三島由紀夫の『暴力批判論』
1969年5月13日、東京大学教養学部900番教室内で、三島由紀夫と東大全共闘の間で討論会が開かれた。会場には約1000人の学生が集まり、その模様はその日のうちにTBSでも放送された。以下で論じる『美と共同体と東大闘争』はその討論の内容を収録した書物である。2時間25分にも及ぶこの討論のテーマは多岐に渡るがその主要なテーマの一つに「暴力」があり、両者の間で活発な議論が交わされた。「暴力」を語るにあたって三島由紀夫はそれ肯定する立場に立ち、「左翼」による無原則・無前提な暴力の否定が共産党による人民戦争(=暴力)の肯定を逆説的に帰結することを指摘し、それを非難している。
⑴暴力否定は正しいか?
三島は無原則・無前提に暴力を否定しない。むしろ、彼は無原則・無前提の暴力否定に反対し、暴力を肯定する。なぜなら、無原則・無前提の暴力否定は、かえって暴力の性格をあまりにも普遍的にし、暴力の定義をあまりにも広げすぎるからだ。そのような汎暴力論に反対するために三島は暴力を限定的に肯定する。
「左翼」のように無原則・無前提に暴力を否定すると、「体制側の国家権力」の本質をなすところの軍隊や警察が持つ力も暴力に含めざるを得ないし、街で行われるヤクザの喧嘩もそれと同次元のものとして包括せざるを得ない。しかし、無原則・無前提な暴力否定は、暴力の定義自体を無原則・無前提に拡大せざるをえないことになるのだから、そのだらしなく拡大された暴力を根本的に否定することによって、「左翼」は論理的に国家をも否定する立場に陥らざるを得ない。
「左翼」は、国家を暴力装置と定義し、あるいは軍隊や警察を国家権力の暴力装置と定義するのだが、まさにかような定義を誘導するものこそが、無原則・無前提な暴力否定の垂れ流しであり、「戦後平和主義なのである」。無論それは、目の前の秩序のみに関わって、その秩序を成り立たせている錯綜し矛盾する政治状況に対して目をつぶることにつながっている。だからこそ三島は暴力を否定しないのである。
さまざまな論点において対立する東大全共闘と三島だが、旧「左翼」による無原則・ 無前提な暴力否定に断固抗議するというまさにこの点においては一致している。
⑵暴力肯定は戦争肯定につながるか?
では、国家の暴力を肯定する三島は戦争をも肯定するのだろうか?答えはノーだ。その両者は直ちに論理的にはつながらないものがあるのである。この点に関する三島の立場は、「国家の暴力を肯定してもそれが直ちに無前提に戦争することにはならない」というものである。
ここではじめて三島の暴力肯定論に真に対立するものが明かされる。三島の暴力肯定論の真の敵。それはすなわち毛沢東の戦争論だ。毛沢東は戦争について独特な論理を展開する。
《われわれの目的は地上に戦争を絶滅することである。しかし、その唯一の方法は戦争である。》
毛沢東のこの論理は先に述べた三島による暴力肯定の論理のちょうど反対の極に立つものだ。毛沢東の暴力否定論は、「平和主義の旗印のもとに戦争を肯定する思想」なのである。
私は戦後、平和主義の美名がいつもその裏でただ一つの正しい戦争、すなわち人民戦争を肯定する論理につながることをあやぶんできたが、これが私が平和主義というものに対する大きな憎悪をいだいてきた一つの理由である。
戦後平和主義に基づく暴力否定は、国家の否定を経由して、毛沢東の戦争論を逆説的に帰結する。それに対して、三島の暴力肯定は、国家の肯定を経由して、平和主義の仮面のもとにおける人民戦争の肯定が国家の超克をもたらすが如き欺瞞に対して絶縁を宣告する。
