読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

ブログ名の由来/はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

8ヵ月以上ブログを更新していません。最後に書いたのは手コキについてのエントリーで、
このまま更新をさぼっていると品性を疑われかねないので、取り急ぎ更新致します。

今月の11月7日でちょうど5周年を迎えるはてなブログが、キャンぺーンをやっていたのでそれに乗っかることにしました。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

1.はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

このブログは読んだ本の感想を書き貯める備忘録としてスタートしました。国会図書館で読んだ本についてのEvernoteのメモ書きを一つのまとまった文章に書き起こしたのが最初の記事です。当時のブログ名は確か『断片』という名前で、特に具体的な誰かを宛先にして書くという訳でもなく、(読んだ本の内容をすっかり忘れているであろう)未来の自分に宛てて書いていました。数あるブログサービスの中で特にはてなブログを選んだ理由は、それ以前からはてなブックマークを愛用していたので、はてなのサービスに愛着があったからです。

2.ブログ名の由来を教えて!

ブログ開設当初は、読んだ本の内容を短く要約して一言感想を述べるだけで満足していました。けれども、何度か更新を繰り返すうちに、どれだけたくさんの本を読んでいても、その著者に対する批判なしにただ漫然と読んだのでは、きちんと本を読んだことにはならないのだと考え直し、理解と批判とがピッタリ一体となった読書感想文を心がけるようになりました。『魔法少女まどか☆マギカ』を巡る東浩紀の一連のツイートについてまとめた『女の子同士の不可能な出産』は、そういう批判的な姿勢を交えて書いた最初のエントリーです。

「批判的」と言うと、何か攻撃的で野蛮な、何にでもケチをつけて非難するような、そういう印象を持つ人もいるかもしれません。しかしながら、ここで「批判」と言うのは、単なる"非難"の意味ではなくて、《その著者の思考のプロセスをきちんと吟味しながら読む》というぐらいの意味です。

ブログ名を『学者たちを駁して』に変更したのもこの頃で、ヘレニズム期のギリシアで懐疑家[σκεπτικός]として活動したセクストゥス・エンペイリコスの著書『Πρός μαθηματικούς』[学者たちへの論駁]から盗りました。

「学者たち[μαθηματικοί]」(マテマティコイ)とは、古代・中世の基礎学級の教師たちの事で、具体的には、論理学者や弁論家や文法学者、並びに天文学幾何学・数論・音楽の教師たちの事を言います。「学者たち」とは要するに、その昔西欧において自由七学科[septem artes liberales]と呼ばれたもの、すなわち、リベラルアーツの教師たちを指す言葉です。

もともと「数学(mathematics)」の語源であるギリシア語の「マテーマ」は、「学ぶ」と言う意味の「マンタノ」から来ている。つまり、「数を学ぶ」ことが、すなわち学問を意味したのだ。
ユークリッド原論』の注釈者として知られるプロクロスによれば、ピュタゴラス派では、「マテーマ」を、まず数と量の二つに分け、それが静止しているか、運動しているかでさらに二つに分け、計四つに分類した。すなわち、静止している数が「数論」、運動している数が「音楽」、静止している量が「幾何学」、運動している量が「天文学」というふうに〔…〕。
ここから「数論」「音楽」「幾何学」「天文学」の四科(puadrivium)という学問の基礎科目が生まれ、これをベースに、「文法学」「修辞学」「論理学」が加わって、「リベラルアーツ(liberal arts)」と呼ばれた中世以降のヨーロッパの大学での教養カリキュラム「自由七学科」が形成される。〔…〕「リベラル・アーツ」ということばには、「人間の精神を自由にするための教養」という意味が込められている。
-浦久俊彦『138億年の音楽史』P212-213

ところが、これら自由七学科の「学者たち」には、誰もがそれぞれ自分の教えているものこそが他の何にも増して重要だと言い立てる傾向がありました。セクストゥスにとって「学者」とは、今の言葉で言えば「〜主義者」、既に前もって権威づけられた何らかの"立場"からしかモノを言えないドクマティスト[δογματικός](=独断論者)を意味していたのです。

「学者たち」は既に権威づけられた或る任意の"立場"からモノを言うことで、自分自身を無敵のもの・不死身なものとみなそうとします。ところがそれに対してセクストゥス・エンペイリコスのような懐疑家は、そうした"立場"の硬直性と恣意性に対して抵抗を試みます。「学者たち」は、自分たちのモノの見方を何にでも適用できると強弁し、一切のものの間に引かれた境界線を消し去ろうするのですが、懐疑家はそのような振る舞いに断固として抗うのです。

懐疑家[σκεπτικός]と聞くと、ただ疑うためだけに疑おうとする疑り深い人々、相対主義的で軟体動物的なめんどくさい人物をイメージしがちです。けれども、懐疑[σκέψις]にはもともと、鵜呑みにせずに実際に「調べてみる」こと、「境界線に眼を向ける」と言う意味があり、懐疑家とは本来、境界線を吟味する人たちのことを言うのです。ブログ名の『学者たちを駁して』には、以上に述べたような意味での懐疑家たらんとする意志が込められています。

3.自分のブログで一番オススメの記事

ジャック・デリダのハイデガー論を『テニスの王子様』の必殺技に結びつけて論じた『哲学にとってタブーとは何か』、柄谷行人の占い師としての側面を際立たせて取り出した『柄谷行人と占星術』も捨て難いですが、一つだけオススメを挙げるとすれば、マックス・ウェーバーの古代資本主義論について書いた↓の記事です。

rodori.hatenablog.com

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

  • このブログを書いてなかったら絶対に知りえなかったような面白いブログを発見できたこと。
  • 親切な人たちにブクマやツイッターを通じて色んな事を教えてもらったこと。

5.はてなブログに一言

「学び」のサブカテゴリーに哲学・思想・批評・リベラルアーツのカテゴリーを作って欲しい。

http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

参考

学者たちへの論駁〈1〉 (西洋古典叢書)

学者たちへの論駁〈1〉 (西洋古典叢書)


138億年の音楽史 (講談社現代新書)

138億年の音楽史 (講談社現代新書)