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学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

P・M・シュル『機械と哲学』について。

古代ギリシャの社会は大雑把に言って二種類の人間から成り立っていた。一つは余暇[schole]のうちに生きる自由人であり*1、もう一つは、単なる機械にすぎない奴隷である。
 
奴隷を「もっぱら一つの機械と見なされた人間*2と定義したアリストテレスは、奴隷制が「自然」であり「必然」であるとさえ主張した。ただし、彼の言う"奴隷制の必然性"は、あくまで条件付きの必然性であり、もし実現が可能なら奴隷制の廃棄を可能にするはずの興味深い例外を含んでいる。
 
その例外とはこうである。
もしも道具がいずれも人に命じられるか、あるいは合図を受けるだけで、そのなすべき仕事を完成することができるなら、…職人の親方は下働人を必要とせず、また主人は奴隷を必要としないだろう
アリストテレス『政治学』第1巻第4章
この世でただ一つ「人に命じられるか、あるいは合図を受けるだけで、そのなすべき仕事を完成することができる」道具だけが奴隷制を廃棄することができる。換言すれば、古代ギリシア鍛冶の神ヘファイストスが用いたと言われるような、自分で動くことができ、ひとりでに神々の集いにやって来たあの不思議な鼎のようなもの、今日の言葉で言えばロボットだけが、奴隷制の廃棄を可能にするのである。

 

政治学 (岩波文庫 青 604-5)

政治学 (岩波文庫 青 604-5)

 

 

 

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ところが、古代人にとってロボットは、ヘファイストスの如き神々でなければ実現不可能な夢物語、言わば神話の世界に属するものだった。それどころか、古代の奴隷制は、自らを除去する方向に進みうるただ一つの道であるロボットの発明を可能にするような機械的技術に対する侮蔑を、あらゆる方途で生み出していた。

この点に関するディドロとダランベールの報告を引いておく。
 機械的技術を実践することは、あるいは研究することさえも、その探求は骨折り多く、その省察は、下賤であり、それについての説明は困難、それと関わりを持つことは不面目、その数は尽きることなく、そしてその価値は取るに足らぬような事柄にまで身を落とすことであると、信じさせられるようになっていた。
ーディドロ、ダランベール『百科全書』P297

 

機械的技術の働きに依存し、一種の伝承的手法の、この語を私が使ってよければ、奴隷となっているため、人間の中で偏見のために最下層の階級に置かれている人々に委ねられてきたのである。
ーディドロ、ダランベール『百科全書』P59-60
 
  
百科全書―序論および代表項目 (岩波文庫)

百科全書―序論および代表項目 (岩波文庫)

 

 

                   

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さて、古典期ギリシア思想の研究者であるP・M・シュルは、その著書『機械と哲学』の中で、「論理的には、すでに古代から機械の発達が可能であった」にもかかわらず、「この方向への発展を阻害した」ものは何なのかを問うている*3

 
この問題に著者はみずから答えて、奴隷制がもたらす機械的技術に対する侮蔑が「反機械的な」メンタリティを形成し、このメンタリティが古典古代における機械的技術の発展を阻害したと結論しているのだが、彼の主張は、奴隷と機械の間の意外な関係を明らかにしていてとても興味深い。
機械と哲学 (1972年) (岩波新書)

機械と哲学 (1972年) (岩波新書)

 

  

 

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『機械と哲学』を読みながら、ふと最近読み終えたばかりの藤村シシン著『古代ギリシァのリアル』の中で、《なぜヘファイストスはひどい扱いを受けるのか》を巡ってまるまる1章が割かれていたことを想い出した。確かに、鍛冶の神、要するに職人的技術の神であるヘファイストスは、美しいオリンポスの神々の中で、「例外的に外見をボロクソに言われるほど醜く、また足も不自由で杖を付い」た姿で描かれている。例えばこうである。

 

この私(ヘラ)の産んだ子ときたら、あらゆる神々の中で虚弱で、脚の悪いヘファイストスだった。私はあの子の両手をつかんで海に放り投げてやったわ。

アポロン讃歌(讃歌第3番)』

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なぜヘファイストスはかくも酷い扱いを受けるのか?この問題に対する『古代ギリシャのリアル』の答えはこうだ。
それは貴族的なギリシャ神話の世界観の中で、鍛冶屋の地位が低かったことを反映しています。鍛冶屋は職人として利用されますが、そこまでの尊敬をもって接せられる存在ではなかったのです。古代ギリシャの中では、ヘファイストスをオリンポス十二神の中に数えていないアルカディアのような地方もあるくらいです。

 

古代ギリシャのリアル

古代ギリシャのリアル

 

 

 

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P・M・シュルが提起する「反機械的」メンタリティの概念は、奴隷制を廃棄し、人類に真の自由をもたらすはずの機械=ロボットを作ることができる神、すなわち、《職人的技術の神ヘファイストスがなぜオリンポスの神々の中で最下級の地位に甘んじなければならないのか》を別の側面から説明してくれている-と、そんなことを考えながら『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を観始めた。

 

danmachi.com

 

参考文献

(1)P・M・シュル『機械と哲学』

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 (2)林達夫林達夫セレクション〈3〉精神史』

林達夫セレクション〈3〉精神史 (平凡社ライブラリー)

林達夫セレクション〈3〉精神史 (平凡社ライブラリー)

 

 同書収録のエッセイ『古代思想史の課題』の中で『機械と哲学』が言及されています。

(3)ハイデガー『技術への問い』

技術[τεχνη]の本質を突き詰めて考えた場合、因果性の問いに行き着くのですが、本書は技術を出発点に因果性と自由の絡み合いについて考察したものです。

過去記事

*1:アリストテレスは『政治学』の中で、人間が人間でいるためには労働ではなく暇[schole]こそが重要だと述べている。古代ギリシアの市民は、大抵の場合2人~4人の奴隷を所有していたため、自分で働く必要がなかった。そのせいもあって労働は、「自由人らしくないこと」と見なされ、軽蔑の対象となっていた。

*2:なお、人間の機械的側面に注目した哲学者としてはライプニッツを挙げることができる。彼は「われわれはわれわれの行動の四分の三では自動人形である」と書いている。

*3:興味深い例外としては、シラクサを包囲したマルケルス指揮下のローマ艦隊を撃退した兵器「アルキメデスの装備」を挙げることができるだろう。

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岩明均『ヘウレーカ』P51。