国家を超克するとのたまう暴力否定論は、まさにその目的を達成するために人民戦争というただ一つの手段を正当化し絶対化する。そしてこの種の戦争論は、無原則・無前提の暴力否定からのみ構成される。そうならないために三島は、暴力を肯定し、国家を肯定することになるのだが、その見返りとして「ただ一つの正しい戦争」という共産党的な自己欺瞞の否定という果実を得ることができるのだ。
三島は無原則・無前提に暴力を否定したりはしないし、暴力に対して恐怖を感じたり、暴力はいけないと月並みなことを言ったりはしない。無原則・無前提の暴力否定という考えは共産党の戦略に乗るだけだからである。
⑶暴力を批判する上での二つの基準ー暴力の自然法的テーゼと実定法的テーゼ
暴力は目的の領域ではなく「もっぱら手段の領域に見いだされる」。毛沢東=中国共産党の戦略は、国家の超克というただ一つの正しい目的に基づいて、人民戦争という手段=暴力を正当化することにある。《人民戦争のみが正しい暴力である》という毛沢東の思想は、結局のところ、正しい=自然な目的がありさえすればその手段としての暴力は自動的に正当化されるはずだという誤ったドグマに基づいている。しかし、それは、かつてベンヤミンが『暴力批判論』の中で分析し批判を加えたものである。同書の中でベンヤミンは、正しい=「自然な目的にかなった暴力は、それだけでもう正当であるとするドグマ」を暴力の自然法的テーゼと呼んでいた。これは暴力を「自然な所与として」考える立場である。
本書で三島由紀夫が「道義的暴力」と呼ぶものは、ベンヤミンが言う暴力の自然法的テーゼに正確に対応している。正しい目的=道義的主張は論理的にはどんな立場からも発せられうるものである。そして、「大きな物語」が崩壊して、各人が個々の「島宇宙」に自閉する時、あらゆる正しい目的=道義的主張は相互に相対化しあって、複数の「小さな物語」が乱舞し相剋する「バトルロワイヤル」的な状況が出現する。その時、それまで正しい目的=道義によって肯定=主張されていた手段の数々が単なる暴力の行使にしか見えなくなるのは当たり前のことだ。だがそれは、人々が暴力を目的論的に肯定=主張していたからであり、三島やベンヤミンはそうした自己主張=正当化の論理が実は何一つ根拠を持っていないことを暴露するのである。
それとは別に、暴力をその手段の適法性によって正当化し、「正義の暴力と不正義の暴力」とを分割する論理が一方にある。例えば、適法な手続きによって正当化された軍隊と警察の力だけを正義の力と認め、その他の力を暴力とみなす近代国家の論理がその典型である。先の『暴力批判論』が暴力の実定法的テーゼと呼んでいたものがそれだ。こちらは暴力を「自然な所与として」ではなく「歴史的な形成物として」考える立場である。
三島は暴力の実定法的テーゼを敵と認め、それに対して抵抗を試みていた。彼は死刑廃止論者ではなかったが、近代国家のように手段の適法性によって自らの暴力を正当化したりはしない。そんなことをすれば、毛沢東の論理と「どこかで似て」来てしまうからだ。だから、三島は「合法的に人間を殺すという立場に立って」世直しをしたいとは思っていない。もちろん非合法で人を殺せば、
それは殺人犯だから、そうなったら自分もおまわりさんにつかまらないうちに自決でも何でもして死にたいと思うのです。
私は大体に合法的に人間を殺すということがあまり好きじゃ無いのです。
三島が「合法的に人間を殺すということ」を嫌う理由は、手段の適法性によって自らの暴力を正当化する近代国家の論理は、「正義の暴力と不正義の暴力」を分割し、「暴力に質的差異をみとめる」点で、毛沢東の論理と「どこかで似て来る」からである。暴力を歴史的な形成物とみなしてその手段の適法性を云々する近代国家の実定法的論理もまた、結局のところは、毛沢東の自然法的論理とどこかで「基本的ドグマ」を共有しているのだ。
