学者たちを駁して

人文書中心の読書感想文

哲学にとってタブーとは何か?/デリダ『精神について』Ⅰを読む

精神分析家としてのデリダ

デリダは常に精神分析家の眼差しで哲学者を眺めている。彼にとって、哲学者とは何よりもまず神経症者であり治療の対象である。けれども、生きた生身の人間を治療すべき対象として扱うのは言うまでもなく大変に無礼なことだ。ましてや医者でも何でもない人間にお前はヒステリーだと言われ、治療が必要な病人として扱われたらふつうは怒る。だが、生前のデリダは勇敢にもその種の無礼を何度となく働いて相手を激怒させてきた。例えば、フーコー*1やサール*2との論争などはその典型例である。要するに、生者に対する精神分析はイヤラシイのだが、もちろんデリダはそうした"治療"が不可避的に孕む背徳性を十分に承知していた。自分と同時代を生きる人々について語るとき、彼がどこか遠慮がちに見えたのは多分そのせいだろう*3

それに対して本書『精神について』(1987年)でデリダが取り扱うのはハイデガーである。当時、ハイデガーは既に生者ではなく天に召されており、フーコーやサールのように本人から恨まれる心配はまったくない。配慮すべきはせいぜい遺族や相続人を自称する者たちぐらいであり、デリダにとっては単なる雑魚にすぎない。したがってデリダは誰に憚ることなくハイデガー精神分析の毒牙にかける。死者を相手に手加減は無用なのである。実際この本において、ハイデガーの死体はめった打ちにされ、ほとんどデリダの玩具と化している。死者を鞭打つデリダの姿は見ようによっては残酷そのもので、彼の持つドSな本性[φυσις]が文章の端々からにじみ出ており、その意味で本書はドMの読者にとってはたいへん好感の持てる清々しい作品に仕上がっている。

デリダハイデガー存在論を認めまいと腹に決めた。彼にとって、ハイデガーの不可解な振る舞いは強迫神経症の数ある症例の一つでしかない。例えば、ハイデガーにとって《存在の問いを反復すること》は、アメリカとロシアという二つの凶々しい力に挟まれて苦境に立たされていた当時のゲルマン民族の「現存在の元初」を反復し、それを「別の元初へと変身させること」を可能にする一つの手段としての意味があったが、デリダの冷め切った眼には、単に強迫行為の機械的な繰り返しとしか映らない。精神分析の教えに従えば、神経症者はすべて例外なく精神の面で一種の幼稚さを示すものであり、彼や彼女は幼稚な状態(=元初)から抜け出せなかったか、その状態に逆戻りしているかのどちらかである*4ハイデガーの場合は後者である。本書で主題として分析されるゲルマン民族の「精神」に対するハイデガーのアンビヴァレントな態度もまた、デリダにとっては哲学者が患う強迫神経症の典型的な症状にすぎず、ある特定の幼児退行形式の機械的な再生に他ならない。

ハイデガーの精神論の両義性

「精神」に対するハイデガーの態度は常に曖昧で両義的だった。例えば、1927年刊行の『存在と時間』の中で、ハイデガーは、精神[geist]という語を「避ける」べきだと警告している。そして、ソレカラ25年後、ようやくその禁令が解除された『詩のなかの言語』(1953年)*5において、自分は「精神」を常に注意ぶかく避けてきたとハイデガーは証言している。その言葉を信じるなら、ハイデガーは25年間ずっと、『存在と時間』で自ら立てた誓いを守り、「精神」を一貫して避け続けていたことになる。一見そう見える。だが、より詳しく見ていくと、ことがそう単純ではないことがすぐにわかる。

―「精神」を避けるべし。「精神」という言葉は、使用してはならず、口に出してはならず、近づいてはならず、けっして触れてはならない。「精神」に対して馴れ馴れしく近づく者は、主体や意識や人格(要するに非-物)の存在を問い質すことが出来ぬデカルトと同じ不能性に陥ってしまうこと請け合いである―。『存在と時間』で自らに課したこのタブーをハイデガーは最後まで守り切ったと言えるだろうか?答えはノーだ。というのも、ハイデガーはまさにその間、「精神」の使用を「避ける」どころか、その語を頻繁に使用し、あろうことか、「精神」の名の下に『自己主張』さえしていたからだ。

