木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』の感想
本書で紹介されているピーター・ティールやカーティス・ヤーヴィン、ニック・ランドやマーク・フィッシャーらによる"ネオ終末論的歴史神学"とでも呼ぶべき過激思想は、一言で言えば政治的異端である。彼らにとって、後期資本主義社会は悪夢であって、地獄そのものである。地獄を改良することなど定義上できるはずもない。できるのはせいぜい資本主義の大聖堂(カテドラル)に加速主義や新反動主義という爆薬を仕掛けることだけだ。
彼らは、資本主義のプロセスを極限まで推し進めることでその「外部」に突き抜けることを試みる。
プロセスから身を引くことではなくて、もっと先に進むこと。ニーチェが言っていたように、「プロセスを加速すること」
- ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』
というのも、資本主義に対する唯一のラディカルな応答は、抵抗することでも、批判することでも、資本主義が自己矛盾によって崩壊していくのを待つことでもないからだ。
かつてマルクスが指摘したように、資本主義、より正確に言えば、資本主義が推し進める市場経済や自由貿易のメカニズムには、資本主義社会それ自体を破壊する革命的な契機が含まれている。
一般的には、今日では保護貿易主義は保守的である。これにたいして自由貿易制度は破壊的である。それは古い民族性を解消し、ブルジョアジーとプロレタリアートのあいだの敵対関係を極限にまで推し進める。一言で言えば、通商の自由の制度は社会革命を促進する。この革命的な意義においてのみ、諸君、私は自由貿易に賛成するのである。
- カール・マルクス「自由貿易についての演説」『マルクス=エンゲルス全集第4巻』
したがって、必要なことは、資本主義における労働者の疎外・脱領土化・脱コード化の諸傾向を加速することである。彼らにとって資本主義の促進は、その破壊と同義なのだ。だとすれば、そのプロセスを単に加速しさえすればいい。要するに、事態は《悪くなればなるほど良くなる[the worse,the better]》のである。
そして、国民国家や民主主義をはじめとする既存のシステムの解体を徹底的に推し進めたその先には或る未知のX、既存のスキームを逸脱する新たな何かが出現するだろう。そのXは、スティーブ・ジョブズが僭主=CEOとして君臨し、統治=経営する「企業のように運営される」参入離脱の自由な都市国家だったり(新官房学)*1、人類に友好的な知性を備えたスーパーコンピュータに意識をアップロードすること*2で肉体が朽ち果てた後も人間が知性的かつ霊的存在として永遠の生を獲得する「シンギュラリティ以降の社会」だったりする。彼らが思い描く未知のXの具体的なイメージは、ニール・スティーヴンスンの『ダイヤモンド・エイジ』やアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』を読めばわかるらしい。
とは言え、この本の魅力は、以上で手短にまとめた新反動主義者や加速主義者たちの極端な主張がどれだけ常軌を逸しているかを確認するだけに留まらず、さらに進んで、これら極端な主張がそれ自体どのようにして歴史的に形作られてきたかをも手際よく追跡した点にある。例えば、ベルクソンからドゥルーズ+ガタリらのフランス現代思想を経て思弁的実在論に至るカント主義批判の流れや、ジャングル/ドラムンベースからダブ・ステップを経てヴェイパー・ウェイヴに至るイギリスのダンスミュージックの流れが、ニック・ランドと彼が組織するCCRUの思想にどう影響したかを詳述した後半部の記述がそうだ。
とりわけ印象に残ったのは、加速主義や新反動主義の先駆者としてニーチェを挙げている箇所だ。この点については、少し前に流し読みしたノルベルト・ボルツの『脱魔術化された世界からの脱出~両大戦間の哲学的過激主義~』*3という本を思い出した。アドルノの批判理論の歴史的背景を探るために、その前史であるゲオルグ・ルカーチやカール・シュミット、エルンスト・ブロッホやヴァルター・ベンヤミンといったワイマール期のドイツの過激思想を追いかけた本なのだが、『ニック・ランドと新反動主義』と同様、ボルツもまた、極端な論理の中に脱魔術化された近代からの脱出の手段を発見した思想家の先駆としてニーチェを挙げている*4。
本書のサブタイトルでは「哲学的過激主義」という言い方をしている。本書で分析した思想家たちはみな、全体を目指している。彼らはみな、簡単に妥協しないし、討論を交わす気などない。彼らは世界時計の時間を読み取り、その時間・時代を思想として捉えようとしている。彼らにとっては、思想がラディカルであることのほうが、論理的帰結より重要だったのである。
- ノルベルト・ボルツ『批判理論の系譜学』P8
それ以外にも、「脱出[Ausgang、exit]」という啓蒙主義の術語*5をキーワードとして挙げている点や、ド・メーストルやドソノ・コルテスのようなカトリック保守主義や黙示録主義との隠れた関連を指摘している点でも本書とボルツの本は互いによく似ていると思う。というよりはむしろ、率直に言って、加速主義者や新反動主義者らの理論は、ワイマール期のドイツの歴史哲学をデザインだけ変えて反復(再生)しているだけのように見える。一見そう見える。
資本主義が自然の法則に従って崩壊に向かって進展することは不可避である。しかしその進展が解放へと転換することは、運命の定めではない。世界がなだれ落ちる滝に向かって進んでいることを止めることはできない。
「もし何かがひとたび問題となった場合には、それを救いうるものは、問題となっている事柄を極度に先鋭化することによってのみ、つまり徹底的に終局まで突き進むことによってのみ、生じてくるものである。」
資本主義の破局を、保守的に押しとどめるのではなく、その方向を転換するために、破局に最後まで付き従うのである。
- ノルベルト・ボルツ『批判理論の系譜学』P14
引用箇所は、トーマス・マンの小説『魔の山』に作中人物ナフタとして登場するルカーチの語りの解説だが、《資本主義のプロセスを加速せよ》という加速主義のテーゼは、100年前のナフタ=ルカーチの理論を機械的に繰り返しているだけにしか思えず、あまり新鮮味を感じなかった。過去の哲学のこうした反復もまた「日本のシティポップの海外での再発見」と同様、「”時間の蝶番が外れてしまった”現在が、失われた未来の亡霊に際限なく取り憑かれていることの証左」ではないのか。もしかすると、本来異なっているはずのものが同じものに見えるのは単に目が悪いだけなのかもしれないが、少なくとも本書を一読した限りでは、↓に引いた東浩紀の最近のツイートと似たような感想を持ったので、機会があれば原典に当たって確かめてみようと思う。
https://twitter.com/hazuma/status/1145198813025460224
https://twitter.com/hazuma/status/1145200992457150465
過去記事
参考
ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想 (星海社新書)
- 作者: 木澤佐登志
- 出版社/メーカー: 講談社
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批判理論の系譜学〈新装版〉: 両大戦間の哲学的過激主義 (叢書・ウニベルシタス)
- 作者: ノルベルトボルツ,Norbert Bolz,山本尤,大貫敦子
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2018/02/12
- メディア: 単行本
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現代思想 2019年6月号 特集=加速主義 -資本主義の疾走、未来への〈脱出〉-
- 作者: 千葉雅也,河南瑠莉,S・ブロイ,仲山ひふみ,N・ランド,R・ブラシエ,H・ヘスター,水嶋一憲,木澤佐登志,樋口恭介
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2019/05/27
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現代思想 2019年1月号 総特集=現代思想の総展望2019 ―ポスト・ヒューマニティーズ―
- 作者: 千葉雅也,小泉義之,ニック・ランド,カンタン・メイヤスー,岸政彦,信田さよ子,グレアム・ハーマン,入不二基義,篠原雅武,近藤和敬,仲山ひふみ,水嶋一憲,飯盛元章,ロージ・ブライドッティ,イアン・ハミルトン・グラント,ポール・ボゴシアン
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2018/12/26
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注
*1:「国家=企業のトップに就くCEOは具体的にどのような人物が適しているのか。言い換えれば、その専制が全体主義と暴力に傾斜していかないという保証が、その専制君主一人の意志に依存しているというのは、いかにも不安定で危ういシステムなのではないか。もちろん、宇宙人や超知性的なコンピュータであれば話は別であろうが・・・。この点についてもヤーヴィンの記述は十分に積極的であるとは思えない。というのもヤーヴィンは、国家=企業のトップに最も適している人間は、議論の余地なくスティーヴ・ジョブズ(!)に他ならないと断言しているからである(最近ではジョブズの代わりにイーロン・マスクを推しているようだ。」 - 木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』P86)」
*2:マインド・アップローディング
*4:「金属のような人物たち。真実性を極端にまで追いつめていった唯一の人物、あるいはまさに悲劇性そのもの、芸術、信仰、愛を極端にまで追いつめていった人物、一言で言えば極端な人間たちが必要なのである。…われわれの本質的な貧困は、ラディカルなものに乏しいこと、化学的に純粋な元素であるような人間に乏しいことである。」- Nietzche,SW Bd 12,S.510.Vgl.R.Schneiders Notiz in,Winter in Wien'Gesammelte Werke Bd.10,S.287.
