青井硝子『雑草で酔う』
サボテンやアサガオなど、手近な草花を手当たり次第に吸引し、それによって心身に生じる微細な変化を観察した本。酔いとは何か、「ハイになる」とはどういうことかを探求したボードレールの『人工楽園』みたいな本なので、「へえ、雑草でも酔えるんだ」などと、日々の酒代を浮かせようと軽い気持ちで手に取った読者はトンデモないところに連れて行かれることになるだろう。
冒頭のバジルから、ローズマリー、スイレン、クサノオウと続き、アジサイを吸った辺りから何やら雲行きが怪しくなってくる。
そんなある日の夜11時。自分が何をしていたかはもう忘れたけれども、彼女が突然「し、心臓が…」と言い出して、すわ停止かと思ったら、
「我はアマテラスであるぞ」
などと言い出した。完全にトランスしちゃってるようで、1人2役で芝居(にしか見えない)を始めた。
これは多分ドッズが『ギリシア人と非理性』の中で「アポロン的脱魂」として描き出した神憑り状態だろう。さらにアヤワスカ*1の項では、
飲んでから50分(人によって違うけど自分はいつも50分なんだこれが)でカルチェラタンのステンドグラスのような曼荼羅模様が出てきて、目に来たのはそれでおしまい。あとは目を介さず直接脳に、それも想像力の方にがっつり来て、イメージが精密さを増して暴走する。
より具体的には、意識の底が抜ける。
自分の精神が黒い箱の中に体育座りで入っていると思ってくれていい。その箱の底が、突然抜ける。抜けたら膨らんでいって、風船のようにまるくなる。自分の意識さんはと言うと、箱の壁伝いに膨らんだ方へとにゅるにゅる進んでいき、その風船を内側から見ることになる。
そして原色。
驚くばかりの美しい世界。
青磁のような、あるいはアヴァロンのような美しい青、そして団欒を思わせる優しいオレンジや赤色が敷き詰められ、ちりばめられ、宇宙船や気球船のような様相を呈している。
それはジョン・ブライブリットさんの描く原色の世界が近い。
もうこの辺りになってくると、本書の目指すところも朧げながら明らかになってくる。どうやら「外丹法。ドラッグヨガ。歴史の闇に葬られた外法の技」を現代に復活させようとしているらしい。
そんな本筋とは無関係に個人的に興味を引いたのは、『弁証法的理性批判』執筆当時のサルトルに霊感を与えたメスカリンの幻覚効果についての記述*2である。ひょっとすると20世紀のフランスの著名な思想家のほとんどは幻覚剤の摂取体験を軸にそれぞれの思索を展開していたのでは?そんな邪な考えが頭をよぎる。
思えば、ロラン・バルトは1977年の講義*3で「麻薬としての意識」についてやけに熱心に分析していたし、ミッシェル・フーコーも1975年5月のデスヴァレーでのLSD体験を「わが人生最大の経験」として賛美し、それが『性の歴史』当初のプロジェクトを白紙に戻すきっかけにさえなっている*4。そう言えば、ジル・ドゥルーズもトリップする方法はいくらでもあるんだからわざわざ旅行になんか行かなくてもいいんだという迷言*5を残している。
彼らは皆、人間の自我や意識を一つの異常性として、狂った何かとして取り扱う点で奇妙にも足並みを揃えていた。その背景には何か共通する限界=体験のようなものがあったのではないか。
一連の酔いの研究の果てに本書が見出す↓のテーゼもまた、それを別の角度から裏付けている。
「人の脳みそはシラフではいられない。」
常に何かに酔っていなくてはならないのだ。
"フランス現代思想"は先行するアメリカ西海岸のヒッピーカルチャーと多分どこかで繋がっているーそんなかすかな予感が確信に変わった一冊。
カントに従うならば、私たちは権利上まとも=理性的であり、事実上、多少なり狂う=理性的でなくなるときもあるにすぎない。ドゥルーズの場合は、全く逆なのだ。私たちは、権利上はつねにすでに狂っているー酔っている、薬中〔ジャンキー〕であるーと考えるべきであり、事実上、多少まともになる時もあるに過ぎない。認識のレベルでも、倫理のレベルでもそうなのである。
ー千葉雅也『動きすぎてはいけない』P47
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参考
註
*1:南米ペルーのアマゾン奥地で儀式として使用される幻覚茶。
*2:『弁証法的理性批判』を1日でも早く仕上げるため、サルトルはコリドラン〔アンフェタミン製剤〕を大量に服用していた。過剰摂取の代償として、血液の流れや心臓のリズムに長期にわたり悪い影響が出た。
*4:詳細については現代思想2019年11月に収録の木澤佐登志『気をつけろ、外は砂漠が広がっている』を参照のこと。
*5:「私がじっとしているとしても、旅行に出かけないとしても、みんなと同じようにその場にいながらにして旅(トリップ)をしていることに変わりはないんだ。(…)それにホモやアルコール中毒者や麻薬中毒者に対する私の関係なんて、この際どうでもいいはずだ。別の手段によって、彼らと同じ成果があがるなら、それでいいじゃないか。」 - 『記号と事件』P28。1973年。