例えば『存在と時間』が発した禁令から3年後の『シェリング講義』(1930年)では全部で210回もの「精神」が出現する*6。この講義のページ数は全部で368ページであり*7、実に2ページに1回以上の出現頻度である。これはけっして少ないとは言えない確率だ。この講義だけが特別なのだろうか?そうではない。というのは、デリダの調べによると、『シェリング講義』に限らず、『ドイツ的大学の自己主張』(1933年)においても『形而上学入門』(1935年)においても、「精神」という語はけっしてはぐれメタルではないからだ。

避けるべきだと知っていたものを避け損なったのであろうか? 彼が避けると、いわば自分に約束したものを? 避け忘れたとでもいうのだろうか? それとも、今から危ぶむことができるように、物事は縒れていて、違ったふうに絡んでいるのか?

つまり、ハイデガーのある時期のテクストには、語「精神」を巡って相互に解消不可能な二重の事態がある。一方には、「精神」の使用を自ら禁じ、この語を常に注意深く避け続けてきたと称するハイデガーの証言がある。他方には同一人物による「精神」への頻繁な言及とその使用がある。互いに矛盾するこれら二つの事態を指摘するところから本書は出発し、次のように問いかける。

ハイデガーが追放せよと命じるものを前もってわれわれが禁止する義務はない。どうしてこの命令と追放を毅然と問い質してはならないのか?

こうして読者は、「精神」を避けよと命じるハイデガーのこの「命令と追放」を「問い質す」道へと誘われることになる。その際、重要なことは、デリダがドイツ語の避ける[vermeiden]が持つフランス語には無い微妙なニュアンスに注目していることである*8。ドイツ語のvermeiden[避ける]は、デリダによれば、「否認」ではない。ハイデガーは「精神」を認めないわけではけっしてないからだ。かと言ってそれは、向こうから飛んでくるボールを避けると言う意味での「回避」とも異なる。ハイデガーが避け損なったのはボールではないからだ。

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サザンクロス(『新テニスの王子様』より)*9

vermeidenの翻訳に賭けられたもの

「避ける」の言わんとするものは何か、とりわけハイデガーにおいては?それは必ずしも回避[evitement]や否認[denegation]ではない。

何が問題なのか。vermeiden[避ける]の翻訳が不可能であることが問題なのである。フランス語のevitement[回避]やdenegation[否認]ではドイツ語のvermeiden[避ける]が孕んでいる独特のニュアンスをうまく伝えることが出来ない。これらのフランス語は、vermeiden[避ける]の訳語としては「不十分なものである」。なぜなら、これらの語は、vermeiden[避ける]という語を「習慣的に」使用するフロイトの「精神分析」が、ハイデガーの「存在の問いに晒される」「場所」を「計算に入れること」「から程遠いところにいる」からだ。vermeidenの適切な訳語を持っていないフランス人に出来ることと言えば、ただそ「の場所」に「接近することだけ」なのである。

これらのカテゴリーは、習慣的にそれを働かせる言説が、たとえば精神分析の言説がvermeidenの経済を、それが存在の問いに晒されるの場所場所で計算に入れない限りにおいて、不充分なものである。この計算に入れること[prise en compte] - これは言いうる最小のことだが - われわれは、そこから程遠いところにいる。 そして私が今日やってみたいと思うことは、そこに接近することだけだ。