自然法が現行の制度の正しさを、その目的を批判することによってのみ判定しうるとすれば、実定法はあらゆる未来の制度の合法性を、その手段を批判することによってのみ判定しうる。目的の批判基準が正しさ(正義)だとすれば、手段の批判基準は合法性だ。そして、両派は、互いに対立しているにもかかわらず「どこかで似て来る」のだが、それは両派が「共通の基本的ドグマを持つことにおいて一致」しているからである。では一体、両派が共有する「基本的ドグマ」とは何か?それはすなわち、
正しい目的は適法の手段によって達成されうるし、適法の手段は正しい目的へ向けて適用されうる、とするドグマである。自然法は、目的の正しさによって手段を「正当化」しようとし、実定法は、手段の適法性によって目的の正しさを「保証」しようとする。もしこの共通のドグマ的な前提が誤診であって、 一方の適法の手段と他方の正しい目的とがまっこうから相反するとすれば、解決のできない二律背反が生まれるだろう。
-ベンヤミン『暴力批判論』
まとめ
本書において、三島は、暴力について論じながら、無原則・無前提に暴力を否定する毛沢東=共産党による暴力の自然法的テーゼ=道義的暴力の逆説的な肯定に対して決定的な反論を提出した。この点において三島の暴力批判論が幾つかのオリジナルな洞察を含んでいることは確かであり、その意味で本書は今なお読むに値すると言える。しかしまた、近代国家のドグマである暴力の実定法的テーゼの分析の方は、いまだ単なる着手の段階にとどまっており、その点を詰めないままに三島は本書の1年後に自決してしまったのが悔やまれる。
参考
⑥ 「討論 三島由紀夫 vs. 東大全共闘」 - 日々平安録
真理を試みにかける哲学者/ニーチェ『古代レトリック講義』を読む
ニーチェの講義録『古代レトリック講義』を読むと、哲学者派と弁論家派が互いに敵対し長きに渡って抗争を続けてきたことがよくわかる。「真理」という価値を重んじ、「認識」をけっして疑おうとしない“真性の”哲学者たちは、人々を説得して罠にはめるレトリックがもたらす「本当らしさ」をもっとも嫌う。
レトリックは人々に対して罠を仕掛けている。そう言って哲学者たちは実に執念深くレトリックを告発してきた。ここで罠というのは、自分が操作されていることを気づかせないまま私たちを説得しようとする罠、私たち自身の自由な意志に逆らって、語り手の企みによって私たちを味方につけてしまおうとするあの罠のことである。哲学者たちは、最善のものから人々の目を逸らさせ、自由意志を外から犯すレトリックのことが心の底から気に食わないのである。
1.『ゴルギアス』のレトリック論
プラトンはレトリック(*1)が大嫌いだった。それゆえ彼は、レトリックを論じた初期の対話編『ゴルギアス』の中で、哲学者派のレジェンドとして彼が心からリスペクトするソクラテスに「レトリックは技術などではない」と言わせている。
*1 古典ギリシア語ρητορικηは「レトリック」・「弁論術」・「雄弁術」・「修辞学」などと訳される。
レトリックはあくまで技術ではなく、技術未満の経験にとどまっているのだとプラトンは力説する。そればかりか、彼はレトリックを喜びや快楽を作り出して最善のものから聴衆の目を逸らせる「迎合」だと言い、肝心なものが何かということを教えようともせずその場限りの心地よさに耽るように人々を仕向けて都市国家を堕落させる下手人として罪に問うてさえいる。