*5:カントは『啓蒙とは何か』の中で、「自ら招いた未成年状態から人間が抜け出ること[Ausgang]」として啓蒙[Aufklärung,Enlightenment]を定義している。
哲学の非経済的性格について/デリダ『友愛のポリティックスⅠ』を読む
『友愛のポリティックスⅠ』は、デリダが研究ディレクターを務めたパリの社会科学高等研究院(EHESS)で1988年から1989年に行われたセミナー*1の第1回講義の講義原稿に、大幅な加筆修正を施して出版された書物である。本書の執筆が開始されたのは1994年であり、この年のデリダは、「数多くのプロジェクトを抱えて倒れそうな程に」忙殺されていた。ロンドンから帰国してすぐ、彼はマウリツィオ・フェラーリス*2に宛てた手紙の中で次のように愚痴っている。
わたしのほうは、かつてないほど忙殺されています(特にあの『友愛のポリティックス』、7月の終わりまでに書き上げると約束してしまったあの呪われた書物のせいです)。この夏、他の仕事、特に〔カプリでのセミネールに関わるテクスト〕『宗教』*3もあるなかで、どうやったらこの状況を切り抜けられるのか、分からないのです!」
さて、この「呪われた書物」は政治的なものと家族的なものの関係を主題として論じている。『政治的なものの概念』*4は伝統的に家族のモチーフ、とりわけ兄弟のモチーフと密接に結びついてきた。例えば、フランス革命のあの有名なスローガン「自由・平等・博愛=友愛=兄弟愛[flaternite]*5」はまさにそうだし、第二次世界大戦後の日本の民主化や日米同盟は言うに及ばず、民主主義が「兄弟的同盟関係」なしに規定されることは稀だった。東浩紀の最近の著作『ゲンロン0 観光客の哲学』もまた、目次を読めば明らかなように、政治哲学と「家族の哲学」の固い絆を隠そうとはしていない。
近代の政治思想は、家族から市民社会を経て国家へと至る弁証法を考案したのだが、国家へと至るいかなる弁証法も、この弁証法によって止揚されるものから決して切り離されたりはしなかった。国家的なもの≒政治的なものが、家族や市民社会から完全に切り離して考えられることはなかった。
本書においてデリダは、数ある『政治的なものの概念』の中から友愛(フィリア)という"特権的な"テーマを選択し*6、プラトン*7・アリストテレス*8からキケロ*9やアウグウスティヌス*10を経てモンテーニュ*11へと至る友愛[φιλια]に関する古典の数々を読み直した上で、それらの伝統的な言説のうちに兄弟[αδελφος]のモチーフが形を変えて「過度なくらいに規則的に」回帰して来る事に着目し、次のように問いかける。
主要な問いは、まさにこの領域における哲学的な正典のヘゲモニーに関わるものである。いかにしてその正典は頭角を現したのか。あの力はどこからその正典へとやってきたのか。いかにして正典は、女性的なるものあるいは異性愛、女性同士の友愛あるいは男女間の友愛を排除してきたのか。そこではなぜ友愛の女性的な、あるいは異性愛的な経験が本質的なものとして考慮されないのか。なぜここまでエロス〔性の衝動〕とフィリア〔友愛〕のあいだの不均質性があるのか。
と言うことで、デリダのこの試論の賭け金=争点は兄弟であり、兄弟愛、換言すれば、男性同士の友愛である。という事はつまり、ーデリダはなぜか決してそのことを表立って口にはしないのだがー暗黙理に男性同士の同性愛も一連の脱構築的分析の射程のうちに収められていることになるだろう。友愛についての正典の著者たちが決して語ろうとはしなかった兄弟愛の家族主義的で男性中心主義的で同性愛的な諸前提を、さらには本書で「親子関係の図式論」と名指されるもの、すなわち、祖先・種族=種類・性[Geshlecht]・血・生まれ・自然[φυσις]=本性[natura]の概念セットを、デリダは執拗に問い詰めていく。
なぜ友は兄弟のようであるのだろうか?生まれを同じくする分身が持つこの近接性を越えて行くような友愛を夢想してみよう。親族関係を越えて行くような友愛を。親族関係とは、もっとも自然なものでありながら同時にもっとも不自然なものである。
ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P5
デリダの考えに従えば、親族関係一般にはある種の「不自然なもの」、『ユリシーズ』でジョイスが言うような「法律上の虚構」が必ずと言っていいほど含まれている。純粋に実在的な系譜学的絆など有りはしない。それは「夢見られた条件」でしかなく、徹頭徹尾デリダが「幻想」と呼ぶものの次元に属している。家族の系譜は「つねに定立され、構築され、導出されるのだ」。本書において、父で有ることの虚構性は当然のこととして前提され疑われることは無い。
そしてそれはまた、フロイトまで含む人々がそれについて何を言ってきたにせよ、母で有ることについても真である、かつてなく真である。「誕生」のあらゆる政治、あらゆる政治的言説は、この点について、信でしかあり得ないものを濫用しているのだ、一つの信にとどまると他の人々なら言うであろうものを。政治的言説において誕生、自然あるいは国民にーさらには人間的兄弟愛の諸国民あるいは普遍的国民にさえー訴えるあらゆるもの、この家族主義のすべては、この「虚構」を再自然化することにある。
ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P154
兄弟もまた虚構の再自然化の例外ではない。
ーでも、兄弟とは何だろう、どう思う?
ーうん、兄弟とは何だろう?人は兄弟に生まれつくのだろうか?
ー親愛なる友よ、そいつは馬鹿げた問いじゃないか、そうに決まってるさ。
ーそうかな。自然のなかで兄弟に出会った事があるかい?自然のなかで、いわゆる動物の誕生の際に?兄弟性には法と名前が、象徴が、言語が、契りが、誓約が、言語的なもの、家族的なもの、そして民族的なものが必要だ。
(中略)親愛なる友よ、兄弟とは常に盟友である兄弟、義兄弟=法律上の兄弟[blother in low]、養子縁組による兄弟[foster brother]だとは思わないか?
ーそれに姉妹は?彼女も同じ事例に収まるのだろうか?兄弟性の一事例なのだろうか?ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P232
ありとあらゆる兄弟関係は「法律上の虚構」を含み込み、デリダによれば、自然ナ兄弟など存在しない。誰かと兄弟≒友で有るためには、何よりもまず「法」や「契り」や「誓約」が必要であるとデリダは言う。まるで「法」や「言語」の外では兄弟や姉妹を想像し得ないかのように。
だが、それにしても、デリダが通りすがりに指摘する「誓約による兄弟」とは具体的にどう言うものなのだろうか?「誓い合った兄弟」、Schwurwbruderchaft[兄弟になるという誓約]とは一体何なのか?それはおそらくこのエントリーの冒頭で引用した本書の「主要な問い」に関わるものであり、都市国家[πολις]の誕生=起源に関わるものでもあるのだが、この問題のアウトラインを明瞭に理解するためには、本書を超えて社会学の知見が必要にして不可欠となるだろう。少なくとも系譜学的かつ家族中心主義的な兄弟愛の図式の脱構築的分析においてデリダが生涯手放すことのなかったエミール・バンヴェミニストの『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集』*12と同程度には。
ここで家共同体[Hausgemeinschaft]についてのマックス・ウェーバーの不可欠な示唆を参照しておこう。以下に見られる標識は、これから先に必要とされる諸々の作業の巨大さと錯綜の合図である。兄弟のモチーフを分析する上で「法」と「名」と「象徴」と「言語」だけで事足りると考える哲学者の軽率さと傲慢さに、慎重さと謙虚さとを対置するには差し当たりこれらの標識だけで十分だろう。
このエントリーは、いまだ極めて不明瞭な諸領域における予備的と言えるか言えないか程度の一歩をあえて踏み出そうとするものに過ぎない。デリダにとって「忌々しき」存在であるウェーバー*13の諸論考をデリダの意に反して全文引用し、この上なく貴重な知に属するものを綿密に捉え返し、『友愛のポリティックス』の記述と突き合わせなくてはならない。
以下ではただそこから、このエントリーの趣旨の一貫性にとって、とりわけ兄弟の都市社会学的意味論に関わるものにとって、内容の面からも方法論的規則の面からも最も重要になるであろうものだけを取り上げる。まず第一に問題となるのは、一言で言えば、共同体[gemeinschaft]としての家族に不可欠な構成要素としての経済的なものである。
永続的な性的共同関係(ゲマインシャフト)によって支えられている、父・母・子供の間の関係は、われわれにとって、とくに「始源的なもの」のようにみえる。性的共同体と少なくとも概念的には区別しうる「家計」の共同性、つまり経済的な扶養共同体[Versorgungemeinschaft]という概念を別個に立てた場合、後に残された、夫と妻との純性的関係、および父と子供の生理的にのみ基礎づけられた関係が、ともかくも持続するかどうかはきわめて動揺的で疑わしい。なぜなら、父子関係は、父と母との間に安定した扶養共同体を欠くのなら、存在しないのが普通であり、またたとえ存在したところで、常に大きな影響力を持つとは限らないからである。性的交渉という地平に立脚した共同体関係のうちで「始源的」なものと言えば、母と子供の関係のみである。母と子供の関係は一つの扶養共同体であるから、子供が自力で十分な食糧探しをなしうるまで存続するのが自然の理に叶っている。