デリダのこの指摘は、おそらくvermeidenのフランス語訳だけに当てはまる問題ではない。vermeidenの日本語訳もまた、それと同様の問題を孕んでいる。翻訳者の港道隆は、vermeidenを「避ける」と翻訳しているが、この訳語では、向こうから飛んでくるボールを避けるという意味での「回避」とほとんど区別がつかない。要するに日本語「避ける」でもドイツ語のvermeidenが持っている固有のニュアンスがうまく伝わらないのである。しかも、日本語の「避ける」は、フロイト精神分析ハイデガーの存在の問いが交錯する「場所」へと読者を導いて行かないと言う意味でも「不十分なもの」である。したがって、日本語の「避ける」は、vermeidenの訳語としては、二重の意味で「不十分なもの」なのだ。したがって、日本人もまた、デリダと同様に、ドイツ語のvermeidenが持つ微妙なニュアンスを掴むべくそれに「接近すること」を試みなければならないということになるだろう。vermeidenの翻訳不可能性の問題はけっして他人事ではないのである。

次のことが問われている。

  • フランス語にも日本語にもないドイツ語のvermeidenに固有の意味とは一体どのようなものか?
  • vermeidenの訳語として日本語の「避ける」が不十分なのは具体的にはどの点でか?

だが、デリダが求めるのはそれだけではない。彼にとって、vermeidenに固有の意味へのこの「接近」は、同時にまた、ハイデガーフロイトの「起こらなかった出会い」を成就させる「場所」を与えるものでなくてはならない*10。したがって、今や読者は、vermeidenの固有の意味に「接近する」に際して、フロイトがこの語をどのように使用していたかについて前もって知っていることが求められているのである。

タブーの両義性について

フロイトは『トーテムとタブー』の中で、オーストラリアやメラネシアなど"未開社会"で幅広く観察される近親相姦の禁止の「風習」に言及して、次のように述べている。

この風習ないし風習的禁止はvermeidungと名づけてもよい。

ドイツ語のこの名詞vermeidungの日本語訳はどうなっているか?「回避」や「否認」とは訳されていない。なぜか。「回避」や「否認」では、vermeidungが持っている「神聖とも言うべき嫌悪の要素が考慮されていない」からである。神聖であり、なおかつ嫌悪の要素を含むvermeidungの訳語として選ばれるのは「忌避」である。

話を戻すと、動詞vermeidenの意味は、確かに「避ける」だが、向こうから飛んでくるボールを回避するという意味で「避ける」のではなく、何かを認めることを拒絶する(否認する)という意味で「避ける」のでもない。ハイデガーは「精神」を、飛んでくるボールを避けるように避けたのではなく、神聖かつ忌まわしいものとしてそれを避けたのである。vermeidenが有るものを「避ける」のは、それが聖なるものであり、同時にまた、嫌悪を引き起こす忌まわしいものでもあるからだ。『精神について』の日本語訳が採用した「避ける」が翻訳として「不十分」なのは、vermeidenが持つ神聖な忌避の要素を十分に伝えることができていないからなのである。

vermeidenの訳語としては、「忌避する」の方が、ハイデガーフロイトの「起こらなかった出会い」が成就する「場所」により近く、デリダが『精神について』で「接近」を試みている「場所」により近い。というのも、この訳語は、少なくとも、「精神」を忌避すべし[vermeiden]と命じるハイデガー定言命法(タブー)を、『トーテムとタブー』で行われる強迫神経症精神分析へと接続することを可能にしてくれるからだ。

『トーテムとタブー』は、"未開社会"においてタブーを固く守る人々を「強迫神経症者」とみなしてその行動様式を分析した。ポリネシア語Tabuの翻訳不可能性についてフロイトはこう言っている。

タブー Tabu というのはポリネシア語であるが、これを訳すことはわれわれには困難である。というのは、われわれはこの語をあらわす概念をもはや持っていないからである。古代ローマ人はまだこのタブーなる概念をよく知っていた。ラテン語のsacer[聖なる]はポリネシア人のタブーと同義だったのである。ギリシア人のαγος[触るべからず]、ヘブライ人のKodausch[聖なる]も、ポリネシア人がタブーという語によって、〔…〕言い表すものと同一の事柄を意味していたにちがいない。

