学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

読書

2019年を振り返る(読書)

2019年に読んだ本を振り返りました。

2018年を振り返る(読書)

2018年に読んだ本を一年がかりで振り返りました。

2017年を振り返る(読書)

2017年を読書で振り返りました。

2017年を振り返る(マンガ)

2017年に読んだ漫画を面白かった順番に並べました。

哲学の非経済的性格について/デリダ『友愛のポリティックスⅠ』を読む

デリダ『友愛のポリティックスⅠ』を読んだ感想です。

プロティノスについて

プロティノス*1とその学派について書かれた以下のテクストを流し読みした。 ベルクソン『ベルクソン講義録Ⅲ』Ⅳ 霊魂論講義 第3講 「プロティノスにおける霊魂論」 ベルクソン『ベルクソン講義録 Ⅳ』Ⅰ 「プロティノス講義」 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第二巻 神…

午前三時の思想/ドゥルーズ『消尽したもの』を出発点に。

サミュエル・ベケットのテレビ作品を論じたドゥルーズの評論『消尽したもの』を読んだ感想をまとめました。

酔っ払いのついた嘘/太宰治『グッド・バイ』の感想

太宰治の『グッド・バイ』を読んだ感想です。

P・M・シュル『機械と哲学』について。

P・M・シュル『機械と哲学』の紹介です。

お引っ越し/ブノワ・ペータースの『デリダ伝』を読みながらふと思ったこと。

四谷に引っ越したこと。上海で走ったことについて書きました。ブログを続けるに当たって適切な姿勢について検討した記事です。

ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について

ドゥルーズの『ベルクソンの哲学』を読んだ感想を書きました。

晩年のレヴィ=ストロース/『みる きく よむ』について

レヴィ=ストロースの芸術論『みる きく よむ』の感想文です。プッサンの絵画(みる)、プルーストの小説(きく)、最後に音楽(よむ)の順番で書いてます。

アンチテキスト/アドルノのヘーゲル論『暗い人』について

『三つのヘーゲル研究』に収録されたアドルノの論文『暗い人』についての感想を書きました。

ニーチェの講義録『プラトン対話篇研究序説』を読む

ニーチェの『プラトン対話篇研究序説』(ちくま学術文庫『ニーチェ全集1 古典ギリシアの精神』に収録)を読んだ感想をまとめたものです。

メガラ派について(2)/アリストテレス『形而上学』第6巻第2章1026b1

第9巻第3章のメガラ派論駁がアリストテレスの『形而上学』全体の中でどういう意味を持っているのかについて書いた備忘録です。

柄谷行人と占星術

ある時期の柄谷行人が熱中していた占星術と「物質的条件」に対する彼の拘りが理論的にはどのように連関しているのかについて考察しています。

哲学にとってタブーとは何か?/デリダ『精神について』Ⅰを読む

デリダの『精神について』の第1章を読んだ感想を綴ったものです。後半は、フロイトの応用精神分析と絡めて、受容理論で俯瞰しています。

メガラ派について(1)/アリストテレス『形而上学』第9巻第3章 1046b29-1047a64

『形而上学』第9巻第3章の逐行読解を試みた備忘録です。アリストテレスの哲学することの全体がその「絶頂」に達する第10章を読むための準備ノートとして書いています。

三島由紀夫の『暴力批判論』

三島由紀夫の毛沢東批判とベンヤミンの『暴力批判論』のマッシュアップ!1969年の対談『美と共同体と東大闘争』を読んだ感想を書きました。

軍艦の擬人化の由来/司馬遼太郎『街道をゆく19 - 中国・江南のみち』を読む

軍艦を擬人化する『艦これ』的な発想が戦前まで遡れることを確認した記事です。『街道をゆく19』の司馬遼太郎は、その歴史的証人として登場します。

真理を試みにかける哲学者/ニーチェ『古代レトリック講義』を読む

『悲劇の誕生』と同時期に行われたニーチェの講義録についての記事です。プラトン・アリストテレスの弁論術をニーチェがどのように捉え直したかについて書きました。

本を読むことの暗黒面/ショウペンハウエル『読書について』を読む

ショウペンハウエルの名著『読書について』について書いた記事です。後半は、松岡正剛や小飼弾といった現代の多読家たちが本書とどう向き合ったのかについて書いています。

女の子同士の不可能な出産ーー東浩紀の『魔法少女まどか☆マギカ』disを巡って

東浩紀がTwitterで『魔法少女☆まどかマギカ』を非難している件についての記事です(追記あり)。後半では「性」を巡る東浩紀『網状言論F改』とフーコー『性の歴史Ⅰ』の意見の違いについて考察しています。

梅原猛の創価学会批判

創価学会に対する梅原猛の批判についての記事です。創価学会の哲学上の参照項の一つに、新カント派があることに注目して書きました。

真理と霊性/ミシェル・フーコー『主体の解釈学』1982年1月6日の講義のメモ

1982年に行われたフーコーの講義録『主体の解釈学』第1回講義を読んだ時のメモ書きです。ヴェーバーの言う「行動的禁欲」をフーコーがどのように捉え直したかについて考えています。