すぐその次にあるのが、兄弟姉妹の間の養育共同体[Aufzuchtsgemeinschaft]である。ミルク仲間[ομογαλακτες]というのは、最も親しい親戚に対する特別な名称である。ここでも決定的なのは、共通の母胎という自然に属する事実ではなく、むしろ経済的な扶養の共同性なのである。特殊な社会形象としての「家族」の生成を問題にするや否や、あらゆる種類の共同体関係は、たしかに、性的および生理的な関係と交錯する。歴史的にきわめて多義的な概念は、個々のケースにおけるその意味が明晰化されてはじめて有用なものとなる。このことについてはのちに述べよう。
ーマックス・ウェーバー『経済と社会』第2部第3章第1節(『世界の名著61ウェーバー』P554〜555)
純粋に性的な関係のみに支えられた父・母・子供のフロイト的三角関係を「始源的なもの」とみなすことへの懐疑という点でウェーバーはデリダと同じ前提を共有しているようにみえる。だが、ウェーバーはデリダが単にほのめかすだけで兄弟を巡る一連の脱構築的分析の中で表立っては顧みようとはしなかったもの、すなわち経済的なものについて率直に語っている*14。より正確に言えば「政治的なものの敵」としての経済的なものについて語っている。
兄弟は同じ母胎から生まれる限りで自分たちを兄弟と名指すのではない。兄弟で有ることにとって共通の母胎という「自然に属する事実」は「決定的」な要因ではない。むしろ、「社会」に属する事柄、換言すれば、同じミルクで育った仲間であることが兄弟で有ることを基礎付ける。要するに、「家計[οικος]の共同性」や「経済的な扶養の共同性」が兄弟で有ること、さらには共同体としての家族関係一般を基礎付けるのである。
誰かと誰かが兄弟で有るためには、「法と名前が、象徴が、言語が、契りが、誓約が」あるだけではまだ十分ではない。友愛(フィリア)をめぐる哲学的言説の脱構築的分析においては、おそらく家計=炉[οικος]のテーマ系の導入が、経済的なものの導入が「決定的」な役割を果たすことになるはずである。
フィリアの意味論的焦点に炉があるとすれば、そしてフィリアがオイケイオテースなくしては成り立たないとすれば、あまりこじつけめくことなくこう言うことができるだろう。本書を方向づける問いとは〔…〕炉=家なき友愛の問い、オイケイオテース*15なきフィリアの問いだと言うことになろう*16〔…〕非エコノミー的な友愛、それは可能だろうか?それ以外の友愛があり得るだろうか?それ以外の友愛があるべきだろうか?。
ーデリダ『友愛のポリティックスⅠ』P241
以上である。『友愛のポリティックスⅠ』が241頁もの紙幅を割いてようやく辿り着いた場所を、『経済と社会』はわずか2頁であっさりと後にする。241頁を超えてなお「呼びかけ」のままに留まろうとする際限の無い哲学的分析をわずか2頁にまで節約=縮減する「社会学的分析」のこの経済性、哲学者の饒舌と社会学者の寡黙さのこの興味深い対比は多分に「概念」の経済(=節約)的性格に関わっている。
そして同時にまた、この対比は、「概念」でも語でもない差延[differance]の時間かせぎ的性格にも関わっている。デリダの本を読むといつも不満に思うのだが、何よりもまず第一の不満は、脱構築には時間=金がかかることである*17。『友愛のポリティックス』*18は、『世界の名著61ウェーバー』*19に比べて1頁当たりのコスパが悪いのだ。脱構築的分析のこの非経済的性格、浪費ぐせ、高コスト体質は、おそらくまだ誰にも真っ正面から問いに付されたことはない。生産性の向上を常に追い求める上司が遅々として仕事の進まない出来の悪い部下を叱りつけるように、なぜ哲学的分析は社会学的分析に比べてこうも時間がかかるのですか?とこの本の著者を問い詰めることもできるだろう。
最後に、パリの或る「呪われた組織」に必死に自分を売り込んで研究員として就職したばかりの哲学者による*20、社会学的分析についての今となっては希少=高価な証言を引いてとりあえずの終わりとする。
デリダ 社会学的分析に用いられる概念が、マルクス派、ウェーバー派、その他いかなる理論に基づくものであれ、それらは概念である限りにおいて〈脱構築〉の対象にならざるを得ず、またアカデミックな制度に組み込まれている限りにおいて、やはり〈脱構築〉の対象にならざるを得ない。この点で私は社会学的分析の限界を指摘しておきたいのです。
浅田彰 なるほど。
ー座談会 ジャック・デリダ×柄谷行人×浅田彰『超消費社会と知識人の役割』*21
参考
- 作者: ジャックデリダ,鵜飼哲,大西雅一郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
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- 作者: 尾高邦雄,ウェーバー,梶山力,大塚久雄,富永健一,厚東洋輔,倉沢進
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1979/08
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- 作者: ジャン・リュックナンシー,エチエンヌバリバール,ミケルボルグ・ジャコブセン,アランバディウ,モーリスブランショ,ジャン・フランソワクルティーヌ,Jean‐Luc Nancy,Jean‐Fran〓@7AB7@cois Courtine,Etienne Balibar,Mikkel Borch‐Jacobsen,Alain Badiou,Maurice Blanchot,港道隆,大西雅一郎,安川慶治,広瀬浩司,鵜飼哲,松葉祥一,加国尚志
- 出版社/メーカー: 現代企画室
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デリダ『「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算ージャン=リュック・ナンシーとの対話』収録。
注
*1:デリダのセミナーは彼が社会科学高等研究院の教授に就職した1984年から2003年までの19年間セミナーを開講された。
「哲学の国籍=国民性と哲学のナショナリズム」
1.国民、国民性=国籍、国民主義(1984-1985)
2.ノモス、ロゴス、トポス(1985-1986)
3.神学-政治的なもの(1986-1987)
4.カント、ユダヤ人、ドイツ人(1987-1988)
「友愛の政治」
5.友愛の政治(1988-1989)
6.他者を好んで食べる(カニバリズムの修辞学)(1989-1990)
7.他者を食べる(1990-1991)
「責任=応答可能性の問題」
8.秘密に責任を持つ(1991-1992)
9.証言(1992-1993)
10.証言(1993-1994)
11.証言(1994-1995)
12.敵対/歓待(1995-1996)
13.敵対/歓待(1996-1997)
14.偽証と赦し(1997-1998)
15.偽証と赦し(1998-1999)
16.死刑(1999-2000)
17.死刑(2000-2001)
18.獣と主権者(2001-2002)
19.獣と主権者(2002-2003)
*3:『宗教』とは、「単なる理性の限界内における宗教の二源泉」というサブタイトルを持つ宗教論『信と知』のことである。1994年2月末、「最も明白でありかつ最も曖昧な、宗教」をテーマについて意見交換をするために、デリダ、ガダマー、ヴァッティモ、フェラーリスなど数名の哲学者がイタリア南部のカプリ島のホテルに集まった際の講演原稿に加筆修正を加えて出版された。
*4:カール・シュミットの著作『政治的なものの概念』を参照。
*6:デリダにとって友愛[φιλια]は、哲学[φιλοσοφια]の根本構造を規定する要素として特権的な意味を持つ。その部分を読んでみよう。
われわれは、ここで、われわれが特権化する観点から見て、もっとも重要なもの、すなわち哲学の問いに限定しよう。哲学としての友愛、友愛としての哲学、哲学的-友愛、友愛的-哲学、友愛-哲学は、〈西洋〉において、つねに切り離しえない概念だった。何らかのフィロソフィアなくして友愛はない、フィリア〔友愛〕なくして哲学〔フィロソフィ〕はない。友愛-哲学。最初から、われわれは、政治的なものを、この連結符の傍らで検討している。
友愛と哲学の結び付きは、フィロ(友愛)とソフィア(知恵)の二つの語から成る哲学[philosophia]の語源からして明らかであり、フィロソフィアのフィロ(友愛)をどのように解釈するかという問題は、いつの時代も哲学者たちの「傍ら」にあり、謎に満ちたこの問いかけは彼らの内なる問いであり続けてきた。この点について、デリダと同時代人のジル・ドゥルーズは次のように語っている。
哲学という語に含まれた「友愛」にどのような意味を持たせるべきなのか。プラトンでも、ブランショの『友愛』という本でも、友愛との関係で思考の問題を取り上げていることに変わりはないが、果たして「友愛」の意味は同じなのだろうか。
友愛をめぐる問いにはまだ答えがありません。哲学者は賢人ではなく、友人である、だから友愛も、当然ながら哲学の内なる問いだということになるわけですが、では、誰の友人であり、何の友なのか。コジェーブやブランショやマスコロは、友人をめぐる問いをとらえ直し、思考そのものの核心にこれを位置づけています。謎に満ちたこの問いを全身で受け止めるのでなければ、そして困難は承知の上でこの問いに答えるのでなければ、哲学の何たるかはわかりようがないのです。