タブーの翻訳が不可能なのは、その意味が両義的だからである。一方では「神聖な」とか「浄められた」とかを意味し、他方ではその反対の「不気味な」とか「不浄な」とか「禁じられた」とかを意味するのである。ポリネシアでのタブーの反対語はnoaであり、「誰でも近づきやすい」という意味がある。裏を返せばタブーには、常に「遠慮」や「忌避」の要素が含まれており、実際タブーは禁止や制限といった形をとって現れることが常なのである。

精神分析との連関をほのめかしながらハイデガーのvermeiden[忌避する]の翻訳不可能な意味を強調するとき、デリダは、読者に対して、タブーにまつわる上に挙げられたすべての意味論とそれに関する『トーテムとタブー』でのフロイトの分析を一挙に想起=回帰させることを企てているのである。

哲学にとってタブーとは何か?

フロイトは、タブー(忌避)の問題を"未開社会"や歴史以前の社会の中だけに閉じ込めたりはしなかった。私たちが生きる現代の社会にも、タブー的禁止を自分ひとりでつくって、"未開人"がそれを厳守するのと同じように、それを固く守っている人たちが大勢いるからである。このような人々のことを、フロイトは「強迫神経症者」と呼んでいる。

哲学者とてその例外ではない。特定の概念を穢れたもの・忌まわしいもの・浄めが必要なものとみなしてそれに触れることを自らに禁じるハイデガーはまさにそうだし、ある特定の領域を括弧に入れてその場所への立ち入りを自らに禁じる現象学者たちもそうである。語り得ないものへの沈黙を自らに課しその戒律を厳格に守っている分析哲学者や表象不可能なものに対面してうやうやしく敬礼する20世紀の仏文学者たちも重度の強迫ヒステリーを患っていると言えるだろう。総じて、偉大な哲学者であればあるほど、次々とタブーを生産する傾向にあるようだ。タブーの生産こそが哲学者としての卓越性[αρετη]の条件なのかもしれない。立派な哲学者であればあるほど、他の誰かによって禁じられたものを単に守るのではなくて、自ら作り上げた内的な禁止によって自分を縛る。そして、そのことによって自分を高めるのである。

要するに、デリダは、オーストラリアやポリネシア江戸時代の日本の人々にフロイトが注いだのと同じ眼差しを、哲学者たちへと向けているのである。

議論の締めくくりとして、『トーテムとタブー』が列挙する強迫神経症とタブー(忌避)に共通する4つの特徴を挙げて終わりとする。

  1. 禁止の動機が不明瞭であること。
  2. 自分ひとりで禁止を作り上げること。
  3. 禁止があちこちに転移すること。タブーとなっている人・物・場所を通じて禁止が伝染する危険があること。
  4. 禁止に基づく儀礼的行為が発生すること。

ある哲学者が、以上の特徴を備えている場合、その人物はまず間違いなく偉大だと言ってよい。そして、タブー(=偉大な哲学)が持つ以上の特徴をふまえた上で本書を読めば、デリダがなぜハイデガーにおける「精神」の忌避[vermeidung]に目をつけたのかをより明瞭に理解することが出来るだろう。「精神」に対するハイデガーの愛憎入り混じった曖昧な態度は、フロイトの言うタブーの両義性に由来しているのである。

スキゾというやつには、それが本物であれ贋物であれ、もううんざりだから、喜んでパラノに宗旨変えをしたいくらいなんだよ。パラノイア万歳を叫んでもいい。
ジル・ドゥルーズ『口さがない批評家への手紙』

デリダからの贈り物

だが、それにしても…デリダの書いたものはなぜこうもハイコンテクストで多大な読書=労働を読む者に強いるのか?『精神について』を理解するために、読者は先ず、ハイデガーを読み、フロイトを読み、ヘルダーリンを読み、シェリングを読み、ニーチェを読み、トラークルを読み、ヴァレリーを読み、バシュラールを読み、許斐剛を読み…、そして何よりもまずそれらについてデリダがあちこちで書き散らしたものを読むことを強いられる。

