学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

『かわいいウルフ』に寄稿しました。

かわいいウルフ』という本に短い文章を寄せました。
タイトルは『「青と緑」を読んで 〜 ウルフの物質的想像力』です。

本書はヴァージニア・ウルフというイギリスの作家を特集した同人誌で、イラストがたくさん入った全部で160ページの立派な雑誌に仕上がってます。明日5/6からは文学フリマでも販売が始まり、ネット通販や全国各地の書店・喫茶店でも手に入れることができるそうです。
詳細は↓をご確認ください。

woolf.ofuton.in

ヴァージニア・ウルフと聞くと、"フェミニストレズビアン自由間接話法を駆使して「意識の流れ*1」を表現するための内的モノローグの文体を開発して入水自殺を遂げた他を寄せ付けない孤高の大作家"みたいな手強いイメージがありますが、この本はそういう一般的なイメージはいったん脇に置いた上で、〈かわいい〉という視点から彼女の作品にアプローチした内容になっています。その結果、

本書の内容はエッセイ、インタビュー、テキスト分析、音楽、料理、創作、翻訳、まんが、イラストと、多岐にわたるものになりました。ウルフの作品を愛読する人から、全く知らない人まで。文芸を愛する、読者の皆様に届きますように。

そんな本書をざっと通読してみて興味を惹かれたのは、以下の5つの記事です。

①おままごとをするウルフ

編者による『ダロウェイ夫人』の20世紀初頭のロンドンの描写についてフォーカスした記事です。「まるでウルフが、ミニチュアのロンドンの中で、人物たちを思い思いに動かして遊んでいるみたい」な描写を〈かわいい〉という観点から『おままごとをするウルフ』と形容しています。

ウルフが「ロンドンという街そのものを描写しようとしている」という指摘を読んでいてふと思い出したのが、ドゥルーズ+ガタリの『哲学とは何か』の被知覚態を論じた一節*2です。そう言えば、彼らもまた『ダロウェイ夫人』の凄いところはロンドンという街そのものが主人公になっているところだと語っていました。

形態素解析でみるヴァージニア・ウルフの文章

作品ごとの頻出単語や作品内の人間関係をワードクラウドや共起ネットワーク図を用いて視覚的に表現することを試みた記事です。leafやtree、flowerのような自然界の物質を指す単語の登場頻度がしだいに増加していったことは定量的にも確認できるようです。短篇『青と緑』に登場する単語が他の作品内でどのように分布しているのかも気になるところ。

③〈わがまま〉の中にある普遍性ー西崎憲インタビュー

『ダロウェイ夫人』のような長篇ではなく、あくまで短篇小説の作家、『青と緑』のようなマイナー・ポエットの作家としてのウルフに光を当てたインタビュー記事です。個人的な楽しみ[sef enjoyment]の方が大事だよね、小説なんだから私的なことを書いてもいい、わからなくてもいい、自由気ままにやりたい放題書いてもいいんだというウルフの創作態度にはとっても好感が持てます。いかにも詩を書きそうなウルフが生涯なぜか詩を一篇も書き残さなかったという興味深い指摘もありますが、この点については、拙稿『ウルフの物質的想像力』の内容とも関係しているように思います。

④月曜日あるいは火曜日ー三回言ってみようか

映画『ブレードランナー2049』のパロディ作品です。「真実?」「真実」のリフレインが妙に頭にこびりついてしまい、思わず二度読みしました。

⑤井戸、三葉虫、妹

小説家の水原涼さんによる『書かれなかった長編小説』へのオマージュ作品です。父親にしがみつきながら井戸の中に落下していく妹の描写を昨日の真夜中に読んでいて、寝付けなくなってしまいました。

映画『オルランド』のボリウッドリメイクを妄想する

インドの近現代史ボリウッド映画について貴重な知見を得ることができる内容の濃い記事です。

余談だが、ディスコ音楽には欠かせないバスドラムハイハット(シンバル)はトルコの軍楽隊に起源を持つ。

みたいな情報を大量に浴びたせいで、ただでさえ役に立たない知識でパンパンだった頭がもうすぐ破裂しそうになってます。もうお腹いっぱいです。

内容の紹介は以上です。

f:id:rodori:20190409191732j:plain

その他お料理のレシピがあったり、マンガが載ってたりと盛りだくさんの内容が詰まった楽しい本になってますので、本屋さんで見かけたらぜひ手に取ってみてください。どうぞよろしくお願いします。

関連リンク

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)

*1:「意識というものは、断片的に細切れで現れるものではない、意識が最初の段階において現れる様を描写するには「鎖」とか「連結」という言葉ではしっくりこない。意識はつながれているのではない。流れているのだ。それを記述する最も自然な比喩は「川」や「流れ」である。今後意識のことを語る際には、これをもしくは意識の流れ、あるいは主観的生の流れと呼ぶことにしよう。」- ウィリアム・ジェイムズ『心理学』 意識の流れという概念は、ヴァ-ジニア・ウルフやジェイムズ・ジョイスのようなイギリスの小説家たちだけでなく、フッサール現象学における「地平」の概念の成立にも影響を与えている。

*2:「小説はしばしば被知覚態〔ペルセプト〕に達している。例えばハーディにおける、荒野の知覚ではなく、被知覚態としての荒野。メルヴィルの海洋の被知覚態。ヴァージニア・ウルフにおける都市の被知覚態、あるいは鏡の被知覚態。風景が見るのだ。一般的に言って、作家が或る日の時間を、或る瞬間の温度を、それ自体において保存するそれらの感覚存在(たとえば、フォークナーの丘、トルストイステップ地帯、あるいはチェーホフのそれ)を創造することができなかったとするなら、どうして彼は偉大な作家と言われえようか。被知覚態、それは、人間の不在における人間以前の風景である。」 -ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』P283