ードゥルーズ『記号と事件』収録「哲学について」
もし仮に、哲学者が賢人[σοφος]ではなく友人であるならば、哲学者は一体誰の友人であり、哲学は何の友なのか。ドゥルーズはこの問いに答えて、哲学者が友として接する相手として音楽を挙げている。
いずれにせよ、哲学の本質には友愛が帰属し、友愛のうちには常にすでに哲学が有る。哲学と友愛ー相互に帰属し合う両者の関係に 固有な点をあえて『形而上学』的に表現するならば、ακολούθησις[互いに随伴すること]として、さらにまた、αντιστρεφειν[互いに向きあうこと]として把握することができるだろう。哲学[φιλοσοφια]と友愛[φιλια]は、どちらも他方の後を追いかけ、一方の有るところには他方もまたすでに姿を現しており、両者は互いに随伴し合う相互帰属関係にある。これはつまり、哲学と友愛は、互いに相手から目を離すことは決してないということである。
*8:アリストテレス『エウデモス倫理学』7巻、『二コマコス倫理学』8・9巻
*12:バンヴェニストの『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集』への言及は、1991年以降、年を追うごとに目に見えて頻繁になり、以後最後のセミナーまで途切れることはなかった。
*13:「しかし、将来いかにして、どの媒体〔メディア〕、来るべき解釈学が迎えるどんなシュライエルマハー[Schleiermacher]に差し向けられた、どのヴェールを、織物、fichu WWWeb[忌々しきWWWeb]を相手に、この機織り術の職人(『ポリティコス』のプラトンならばヒュパンテースと呼ぶでしょう)が格闘することになるのか、私たちは知りません。来るべきヴェーバー[Weber]が、その上に署名し、そこで私たちの歴史へ署名を書き込み、この歴史を教えようとするであろう fichu Web[Webという fichu]が何か、私たちには決して知ることはできないのです。」
ーデリダ『異邦人の言語』
*14:“社会空間”を性的なもの/非性的なもので直和分割する際に、法と言語を無前提に等閑視して、経済的なものを排除するような学説は社会学の内部にも存在する。例えば宮台真司の『彷徨える河』論を参照。
*15:オイケイオテースはたいていconvenance[適合、ぴったりしていること]と翻訳される。親しいもの(オイケイオス)。
*16:哲学の主導的問いが存在の問いだとすれば、デリダの問いは、家なき存在の問いと言うことにもなるだろう。
*17:友人と友愛を育むのに時間がかかること、友愛と時間の関係については『友愛のポリティックスⅠ』P33-37を参照。
*18:4200円。298頁。
*19:1800円。720頁。
*20:デリダが「呪われた組織」ENS(高等師範学校)を退職してもう一つの「呪われた組織」EHESS(社会科学高等研究院)に就職したのは、1983年12月末から1984年初頭にかけてのことである。この時期のデリダのアカデミックな研究機関への就職活動の詳細についてはブノワペータース『デリダ伝』P477〜480を参照。
*21:『朝日ジャーナル』1984年5月25日収録。「現代思想がTシャツになる」と聞いて無邪気に喜ぶデリダが垣間見れる貴重な記事である。
プロティノスについて
プロティノス*1とその学派について書かれた以下のテクストを流し読みした。
- ベルクソン『ベルクソン講義録Ⅲ』Ⅳ 霊魂論講義 第3講 「プロティノスにおける霊魂論」
- ベルクソン『ベルクソン講義録 Ⅳ』Ⅰ 「プロティノス講義」
- 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第二巻 神秘哲学』第2部第4章 「プロティノスの神秘哲学」
- ヘーゲル『ヘーゲル哲学史 中巻』第三篇 「新プラトン派」
- ピーター・ブラウン『古代末期の世界 -ローマ帝国はなぜキリスト教化したのか?-』第2章 「ローマ帝国と宗教」
- 水地宗明・山口義久・堀江智編『新プラトン主義を学ぶ人のために』
以下では、プロティノスの生涯およびその思想の歴史的な位置づけ、並びに彼が実質上の創始者となったアレクサンドリア学派(新プラトン主義)の後世への影響について忘れないうちに簡単にまとめておく。
プロティノスの生涯
西暦205年にエジプトの地方都市リュコで生まれたプロティノスが「哲学への愛に燃え立った」のは28歳の時で、彼は当時の大きな学問的運動の中心地であったアレクサンドリアに遊学し、アンモニオス・サッカス*2に師事して11年間に渡り哲学を研究した。三世紀中葉のアレクサンドリアでは文献考証的な学問が育成されていた。ピュタゴラスやプラトンやアリストテレスに関する数多くの注解がそこで生まれ、そうした文献考証的なアレクサンドリアの風土は古典古代のさまざまな哲学書を註釈するプロティノスの講義のスタイルを決定づけることになった。アレクサンドリアから戻ると彼はローマに定住した。40歳の時だった。彼はこの地で学校を開設したが、そこでの教育は大きな成功を収めている。数多くの元老院議員が彼の授業を聴講し、皇帝ガリエヌス*3やその妃サロナもプロティノスを尊敬したと言う。
プロティノスは称賛の念を引き起こしただけではない。周囲の人々にとっては俗世を超越した神的な存在と映ったようである。プロティノスの弟子であり良き理解者でもあったポルプュリオス*4は読心術とでも言うべきものを彼に認めている。ポルプュリオスが自殺しようと思ったとき、プロティノスはそれを見抜いてシチリアへの旅行を勧め、そこでポルプュリオスは立ち直ることができた。
ポルプュリオスはまた、魔法を解く力をも彼に認めている。エジプトのある司祭が悪魔を呼び出してくれとプロティノスに頼んだとき、登場したのは神だった。なぜなら、実際彼に伴っていたのは神だったからである。
ー『ベルクソン講義録Ⅳ』P12
プロティノスにとっては神的なものと接触し、それと合一することが人間に許された究極の浄福であったことは言を待たない。彼自身もその生涯において少なくとも四度の法悦を経験している。プロティノスは270年にローマで66歳の生涯を終えた。彼の最後の言葉は「私は私の内なる神的なものと万物の内なる神的なものとを結びつける努力をしている」であったと言う。
『エンネアデス』
プロティノスの著作は主として聴講者の質問に答えるという形を取っている。それらは晩年の16年間に書き記された。現在にまで伝わっている論文集『エンネアデス』は、301年にポリュプュリオスが編集し公刊したものであり、彼はプロティノスが書き残した各論文の主題の類似性に着目しながら、総じて簡単なものから難しいものへ、短いものから長いものへと移っていく九篇の論文から成る六つのグループをまとめあげた。ポルプュリオスはこれら九篇で一組のグループを「エンネアス(九つで一組みのもの)」と呼び、その複数形である『エンネアデス』が後世においてポルプュリオス編『プロティノス全集』のタイトルとみなされるようになった。
ヘレニズム
プロティノスが書いたものを熱心に読んだのは、厳しく自分を律したおかげで晩年に成功を収めながら、それでも安心立命できないでいる人たちだった。「肉体をまとっていることを恥じてい」たプロティノスと同じく、彼の取り巻き達もまた、霊魂がなぜ肉体と結びつき堕落することになったのかという問題に悩まされていた。彼らは自分たちのことをヘレネス(ギリシア至上主義者)」と呼び、自分たちの考え方のことを「ヘレニズム(ギリシア至上主義)」と呼んでいた。
ヘレニズムは差し当たり、知的な折衷主義、漠たる道徳主義、宗教的には異教的、精神的にはギリシア的な文化として特徴付けることができるだろう。ヘレネスは総じてプラトン以来の伝統的「教養[παιδια]」と深く結びつき、古代末期に東方から伝来したグノーシス派やキリスト教徒の考え方を受け容れようとはしなかった。プロティノスは「エネアス」Ⅱ・9においてグノーシス派の論者を論駁しているし、彼の弟子の一人であるアメリオスもまた、グノーシス派のゾストリエンを論駁する40冊の書物を著している。
キリスト教批判の第一線でもプロティノスの後継者たちは活躍した。ポリュプュリオスは広範な学識に基づいたキリスト教批判を展開しており、その批判は19世紀のキリスト教批判に匹敵する程の水準に達している。また、ポリュプュリオスの弟子だったイアンブリコス*5は、一時的ではあるもののキリスト教徒に勝利した。と言うのは、キリスト教を国教化したコンスタンティヌス帝*6の甥にあたるユリアヌス帝*7をヘレニズムの信奉者に仕立て上げたからである。
プロティノスが身を置いたヘレニズムという保守的な環境は彼に決定的な影響を及ぼした。彼は当然のことながら、東方からの文化的侵略に対してギリシア哲学の総体を対置するよう促された。「ただし、単に並置によってことを運ぶのではなく、ギリシア哲学の思想の地下深くを」掘り下げることで彼はそうしたのだが、「その結果プロティノスは、この思想を湧出せしめた源泉それ自体をも湧出させた程だった」。
後世に与えた影響
ルネサンス期においてギリシア古典期の教養が復活できたのはヘレネスたちのおかげである。キリスト教が国教化された後もアレクサンドリア学派のプロクロス*8がギリシアの神々を称える『神学原論』を書いているし、ギリシア古典期の哲学の最良の部分を受け継いで中世ヨーロッパに伝えた聖アウグスティヌス*9や否定神学の創始者の一人であるディオニシウス・アレオパギタ*10にとってもプロティノスの哲学が重要な意義を果たしている。