このように対話編『ゴルギアス』においてレトリックの地位は非常に低い。プラト二ズムの階層秩序において、人々を「説得する」レトリックは、体育術や医術・立法術や裁判術といった人々にとって最善のものを「教えてくれる」有用な諸技術の下位に甘んじ、「女どもの」料理術や化粧術・「ソフィストたちの」詭弁術のような他の「迎合」と同列の地位に置かれている(*2)。プラトンのヒエラルキーでは、お世辞でさえ弁論術(レトリック)より上の地位にあるのである。小林秀雄が言うように、初期のプラトンにとって哲学者とは、何よりもまず、「本当らしさ」によって人々を「説得しない」者であり、人々に「本当のこと」を「教える」者なのである。
*2 各技術には「影のようなもの」として、それぞれ「迎合」が潜り込んでいる。
ついでに言っておくと、ギリシアの哲学者全員が料理や化粧を軽蔑する男性中心主義者だったわけではない。「ギリシアの何人かの〈真理=真実の師たち〉は、料理をもって考えることの代わりとする術を知っていた」(©デリダ『真実の配達人』)。
◆
2.『パイドロス』と『弁論術』のレトリック論
ところが対話編『パイドロス』以降にはこれとは別の見方が現れてくる。プラトンの体系におけるレトリックの地位の相対的な上昇が見られるのだ。
『パイドロス』は説く。弁論家は、まず第一に、「本当らしさ」をコントロールして聴衆を騙すことができるようになるために、何よりもまず「本当のこと」を手中にしているべきである。
第二に、弁論家は、聴衆を激情に駆り立てて彼らを意のままにする術をわきまえていなければならない。聴衆の血圧の上げ下げをコントロールできてこそ始めて一人前の弁論家と言えるのである。
そのためには、人間の感情について正確に見知っていなければならないし、レトリックの形式が人間の感情に及ぼすあらゆる影響を見知っていなければならない。したがって弁論術を修めるためには、きわめて高度で包括的な基礎能力が求められる。
例えば、アカデメイアでプラトンに学んだアリストテレスは、その著書『弁論術』第2巻の中で「怒り」や「穏やかさ」を始めとするレトリックに関係する14種の感情に分析を施している(*3)。
*3 アリストテレス『弁論術』第二巻は、6種の基本感情を説いた晩期デカルトの『情念論』や48種の感情を分析したスピノザの『エチカ』の偉大なる先行事例である。ハイデガーが実存論的分析論を構想するにあたってその手本としたテクストでもある。
手始めに分析されるのは「怒り」である。古代ギリシアの弁論家は、実は人生相談サイト『発言小町』などに棲息する今日の日本の釣り師たちの遠い祖先にあたる人々なのだが、彼らが効果的に人々を釣る=怒らせるためには、当然のことだが、「怒り」の原因について熟知していることが是非とも必要である。
弁論によって聞き手を、人々が怒りっぽい心の状態にあるような性質の者に仕上げ、またその反対者たちを、人々が怒るのはそのせいであるような性質の者に、また人々が怒りを発するような者に仕立て上げねばならない - アリストテレス『弁論術』第2巻第2章 -
「怒り」に続いて分析されるのは「穏やかさ」である。不本意にも自分のブログが炎上してしまった場合、そのブロガーは自分に対する人々の「怒り」を鎮めることを余儀無くされる。そのためには、「怒り」の反対の感情である「穏やかさ」がどういうものかについて、よく知っていることが求められる。
と、まぁこんな調子で、アリストテレスは全部で14種の感情を同じ手つきで次々と分析していくのである。具体的には、例えば「怒り」の場合、
- どんな状態の時に人は怒りやすいのか?
- 人はどういう人に対して怒るのか?
- 人はどういうことで怒るのか?