ところが、大多数の読者にとって、読書とは一種の気晴らしであり余暇にすぎない。だが、デリダの本にそういう快適さはない。人は本の内容を理解できないと、自分の至らなさを本の上に投影し、この本は意味不明だと罵るのが常である。実際、デリダの書く本は、最初の一行目から極度の集中力が必要な共同作業を読者に対して強制する。折り重なりつつ同時に進行する主題の多重性に対する鋭い注意力、次に何が来るかあらかじめ分かっている読み方の対応物としてのありきたりな物語の断念、一度きりの固有なものを捉える張りつめた感覚、あるいはほんの一瞬の隙を突いて入れ替わるさまざまなモティーフと二度と繰り返されないその歴史をしっかりと掴み取る能力を読者に対して要求する。

デリダ自身は断固としてテクストそのものに粘り強くより添い、その要求にそのつど身を委ねるのだが、その妥協を知らない断固たる態度のせいで彼は今なお人々に対して決定的な影響を与えられずにいる。他でもない彼の文章の生真面目さ・豊かさ・完全無欠さといったものが、それを読む者の中でひそかな憎悪を呼び覚ますからだ。彼の本が読者に対して贈るものが多ければ多いほど、彼の本は読者にとってますます受け容れがたいものとなっていくのである。

デリダの本は、本そのものが織りなす意味作用の運動に読者が自分から参加し、共同でその運動を遂行する[ενεργειν]ことを求めている。つまり、デリダは、単なる観照ではなく、いわば実践を読者に対して期待する。ところが、まさにその期待によって彼は、書物とは常に耳に心地よい聴覚刺激のまとまりとして読み手に提供されるべきだという怠惰な読者の淡い期待を踏みにじることになってしまう。あのハイデガーでさえ、《哲学のための哲学を》という当時の知的雰囲気にもかかわらずこの期待にだけは応えたというのにだ。

他のデリダの著作と同様に、本書もまた、人生を労働と余暇に分ける二分法に違反している。というのも彼は、果たしてこれが余暇かと戸惑うような過酷な労働を余暇に対して要求しているからだ。*11だが、そうした要求は大多数の読者にとっては単なる苦痛でしかない。早い話が読むのが不快なのだ、この本は!

デリダは生前「私はまだ読まれていないのではないか」と嘆いていたと、人伝えに聞いたことがある*12。たぶん実話であり、自業自得である。本書『精神について』がその知名度にかかわらずたいして読まれていないのもおそらく同じ理由であり、ある時期の東浩紀のように苦痛に満ちたその労働=読書を快楽へと転化する能力を持つテンからのマゾヒストだけが、本書を最後まで読み切ることができるのだろう。

精神について―ハイデッガーと問い (平凡社ライブラリー)

精神について―ハイデッガーと問い (平凡社ライブラリー)

過去記事


悪の凡庸さについて/映画『ハンナ・アーレント』を観る - 学者たちを駁して

参考

フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー

シェリング講義

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存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

*1:フーコーとの論争の発端となったデリダの書評『コギトと「狂気の歴史」』は『エクチュールと差異 上』に収録されている。それに対するフーコーの回答については『ミシェル・フーコー思考集成IV』収録の論文『私の身体、この紙、この炉』および「デリダへの回答』を参照。

*2:ジョン・サールとの論争については、1988年5月発行の雑誌『現代思想』の臨時増刊『デリダ―言語行為とコミュニケーション』に両者の論文が両論併記の形で掲載されている。なお、『有限責任会社』収録の『後記 討議の倫理にむけて』も参照のこと。

*3:「友人たちを話題にした評論や本を書く」場合、デリダは「彼らの死を待って」から書くのが常だった。レヴィナスへのオマージュを典型として、デリダは「彼らが死ぬとすぐに、あるいはさほど間を置かずに、彼は彼らについて書い」た。もちろん、例外もある。例えばジャン=リュック・ナンシーについて書かれた『触覚』がそうだ。この本は、ナンシーが心臓移植を待っている際に、ということはつまり、彼が死の危険に晒されている際に書き始められた。手術は成功し、ナンシーは結局生き延びたが、本自体は、その手術から数年経ってから大幅に加筆されて出版された。これなどは、語る対象である著者が存命にもかかわらず、デリダが本を刊行した数少ない例の一つである。