プロティノスを実質上の創始者とするアレクサンドリア学派(新プラトン主義)が後世に与えた影響は計り知れない。12世紀に至るまでキリスト教圏やイスラム教圏でギリシア古典期の哲学だと信じられていたのは、実は古代末期においてヘレネスたちが復活させた哲学だった。ルネサンス期の西欧において復興されたプラトンもまた、ギリシア古典期のプラトンそのものではなく、ヘレネスたちが復活させた新プラトン主義のプラトンだったのである。
参考
世界の名著 15 プロティノス・ポルピュリオス・プロクロス (15)(中公バックス)
- 作者: プロティノス,田中美知太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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- 作者: アンリベルクソン,Henri Bergson,合田正人,江川隆男
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- 作者: アンリベルクソン,Henri Bergson,合田正人,高橋聡一郎
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神秘哲学 一九四九年― 一九五一年 (井筒俊彦全集 第二巻)
- 作者: 井筒俊彦,木下雄介
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古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか? (刀水歴史全書)
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*1:205-270年
*2:175-243年頃
*3:在位253-68年
*4:234-305年
*5:240-325年
*6:272-337年
*7:331-363年。古典的教養を身につけ、ヘレネスたちの代弁者たちであった彼は、帝位に就いた後に異教を復活させてキリスト教を転覆しようと専心したが、363年にペルシャ遠征で戦死した。享年32歳。傷口からしたたる血を空に向けてほとばしらせながら彼が残した最期の言葉はよく知られている。「ガリラヤ人(キリスト教徒の蔑称)よ、汝ら勝てり。」
*8:412-485年
*9:354-430年
*10:6世紀頃初頭から東方キリスト教会に現れ、後に西ヨーロッパにも伝えられた文章群の著者と言われる人物。使徒パウロから受洗したアテネのアレオパギタ(裁判官)デュオニュシオスがそれらの文書の著者と信じられてきたが、現在ではプロクロスの影響を受けた人物であることがほぼ定説となっている。
ヘーゲル『懐疑主義と哲学との関係』について
ヘーゲルは生前、自分の著作のごくわずかな部分しか出版しなかった。現在公刊されている彼の著作の大部分は、口頭で行われた講義を聴講者が筆記したものか、いくつかの下書きを寄せ集めた手記を収録したものがほとんどであり、生きているうちにヘーゲル自らの手で公刊された著作はわずかに5点、論文ですら19点しかなく、残りは匿名で出した翻訳が1点、その他は広告文ぐらいしかない。本書のタイトルにもなっている『哲学と懐疑主義の関係』は、まだ仲が良かった頃のヘーゲルとシェリングが、イエナで共同で刊行していた『哲学批判雑誌』に収録された論文である。
だがそれにしても、なぜ懐疑主義なのか?確かにヘーゲルは若い頃セクストゥス・エンペイリコスについて熱心に研究してはいた。けれども、この論文で古代懐疑派が主題として論じられるのは、そのような伝記的な理由だけではおそらくない。というのは、他ならぬヘーゲルその人が、あらゆる"真の哲学"は懐疑主義と「根本的に一致」していると語っているからだ。
とは言え、この論文に懐疑家として名を連ねているのは、ピュロンやアグリッパ、セクストゥス・エンペイリコスのような哲学史において単なる懐疑家として登場する人物ばかりではない。どう言うわけか懐疑派には通常分類されない"真の哲学者"たち、例えば哲学者中の哲学者であるところの『エチカ』を書いたスピノザや『パルメニデス』篇のプラトンまでもが懐疑家として召喚されている。
その理由は、「そもそも、単なる懐疑主義そのものとして登場する特殊な形態しか懐疑主義とみなさないような懐疑主義の捉え方は、哲学の立場の前では無効である」からだ。ヘーゲルからすれば、「哲学体系そのもののうちに、本当の意味での懐疑主義が見出されるのである」。
ヘーゲルは決して懐疑主義だけを孤立して考えたりはしなかった。彼はあくまで懐疑主義を哲学との関係において、「弁証法」的に捉えようとした。ここで言う弁証法[διαλεγειν]とは、有るものを他のものを通して、他のものへの本質的な関係において理解し、ただ単純にそれだけを考えるようなことはしないという意味である。
『パルメニデス』篇の内に純粋かつあらわな形態で登場しているこの懐疑主義は、潜在的にはあらゆる真の哲学体系の内に見い出すことができる。
懐疑主義は単なる懐疑主義者の主張にだけ見出されるのではなく、必ずしも懐疑主義とはみなされない哲学者たちの体系の中にも見出しうる。例えば、スピノザは『エチカ』において、「神は世界の内在的原因であって、超越的原因ではない」と述べているが、この命題においては、原因と結果の概念が互いに矛盾し合うような仕方で結合させられている。というのは、一方で、この命題は「内在的原因」、すなわち結果と一体になった原因を唱えているのだが、そもそも原因は結果とあい対立する限りでのみ原因だと言えるからである。原因と結果の両者が一つの命題の中に結合されて呈示されるならば、その結合は矛盾を含んでいて、両者はそこにおいて同時に否定されている。
ヘーゲルによれば、こうした哲学の命題は全て端的に矛盾し相互に打ち消し合う二つの命題へと解体することができる。例えば、先のスピノザの命題は、《神は原因である》と《神は原因でない》の二極に分解することができる。そして、このような哲学的命題の二律背反的性格において、《あらゆる言説にそれと同等の(正反対の)言説が対置される》という懐疑主義の原理が強烈に現れているのである。
逆に言えば、こうした相互にあい闘う二命題は、すべて「弁証法」的に(と言うことはつまり、相互に他のものを通り抜けるような仕方で)結合することができるとも言える。例えば以下の諸命題はすべて以上に述べたような意味で「弁証法」的であり、従って懐疑主義をその内に含み込む。
- 「有らぬものは有る」(プラトン)
- 「神とは、昼にして夜、冬にして夏、戦争にして平和、飽食にして飢餓である。」(ヘラクレイトス)
- 「思考は存在である。」(パルメニデス)
- 「経験の本質は経験の対象の本質である。(カント)
- 「自我は非我である。」(フィヒテ)
- 「先天的なものは後天的なものである。」(ヘーゲル)
- 「神は万物である。」(シェリング)
論理学がタブーとして禁じるところの矛盾律は、哲学者たちにとっては必ずしもタブーではないことがよくわかる。むしろ逆に、あらゆる哲学の命題は、矛盾律に違反するものを含んでさえいなければならない。もちろん、弁証法に習熟していない一般人にとっては、これらの命題は単なる矛盾した命題であり、「対消滅」している命題であり、まったく間違ったバカげた命題にしか見えないだろう。日常の常識は、こともあろうに卑しくも哲学者ともあろう者がこのような"論理学上の誤り"を犯しているのを見ると妙な優越感を抱くのが常だからだ。
それに対して、どう言うわけか矛盾そのものをその思索の原動力としているヘーゲルは、矛盾が必ずしも哲学的命題の真理性の反証ではなく、むしろその真理性の証拠であるということを告げている。つまり、或る哲学者の任意の思想において何らかの命題が明らかに矛盾しているのだとすれば、その矛盾はおそらく、その思想を蒸発させずに思索せよと読者に命じているのだと言うのである。
真の哲学は全てこうした否定的な側面を持っており、矛盾律を永遠に止揚している。従って、そうしようと思えば誰でも、直ちにこの否定的な側面を際立たせて、どんな否定的な側面からでも懐疑主義を提示することができるのである。
と、万事このような調子でヘーゲルは、古代懐疑派の諸テーゼを"真の哲学"、すなわち、後に「ドイツ観念論哲学」と呼ばれたものの「一要素」として貪欲に取り込んでいく。その意味で、以下に引用する『哲学史講義』の発言は懐疑主義と哲学、とりわけヘーゲルの哲学との関係を明瞭に示していると言えるだろう。
懐疑主義に対しては肯定的な哲学は次のような意識を持ちます。懐疑主義の持つ否定の作用は自分自身の内にあって、この懐疑主義は自分に対立するものでも自分の外にあるものでもなく、自分の一要素をなしている、ただ、否定の作用が真理につながるところは懐疑主義と違うところだが、と。
さて、懐疑主義と哲学との関係について言えば、懐疑主義は具体的内容の一切を弁証法的に解体するものと言えます。真理に関するすべての観念は、内部に否定や矛盾を含む以上、その限界をしめすことができる。そして通常の一般性や無限性はこの次元を超えることができない。というのも、特殊に対立する一般や、限定に対する非限定や、有限に対立する無限は、それ自体が限定されたもの、対立の一方の項をなすにすぎない以上、相手からの限定を受けざるを得ないからです。分析的思考は、こうした限定つきの区別を最終的なものと考えるので、懐疑主義は、そこに攻撃の矢を向けます。