が問われ、順番に答えられて行くのだ。アリストテレスはこのような感情分析(情念論)の実用性を強調している。これら三つの問い全てについて答えることができるなら、人々を釣る=怒らせることが今よりもっと簡単にできるようになるはずであり、その他の感情についても同じやり方で分析することで、語り手はより効率的に人々に対してそれらの感情を植えつけることができるようになるというわけなのだ。
だがそれにしても、なぜ『弁論術』の重要な一角を感情分析が占めているのか?その理由は、感情とは「事柄に対する人々の判断を左右するもの」であり、したがって、弁論の「本当らしさ」や「説得力」に関係するからである。だから、卑しくも弁論家を名乗る者ならば、誰もがレトリックの諸形式が感情に対して持つ諸効果について熟知していることを求められる。
『弁論術』が人々の感情についての極めて包括的な知を要請するのはアリストテレスだけではない。後期プラトンにとってもそうであり、彼は『弁論術』を学ぶ者たちに対して感情の原因についてよく知っていることを求めている。そして、プラトンにとって単なる経験か技術かの境界が原因を認識しているかどうかにかかっている以上、『弁論術』は『ゴルギアス』の頃のプラトンが主張するような単なる技術未満の経験ではもはやない。
こうして、哲学に対抗する新たな知の体系としての『弁論術』が上昇運動を開始し、それに伴い、哲学の側でも、単に知識を獲得するだけが哲学の使命ではないことがはっきりしてくる。哲学者にはもっと高貴な使命が与えられるのだ。それはすなわち、認識によって《獲得した知を他の人々に伝えること》である。『パイドロス』の中でソクラテスは高らかに宣言する。
一度でも知のこの高みに達した者は低い課題には満足しないだろう。
かくして他の人々に知を伝達[communication]し哲学がさらなる高みに上り詰めるために必要不可欠な手段として、かつてお世辞より下の最下級戦士の地位に甘んじていたレトリックがしだいに注目されるようになっていく。レトリックを用いることで哲学者は、ある事柄についての感情の火を他の人たちにも点火することができる。そのようにして私たちはしかじかの事柄に関する自分の感情を他の人たちにも植えつけることができ、それによってはじめて、認識によって《獲得した知を他の人々に伝えること》ができるのである。
今やプラトンは、哲学者の中の哲学者として彼が理想化するソクラテスというこの対話編のキャラクターを、学問との関係では「真理」を語る「教育的な」人物として描き出し、政治との関係ではレトリックを駆使して「もっともらしいこと」を言い募り大衆の心に火を点ける「説得的な」人物として描き出す。哲学者の弁証法が目指す「本当のこと」と弁論家のレトリックが目指す「本当らしさ」。『パイドロス』では両者の力が拮抗し始めている。後期プラトンにとって賢者=哲学者とは、「教育的」であると同時に「説得的」でなければならないのだ。したがって、『パイドロス』以降のプラトンは、それまでの「説得しない哲学者」と同じ人物ではもはやない。「本当らしさ」を司り「説得力」を醸成するレトリック[=弁論術・修辞学・文献学]に対する態度という点で、後期プラトンは明らかに転向している。
◆
3.ニーチェのレトリック論
後期プラトンのこの転向を誰よりもはっきりと見抜いていた若きニーチェはプラトン哲学の息の根を止めるためにさらに先に進む。ニーチェのプラトニズム転倒の肝は、弁論家の目で哲学を見た点にある。
哲学の根本問題は「存在とは何であるか」という問いに答えることであることをニーチェは十分に心得ていた。しかし、他方で、「言葉は存在の家であ」り、存在は言葉の内に住まう。したがって、存在の本質へと向かう途上で必ずと言っていいほど哲学者は「言葉とは何であるか」の問いに答えることを求められる。
ニーチェは若干24歳で早くもこの問いに答えることを迫られている。若きニーチェはどう答えたのか?本書『古代レトリック講義』の中で彼はこう言っている。
言葉はレトリックである。というのは、言語は、臆見だけを転移させようとするのであって、認識を転移させようとはしないからである。
レトリックは同時に言語の本質である。言語は、レトリックと同じくらい真なるものに関係しないし、事物の本質に関係しない。言語は何かを教えようとしない。
こうしてニーチェは「本当らしく説得力のあること」の側から「真理」を攻め立てるという同時代の哲学的感受性の何光年も先を行く前人未到の領野を哲学のために切り開いていった。
われわれは真理を試みにかける。もしかすると人類はそれで没落するかもしれない。さもあらばあれ。
