、少なくともそれを「迎え入れる」姿勢に関して、「立つこと」と「座ること」という相互に対消滅する二つの異なる姿勢を推奨していることを確認した。久しく更新が滞っているブログを再開するために、僕自身は結局、立ち上がるべきか、それともおとなしく座っているべきなのか。そういうくだらないことを考えている間にいつの間にやら次の日になってしまったので、判断は保留とし、さっさと筆を置いてベッドに横たわって寝ることにしようと思う。

 

デリダ伝

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*1:性差を持たない=中性的な。ハイデガーが語る現存在の中性的性格を問い詰めた『Geschlecht 性的差異、存在論的差異』においても、同様の主張を確認することができる。