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参考
- 作者: G.W.F.ヘーゲル,Georg Wilhelm Friedrich Hegel,加藤尚武,門倉正美,栗原隆,奥谷浩一
- 出版社/メーカー: 未来社
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- 作者: セクストスエンペイリコス,Sexti Empirici,金山弥平,金山万里子
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注
午前三時の思想/ドゥルーズ『消尽したもの』を出発点に。
立っているよりは座っている方が、座っているよりは寝転んでいる方がくつろげるし気分がいい。去年の10月、ジャック・デリダとロラン・バルトを比較しながら姿勢について書いた時、
- 横になること、寝転ぶこと
これは座ったまま、起き上がることも横になることもできず死をを待つのみというもっとも恐るべき姿勢である。
おそらくベケットにおいて横たわった作品と座った作品(これだけが最終的なものだ)を区別しなければならない。座った状態の消尽と、横たわり、這いつくばり、あるいは釘付けになった状態の疲労との間には本性上の違いがある。-ドゥルーズ『消尽したもの』
横たわる者には、四肢を動かし、這い回って逃げ惑い、体勢を立て直して反撃できるチャンスがまだ残っている。佐藤十兵衛のように。だが、『夜の夢』の登場人物は、横になることもできず、夜が来てもテーブルの前に腰掛けたまま、萎えた頭は囚われた両手の上に置かれている。
夜テーブルの前に腰掛け、頭は両手の上…死んだ手を見るため、死んだ頭をあげた…
閉じた暗い所で板切れの上にはただ頭蓋骨が置いてあるだけ…
両手と頭は一つの小さな塊になり…
-ベケット『夜と夢』
こうなってしまえばもはや《為す術なし》であり、座ったままそこから立ち上がることはもうないだろう。疲れ果てて前のめりに倒れ込んだ者は、単にモハヤ何モ実現スル事ガ出来ナイだけに過ぎない。ところが、消尽した者は、モハヤ何一ツ可能ニスル事サエ出来ナイのだ。『夜と夢』に登場する呪われた人物は、あらゆる疲労の彼方で「さらに終わるために」一切の可能事に向かって絶縁を宣告する。
人はしばしば、白昼夢や覚めたまま見る夢と、睡眠中の夢とを区別することだけで満足する。しかしそれは疲労と休息の問題にすぎない。こうして人は第三のおそらくもっとも重要な状態をとらえ損なうのだ。それは〔…〕不眠の夢(それは消尽にかかわる)である。消尽したもの、それは目を見開くものである。われわれは眠りながら夢を見ていたが、いまや不眠のかたわらで夢を見る。-ドゥルーズ『消尽したもの』
人は疲れるものであり、だからこそ眠ることができる。逆に言えば、疲れを知らない消尽した者は眠ることができない。もしそうだとすれば、疲労と消尽とが「本性上」異なるものである以上、疲労の果てに眠りの中で見る夢と、消尽した者が不眠のかたわらで見る夢の「本性上の違い」を見届けた上でなければ、このエントリーを真の意味で「終わらせる」ことはできないことになるだろう。
イメージは、それ自身の消滅や散逸の過程と不可分なのだ。その過程が時期尚早にせよ、そうでないにせよ。イメージとは一つの呼吸、息吹であるが、それは消滅の途上で吐き出されるものだ。イメージは消えるもの、己れを使い果たすもの、すなわち失墜である。それはその高さ、すなわち零以上のその水準によってそれ自体定義されるような純粋な強度であり、強度は、ただ落下することによってその水準を描くのだ。-ドゥルーズ『消尽したもの』
イメージとは消えゆくもの、消尽するもの、「すなわち失墜である」。あるいはただ落下することによってのみその強度を測定しうるような『崩壊』と言い換えてもいい。《人生とは崩壊の過程である》という書き出しで始まるスコット・フィッツジェラルドのエッセイほど不眠症者の生み出すイメージ=夢についてのドゥルーズの考えを要約しているものは他にない。
もしも不眠症が属性の一つになるとするならば、それは三十代の後半に現れ始める。あの七時間という貴重な睡眠時間は、突然二つに分裂する。幸運な人であれば夜になって最初に訪れる甘美な眠りと朝方の最後の深い眠りとがあるわけだが、この二つの中間に、不吉な絶えず拡がってゆく間隙が生まれる。-フィッツジェラルド『眠っては覚め』
ぼくはたいてい寝酒を飲んでベッドに入るー同時にやる仕事として、かなり堅苦しい読書をいくらかやる。そういう主題の、比較的薄い本を選び、最後の葉巻を吸いながらうとうとするまで読み続ける。いよいよあくびが出始めたところで、しおりを挟んで本を閉じ、煙草を暖炉に捨て、電気のボタンを押す。最初は左を下にして横になる。そうすると心臓の鼓動が落ち着くと聞いたことがあるからだ。すぐにー昏睡。-フィッツジェラルド『眠っては覚め』
起きて散歩をする。寝室から廊下を通って書斎へ行き、また寝室に戻る。もし夏であれば裏のヴェランダへ出る。-フィッツジェラルド『眠っては覚め』
戦争の夢。日本人が至る所で勝利を収めーぼくの師団は支部五裂し、ぼくは隅々まで知り尽くした土地であるミネソタ州の片隅で守勢にまわっている。そのころ会議を開いていた司令部員と大体指揮官たちは、一発の砲弾によって殺された。フィッツジェラルド大尉が指揮をとることになる。堂々たる威厳をもって…。-フィッツジェラルド『眠っては覚め』
ーしかし、それまでのこと。この夢もまた何年もの使用で薄くすり減ってしまったせいで何の効果もない。不眠症者は眠りを誘発するあらゆる可能性を尽くした後、結局また
裏のヴェランダに戻り、精神の激しい疲労と神経の異常な緊張のせいでー震えるヴァイオリンを奏でる毛の切れた弓のようにー屋根の上に、夜いっぱいのタクシーの甲高い警笛の音や家路を辿る放蕩者の歌声の中に本物の恐怖が広がってゆくのが分かる。恐怖と浪費とー。浪費と恐怖ーぼくがそうだったかもしれないし、したかもしれないもの、つまり失われ、使い果たされ、過去のものになり、霧の晴れるように跡形もなくなって、二度と捕らえられないもの。たとえばこんなことを自制し、臆病だったのを大胆に、無分別なのを慎重に、そういうふうに行動することだって出来たはずだ。ぼくはあんなふうに彼女を傷つけなくてもよかった。ぼくは彼にこんなことを言わなくてもよかった。壊れないものを壊そうとして、自分自身を壊さなくともよかった。恐怖は嵐のように襲いかかったー今夜が死後に訪れる夜の前兆だとすればどうだー以来ずっと奈落にのぞむ断崖で震え続けるとすれば、自己の中にある下劣で邪悪なものが人を前進させ、世間の下劣と邪悪が目の前にあるとすればどうだ。取捨選択はない、道はない、希望はないー薄汚ない、悲劇じみたものの反復があるばかりだ。さもなければ、通過することも後退することもできずに永遠に境界線に立ち尽くすことだろう。時計が四時を打つころには、ぼくは一個の幽霊になっている。ベッドの傍らで、ぼくは両手に頭を埋める。やがて静寂ーそして静寂ーそして突然ーあるいは後になって思い出すとそうなのかもしれない。ー突然ぼくは眠っている。
眠りー本当の眠り、いとしきもの、秘められたもの、子守歌。ぼくを包み、平和や無の中に導いてくれるベッドと枕とは、とても深く暖かいーやがて暗黒の時間に浄化されたあとに、ぼくの夢が訪れる。
-フィッツジェラルド『眠っては覚め』
《人生とは崩壊の過程であ》り、空高く舞い上がり、落下することによってのみその高さが測られるような強度である。
人生は、つまり、そんなものだった。忘却の瞬間に、生は高く舞い上がり、突然、枕の中に深く落ちて、落ちてゆく。
われわれの文化において、「眠らずにいること」、見開かれたまま夜を開き、かつ祓い除ける目が担う栄光の意味を、睡眠を睡眠たらしめ、夢を妄想であると同時に運命の呟きたらしめ、光の中に真実をきらめかせる注意深い忍耐力が帯びる権勢の意味を、いつかは問わなければならいだろう。朝の覚醒のうちに、そして夜、他者が眠る中で明晰さを保つ徹夜状態のうちに、西洋はおそらく自らの根本的限界の一つを描き出してきた。-フーコー『夜明けの光を見張って』1963年
寝ずの番のテーマは重要です。このテーマは、牧人の献身なるものが持つ二つの側面を見せてくれます。第一に、牧人は、十分に食べ物を与えられたあと眠りこんでいる羊たちのために行動し、働き、そして献身します。第二に、牧人は、羊たちの様子を見守ります。群れの羊の一頭たりとも見失うことなく全ての羊に注意を注ぎます。かれは、群れをその全体において、また細部において知ることを求められているのです。
牧人的権力とは、群れのそれぞれの構成員に対する個別的な配慮を前提としている訳です。
われわれの社会だけが、莫大な数の人々の群れを一握りの牧人が相手にするという不思議な、権力のテクノロジーを発展させてきたのです。
-フーコー『全体的なものと個別的なもの』1981年
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眠れない夜のためのブックリスト
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ドゥルーズの手によるベケット論『消尽したもの』(1992年)の他、『夜と夢』など、ベケットのテレビ作品の台本が四本収録されています。