*4:天才は誰しも幼児のような一面を持っていると言われる。子供のときに思った「これが不思議だ」、「これがわからない」と思ったことを一生考え続けたら、誰でも天才になってしまうだろう。凡人は"リアルな"生活という名の虚構にはまり込んでそれができなくなる。

*5:ハイデガー全集第42巻『言葉への途上』に収録。

*6:本文のみ。注や後書きを除く。なお、カウントには全集版ではなく、木田元訳の『シェリング講義』を使用した。

*7:本文のみ。注や後書きを除く。なお、カウントには全集版ではなく、木田元訳の『シェリング講義』を使用した。

*8:「避ける」の問題系については1986年刊行の論文集『プシュケー: 他なるものの発明』第Ⅱ巻に収録されている『いかにして語らずにいられるか』も参照のこと。

*9:サザンクロスは、リリアデント・クラウザー(13歳)の必殺技である。打球を十字架の形に分裂させ相手選手の動きを封じ、そのまま吹っ飛ばしてフェンスに磔にする。発動にはあらかじめコートの後方にあるフェンスに何度もボールを当て「墓標」を作っておく必要がある。なお、ハイデガーのテクストにおける十字型の抹消符号と避ける[vermeiden]の関係については、本書P230を参照。

*10:デリダにおけるハイデガーフロイトの衝突」、あるいは彼らの「起こらなかった出会い」の問題については東浩紀存在論的、郵便的』P194・219・213を参照。

*11:ブノワ・ペータースの『デリダ伝』によれば、デリダは「気まぐれな読書をすることがなかなかできない人間」で、「自分の執筆計画に直接関わらない読書」、つまり、仕事が絡んだ「選択的で、ふるいにかけた」読書以外の読書ができない人だった。彼は自分の仕事に忙殺され、「選り好みせず何でも読む」ことが「ますます乏しくなっている」と愚痴っていた。そもそも「デリダには余暇というものがほとんどなかった。若い頃に最も熱中したことの一つであるサッカーは、アルジェリアでは続かなかった。コレアに移ってからはもうプレーしなかったし、テレビで試合を見ることもたまのことだった。1960年代初めは、習慣的にテニスをしてきた」がこれも結局続かなかった。さらに、「1980年代には、カルフォルニア滞在のときからの習慣でジョギングを日課にしたが、期待される効果が遅すぎると感じて、結局は断念してしまった。ウォーキングはまったく好まず、むしろ次第に避けるようになった。水泳だけは大いに楽しんだが、それも海辺に行った時だった。」デリダが余暇として読書を楽しむような人ではなかったこと、そもそも余暇自体が存在しなかったことは、以上の評伝からも裏付けることができる。

*12:「思考にとって、生き延びることへの問いは、今後は絶対的に予見不可能な形式をとることになります。私ほどの歳にもなれば、このことに関しては最大限に矛盾した仮説を受け入れる心構えができています。すなわち、どうか信じていただければと思いますが、わたしには同時に、次のような二重の感情を抱いているのです。一方では、-微笑みつつ、また不謹慎にいうならば-わたしの著作は読まれはじめていないという感情、もちろん、多くのすばらしい読み手がいるのだとしても(おそらく数十人ほどは世界にいて、しかも彼らは作家にして思想家でもあり、また詩人でもあります)、結局、あのすべてが現れる機会が来るのはずっと後になってからなのだという感情です。しかしまた、他方では、同時にわたしの死から二週間、あるいは一か月ほどすると、もう何も残っていないだろうという感情もあります。図書館に法定納本として保管されるもの以外には。誓っていいますが、わたしは真面目に、また同時に、このふたつの仮説のことを信じています。」 - ジャック・デリダ『生きることを学ぶ、終に』