学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

今野元『マックス・ヴェーバー』

 

マックス・ウェーバーはわかりにくい。とりわけ彼の政治的主張はわかりにくい。

ナチスの御用学者だった「カール・シュミットマックス・ウェーバーの正統的な弟子であったという事実」を重く見て、ウェーバーファシズムとの関連で論じようとするハーバーマスのような人たちがいる一方、フーコーのようにオルド自由主義者との関連にフォーカスすることでネオリベの先駆者としてウェーバーを理解しようとする人たちもいる。

試みに『政治書簡集』のページをパラパラとめくっていると次のような言葉が目に飛び込んでくる。

外見的立憲主義政党としての中央党に反対。および過去において皇帝に反対する議会の真の実力を涵養しようと努力しなかったし、また現に努力もしていないで、ただ皇帝の手から個人的なお菓子をもらおうと努力した、そして現に努力している政党としての中央党に反対。そして議会による強力で公然たる行政監督に賛成

(…)国民自由党内の反対派の(「新自由主義的」)分子を支持するそして社会民主党内の労働組合的分子を支持するそれとともに、見せかけだけの立憲主義的な中央党に反対し、帝室の内政上の権力欲に反対するさらに冷静な利害の打算に基づく政策を行わないで大言壮語の威信政策を行う帝室の外交に反対する!

マックス・ウェーバー政治書簡集』

フリードリッヒ・ナウマンに(1906年12月14日 ハイデルベルグで)

第一次世界大戦前後のドイツの政治情勢を知らない門外漢には、彼が一体何と闘っていたのかサッパリわからない。けれども、この手紙の内容そのものに詳しく立ち入らなくとも、少なくとも次のことは明らかに見て取れる。それはウェーバーがいい意味でも悪い意味でもめんどくさい奴だということである(普通のひとは「 ! 」感嘆符がいくつも付いたメールを他人に送ったりはしないだろう…)。

今野元の『マックス・ヴェーバー』は、書簡や同時代人へのインタビュー、少年時代の論文など、ウェーバーの生涯にまつわるあらゆる伝記的資料を駆使することで、当時のウェーバーの政治的立場がどのようなもので、彼が何と闘っていたのかを明らかにした。

同時にまた、本書は彼の大学の内外での政治的活動に記述の照準を合わせることで、

のように、従来の研究ではほとんど描かれてこなかった彼の人間臭い一面を執拗に描いていて、好感を持った。

今年2020年が没後100周年ということで、ほぼ同時期に発売された野口雅弘の『マックス・ウェーバー』もコンパクトに業績を通覧できる好著なので、本書と一緒に読むと理解が深まって良いかも知れない。

過去記事

参考書籍
回想のマックス・ウェーバー

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少年期ヴェーバー 古代・中世史論

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