僕の大好きな『眠っては覚め』、『意味の論理学』でドゥルーズが論じた『崩壊』、村上春樹が「A+の傑作」と評する短編『バビロン再訪』を読むことができます。不眠との関連では、『崩壊』三部作の一つ『取り扱い注意』がオススメです。
フーコーの初期の文芸評論を集めた本です。ブランショの弟子ロジェ・ラポルト著『夜を徹して』(1963年)の書評『夜明けの光を見張って』(1963年)が収録されています。タイトルの『夜を徹して』の一語が喚起する「徹夜」「夜警」「見張り」「不眠」「覚醒」などの諸テーマは、言うまでもなく、『監視と処罰』における一望監視装置の分析や、晩年の牧人司牧型権力の分析へと接続することができるでしょう。
フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治 (ちくま学芸文庫)
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本文の最後で引用した『全体的なものと個別的なもの』(1981年)が収録されたフーコー晩年の論文をまとめた本です。
《存在と不眠》について考え続けたユダヤ系哲学者の小論です。
著者は不眠症ではありませんが、過眠症を患っていたと言われています。本書にかぎらず『今夜、すべてのバー』でなどの作品においても、眠りについての興味深い記述を発見することができます。
過去記事
注
*3:「早く逝きし者が下降して到達するくにが、夕べのくにである。トゥラークルの詩を凝集させている場所の、場所としての性質は、隔絶した寂寥の地の隠れた本質なのであり、「夕べのくに」[Abendland]〔すなわち、西の国、西欧〕と呼ばれる。この夕べのくには、プラトン的-キリスト教的なくに、さらには、ヨーロッパという名で考えられるくによりも古い、すなわち、より早期のものであり、従って一層有望なくにである。というのは、隔絶した寂寥の境とは、高まりつつある世界年[Welt-Jahr]の「原初」であって、頽落の果ての深淵ではないからである。」
P・M・シュル『機械と哲学』について。
もしも道具がいずれも人に命じられるか、あるいは合図を受けるだけで、そのなすべき仕事を完成することができるなら、…職人の親方は下働人を必要とせず、また主人は奴隷を必要としないだろう。
ーアリストテレス『政治学』第1巻第4章
この点に関するディドロとダランベールの報告を引いておく。
機械的技術を実践することは、あるいは研究することさえも、その探求は骨折り多く、その省察は、下賤であり、それについての説明は困難、それと関わりを持つことは不面目、その数は尽きることなく、そしてその価値は取るに足らぬような事柄にまで身を落とすことであると、信じさせられるようになっていた。ーディドロ、ダランベール『百科全書』P297
機械的技術は手の働きに依存し、一種の伝承的手法の、この語を私が使ってよければ、奴隷となっているため、人間の中で偏見のために最下層の階級に置かれている人々に委ねられてきたのである。
ーディドロ、ダランベール『百科全書』P59-60
- 作者: ディドロ,Didorot,ダランベール,d’Almbert,DALMBERT,桑原武夫
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『機械と哲学』を読みながら、ふと最近読み終えたばかりの藤村シシン著『古代ギリシァのリアル』の中で、《なぜヘファイストスはひどい扱いを受けるのか》を巡ってまるまる1章が割かれていたことを想い出した。確かに、鍛冶の神、要するに職人的技術の神であるヘファイストスは、美しいオリンポスの神々の中で、「例外的に外見をボロクソに言われるほど醜く、また足も不自由で杖を付い」た姿で描かれている。例えばこうである。
この私(ヘラ)の産んだ子ときたら、あらゆる神々の中で虚弱で、脚の悪いヘファイストスだった。私はあの子の両手をつかんで海に放り投げてやったわ。
『アポロン讃歌(讃歌第3番)』
それは貴族的なギリシャ神話の世界観の中で、鍛冶屋の地位が低かったことを反映しています。鍛冶屋は職人として利用されますが、そこまでの尊敬をもって接せられる存在ではなかったのです。古代ギリシャの中では、ヘファイストスをオリンポス十二神の中に数えていないアルカディアのような地方もあるくらいです。
◆
P・M・シュルが提起する「反機械的」メンタリティの概念は、奴隷制を廃棄し、人類に真の自由をもたらすはずの機械=ロボットを作ることができる神、すなわち、《職人的技術の神ヘファイストスがなぜオリンポスの神々の中で最下級の地位に甘んじなければならないのか》を別の側面から説明してくれている-と、そんなことを考えながら『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を観始めた。
参考文献
(1)P・M・シュル『機械と哲学』
同書収録のエッセイ『古代思想史の課題』の中で『機械と哲学』が言及されています。
(3)ハイデガー『技術への問い』
技術[τεχνη]の本質を突き詰めて考えた場合、因果性の問いに行き着くのですが、本書は技術を出発点に因果性と自由の絡み合いについて考察したものです。
過去記事
注
*1:アリストテレスは『政治学』の中で、人間が人間でいるためには労働ではなく暇[schole]こそが重要だと述べている。古代ギリシアの市民は、大抵の場合2人~4人の奴隷を所有していたため、自分で働く必要がなかった。そのせいもあって労働は、「自由人らしくないこと」と見なされ、軽蔑の対象となっていた。
*2:なお、人間の機械的側面に注目した哲学者としてはライプニッツを挙げることができる。彼は「われわれはわれわれの行動の四分の三では自動人形である」と書いている。
*3:興味深い例外としては、シラクサを包囲したマルケルス指揮下のローマ艦隊を撃退した兵器「アルキメデスの装備」を挙げることができるだろう。
岩明均『ヘウレーカ』P51。
ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について
上手に問題を出す
答えを出すことよりも質問することの方が難しい。質問の仕方が不味ければ正しい答えを出せるはずもないし、答えが見つからずに悩んでいる時は質問の仕方がそもそも良くない場合が非常に多い。或る問題が一向に解決を見ないのは、答えばかり知ろうと焦るあまりに、問題を上手に立てることをおろそかしているからではないだろうか。
ちきりんでも室井佑月でも、なんか学校でいた「この問題わかんないから答え教えて! 難しいことわからないので答えだけでいいから!」っていう友達思い出すんだよねえ。お前、答えだけ聞いてわかったつもりになっても、なんでその答えになるか考えられないと意味ないだろう、みたいな。
— 津田和俊@てっぽう撃つでぇ (@kaztsuda) 2015年1月6日
たとえ正しい答えを知ることができたとしても、その答えを出すに至るまでのプロセスを知らなければ、学生がよくやる一夜漬けのその場しのぎと同じことだ。問題と答えの関係を巡るその辺りの事情を指摘して、小林秀雄は『人間の建設』の中で次のように述べている。
答えより問題、答えを出すことよりも何が問題なのかを的確にとらえて上手に質問することの方が大切だということ。小林秀雄が明治大学の講義の中で、上手に質問するということを学生たちに学ばせるための「うまく問題を出す訓練」の時間を設けていたのはそのためだ。
小林
さあ何でも聞いてください。何でも聞いてくれてかまわないが、僕はどんな質問にも答えるということではありませんからね。僕の仕事は質問に答えることではないですから(会場笑)。
むしろ、僕はいつだって問題を出したい立場なのです。
僕は明治大学で十年ばかり教えていました。そこでよく質問時間というものをこしらえまして、生徒諸君に色んな質問をさせたのです。
それで生徒諸君が何か質問をしますと、「どうして君はそんな質問をするのか?」と逆に訊いたものです。
ずいぶん、そういうことがありました。
ー 小林秀雄『学生との対話』
問題は提起されれば解決する
ところで、答えを出すことよりも問題を出すことの方を重視するこの態度を小林は誰から学んだのか?答えは簡単で、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンからである。小林と同じく、答えよりも問題の方を重視するジル・ドゥルーズも、その著書『ベルクソンの哲学』の中でほぼ同趣旨のことを語っている。
哲学においても、その他の場合でも、問題を解決する以上に、問題を発見すること、したがって問題を提起することが重要だというのが真実である。なぜならば、思弁的問題は、提起されれば解決されるからである。
ー ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』
問題は提起されれば解決する。本当に大きな問題の時はとりわけそうであり、それゆえ、答えよりも問題を出すことの方が重要である*1。実際、答えを出す時にだけ真偽の判定が問題となるというのは子供じみた偏見であり、この偏見は学校教育に由来する。教室において問題を与えるのはいつでも先生の方であり、生徒の仕事は与えられた問題の答えをただ探すことだけである。この偏見に満ちた役割分担によって、生徒たちは一種の隷属状態に置かれていると言って良いだろう。従って、
問題は、提起されれば解決されるのだから、答えを出す能力よりも問題を提起する能力の方がより一層重要である。というのは、答えは、たとえそれが隠され、覆いをかけられていても、問題が提起されるや否や答えは直ちにそこに存在しているからである。問題が新たに提起されるや否や、私たちに残されるのは、ただその覆いを取る=発見することだけである。発見はいつでも既に存在しているものに対してなされるものであり、答えというのは遅かれ早かれ必ず見つかるものだ。
それに対して問題を提起することは、既にどこかに存在するものをただ単に発見することではない。問題を提起することは、問題を創造することであり、それまでには存在しなかったものを新たに存在させることを意味している。したがって、答えではなく問題そのもののレベルで真偽の検証を行い、ニセの問題を退けて、新しく問題を創造し提起することが必要になってくる。
ニセの問題
だがしかし、答えの真偽ではなく、問題そのものの真偽を判定する場合、私たちはいったい何を基準にすれば良いのだろうか?世間一般の常識では、一つの問題が真であるか偽であるのかを、それが解決できるのかできないのかによって判定するのがふつうである。ところが、そうした通説に対して、ベルクソンの方法の優れた点は、〈ニセの問題〉という表現によって《問題そのものが偽であるとはどういうことか》についての定式化を試みたことにある。すなわち、
ニセの問題には二種類ある。
一つは〈存在しない問題〉であって、それは関係項自体が多と少の混乱を含んでいるということによって規定されている。
もう一つは〈提起の仕方のよくない問題〉であり、これはその関係項がよくない分析をされている混合物を表象しているということによって規定されている。
ー ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』
⑴存在しない問題
第一のタイプのニセの問題、すなわち〈存在しない問題〉の例としては、ルソーが『人間不平等起源論』の序文の中で批判した「自然状態の人間」についてホッブズの立論を挙げるのが適当だろう。周知のように、この問題に対するルソーの批判は、社会よりも非社会(「自然状態」)の方に、「より少ないもの」ではなく「より多いもの」が含まれていることを暴露することから成り立っている。その部分を読んでみよう。
結局、社会の根拠について考えた人々〔ホッブズたち〕は誰も、自然状態の人間に到達することはできなかった〔…〕彼ら〔ホッブズたち〕は、社会のなかで得られた考えを自然状態へと持ち込み、野生の人について語っているにもかかわらず、社会人を描いていたのだった。
ー ルソー『人間不平等起源論』
ホッブズは「自然状態の人間」から「社会」を営む人間への移行、要するに「野生」から「文化」への移行を、非社会的なものから社会的なものへの移行というかたちで考えているのだが、ルソーによればこの問題設定はそれ自体が循環論法であり、「存在しない」ニセの問題である。
その理由は、ホッブズが用いる「自然状態」という観念は、社会や文化の諸構造そのものをあらかじめ投影したものにすぎないからである。ホッブズは「社会のなかで得られた考えを自然状態へと持ち込み」「自然状態の人間」について語っているにもかかわらず、実際には「社会人」を描いているにすぎない。
つまり、ホッブズの用いる「自然状態の人間」という観念の中には、既に社会的なものの観念が含まれていて、それに加えて「社会」の否定とその否定の心理的モチーフがある。「自然状態」から社会状態への移行を論じる時、ホッブズは「より多くのもの」(「自然状態」)を「より少ないもの」と取り違え、あたかも「自然状態」(=非社会)が社会に先立つかのように振舞っている。だが実際には、ホッブズは、社会状態を考えるために必要な文化的特質の全てをこの「自然状態の人間」に付与しており、社会状態から逆算して「自然状態の人間」を導出しているだけである。
ホッブズに向けられたルソーの批判は、私たちが今日なお自分たちの問題として検討する価値を持つような一つの真理を明るみに出している点で、特筆に値する。ホッブズが「自然状態」から社会状態への移行という形で考えていたことは、単に社会的な人間が可能となる条件を、非-社会(=自然)という形で考えるという点で一つの「幻想」の虜になっているにすぎない。
「社会」は、それ自身のイマージュを、はじめから有るとみなされている「自然状態」という「否定的なもの」へと投影する。そうすることで、「社会」は、それ自身に先立つものとして、自らの否定的な鏡像であるところの「自然状態」を事後的に遡って見出すのである。
「自然状態の人間」というニセの問題は、「社会」が自らに先行するものとして「自然状態」をでっち上げる時、逆に言えば、「社会」が自らの否定的イマージュの背後に「後退」する時にはじめて可能になる。以上に述べたニセの問題の起源としての「否定的なもの」というこのテーマは、後にドゥルーズの哲学におけるライトモチーフとなり、「否定」や「欠如」に対する彼のその後のあらゆる告発を準備している。
⑵提起の仕方の良くない問題
第二のタイプのニセの問題、すなわち〈提起の仕方のよくない問題〉は、精神分析で言うところの去勢不安がその典型だろう。
フロイトによれば、母親の裸体を見た子供は、感覚が証言するところに従って、この世にはペニスを持たない人間がいることを認めざるをえなくなる。だが、幼児はこのいやおうなく確認せぎるをえない事実を両性における解剖学的相違をあらわす用語(ペニス/ヴァギナ)によってすぐに解釈しようとはしない。それどころか、心の奥底では永久に解釈しないことさえある。
幼児は、人は皆、はじめはペニスを持っていたのだと信じているため、自分が見たもの(母親の裸体)は、ペニスが切断された結果だと考える。その結果、男児の場合は、自分もこれから同じような目に会うのではないかという恐怖に襲われ、女児の場合には、自分はすでに去勢されてしまったのではないかという恐怖にさいなまれる。そして今度は逆に、ほかでもないその恐怖が、母親の裸体の上に投射されて、解剖学なら単に質的に異なる二つの人体構造を見るにすぎないところに、ある種の不在を読みとってしまう。
去勢の筋書は、おおよそこんなところである。上に述べた幼児の去勢不安、すなわち、ペニス/ヴァギナという質的に異なる二つの性器を混同し、女性器を男性器の「欠如」や「不在」として解釈することは、「提起の仕方の良くない」ニセの問題である。女性器に固有の特徴を、それとは質的に異なる男性器の特徴と混同するならば、性器という概念は、「質的に異なるさまざまな規定の不純な混合を含むことになり」、その結果、幼児は、《自分もペニスを切られるのではないか》とか、《自分はすでに去勢されてしまったのではないか》などというニセの問題に苛まれることになる。
まとめ
以上に述べたことをまとめると、
- 答えを出すことより問題を出すことの方が重要である。
- 上手に提起されれば問題は自ずと解決する。
- ニセの問題には、⑴存在しない問題と⑵提起の仕方のよくない問題の二種類がある。
さらに突っ込んで言えば、第二のタイプのニセの問題は、第一のタイプのニセの問題と深いところでつながっている。去勢不安の例で言えば、ペニスとヴァギナという互いに質的に異なる二つの性器があると考えるかわりに、男性器についての一般的な観念だけを保持し、女性器をそれに対立させて考えるとき、男性器の「欠如」=「より少ないもの」としての女性器という誤った観念が生まれるのである。要するに、より多くのもの/より少ないものというカテゴリーを用いて考える度ごとに二つの性器のあいだにある質的な差異が無視されているのである。
結局のところ、⑴存在しないニセの問題は、以上のような仕方で、⑵提起の仕方の良くないニセの問題に基づいている。そして、
すべてを多いか少ないかを媒介として考え、もっと深いところでは質的な差異があるところに段階の差異、強度の差異しか見ないのが、思考一般の誤りであり、科学と形而上学の誤りである。ー ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』
人間にはより多くのもの/より少ないものというカテゴリーを用いて物事を考えようとする傾向がある。つまり、質的な差異のあるところに段階的な差異を認めようとする傾向が人間にはある。
要するに人間は、上に述べたニセの問題の二つの側面に対応する「不可避の幻想」の虜になっている。この「幻想」は、ドゥルーズに従えば、人間の理性のもっとも深いところにあり、解消することができるような性質のものではない。その意味でこの「幻想」は人間にとって「不可避」であり、人間はそれを単に「抑圧」することしかできない。
「われわれは単純な誤謬(ニセの解決)とたたかうべきではなく、もっと深いものとたたかうべきだ」とドゥルーズが言う時、彼が標的にしているのは、まさにこの「不可避の幻想」のことに他ならない。
質的な差異があるところに段階的な差異をみとめてきたというのが、ベルクソンの哲学のライトモチーフである。
ー ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』
…etc、Xとは質的に異なる何かをXの否定ないしXの欠如という仕方で表象し、「質的な差異」を「段階的な差異」にすり替えて満足するありとあらゆるニセの問題の告発に応用することができるだろう。
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参考
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