いかなる最高の価値もそれ自体としては一夜のうちに天空に出現するものでは決してないということをニーチェはしっかりと心得ていた。最高の価値を創造する者たち、すなわち「新しい哲学者たち」は、ニーチェによれば「試みる者」でなければならない。「試みる者」たちは、自分が決定的な真理を所有していないことをはっきりと自覚してあまたの道を行き、いくつもの軌道を切り開いて行かなければならない。このようにして私たちのためにニーチェが開拓しておいてくれた道はいくつもあるのだが、その中でも最も道幅が広く歩きやすいように整備された道の一つが「本当らしく説得力のあること」の側から「真理を試みにかける」この道なのである。
真理とは何かという問いに答えてニーチェは晩年に次のように述べている。
真理とは誤謬の一種で、それなしには生物の特定種が生きることができなくなるものである。生にとっての価値が、結局のところ〔真偽を〕決定するのである。
《真理は誤謬の種であり、誤謬は真理の類である》というニーチェ晩年の奇妙な命題は、レトリックを巡るプラトンのアンビヴァレントな態度についてニーチェが早くから注目していたことを考慮すれば、さほど奇異には聞こえなくなる。真理という価値の一切を晩年のニーチェが転倒することができたのは、晩年の彼もまた、若い頃と同じように「本当らしく説得力のあること」の側に身を置き、哲学者たちが語る「真理を試みにかけ」ていたのである。
「真理を試みにかける」ニーチェの企ても、もうここまで来れば、「真実は虚構の中に住まう」(ただし主人として)と語るジャック=ラカンとか、一個の文学的フィクションは「真実以上の力強さを秘めている」と語るジャック=デリダ、あるいは、「虚構の虚構による虚構のための理論」を夢見る筒井康隆など、20世紀の批評理論が提出した真理と虚構の関係を巡る諸テーゼまではほんのあと数歩である。というのは、虚構は明らかに「真理」ではなく、むしろ「本当らしさ」の方に属しているからである。
参考
ニーチェ『古代レトリック講義』訳解
- 作者: プラトン,藤沢令夫
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- 作者: アリストテレス,Aristotelis,戸塚七郎
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本を読むことの暗黒面/ショウペンハウエル『読書について』を読む
はじめに
本を読むことの暗黒面
本を読むこと自体が読者にもたらす害毒、それは多読の害です。よく「本を読めば頭が良くなる」と言いますが、ショーペンハウエルはそのような意見には断固反対します。
読書は、他人にモノを考えてもらうことである。
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でモノを考える力を失って行く。
速読に適さない本について
速読を否定しておいて多読は否定しないという欺瞞
多読の害
『読書について』に対する現代の多読家たちの反応
そのすべては古ぼけた観念、買いあさった古道具にすぎず、複製品をさらに複製したようにすり切れて色つやも失せている。型どおりのいかにも陳腐な文句に流行語を織り交ぜた彼らの文体は、さながら正真正銘の貨幣を通貨として使用する小国のおもむきを呈する。自分の力で何一つ鋳造しないからである。
⑴松岡正剛さんの場合
⑵小飼弾さんの場合
ショウペンハウエルの読書論をまだ読んでいない人は、読書しているとは言えない。それを読んで「ぎくっ」ってなったことがない人も、読書しているとは言えない。
そしてそれに反駁できない人は、ショウペンハウエルを充分知っているとは言えない。
作品は著者の精神のエキスである。したがって作品は、著者がいかに偉大な人物であっても、その身辺事情に比べて、常に比較にならぬほど豊かな内容を備えており、本来その不足をも補うものであるはずである。だがそれだけではない。作品は身辺事情をはるかに凌ぎ、圧倒する。普通の人間の書いたものでも、結構読む価値があり、おもしろくてためになるという場合もある。まさしくそれが彼のエキスであり、彼の全思索、全研究の結果実ったものであるからである。だがこれに反して、彼の身辺事情は我々に何の興味も与えることができないのである。したがってその人の身辺事情に満足しないようなばあいでも、その人の著書は読むことができるし、さらにまた、精神的教養が高まれば、ほとんどただ著書にだけ楽しみを見いだし、もはや著者には興味をおぼえないという高度な水準に、しだいに近づくこともできる。
教養主義に抗うための処方箋
私の世代は、哲学史によって虐殺されたにひとしい最後の世代だといえる。哲学史というものが哲学における抑圧の機能をはたしているのは明らかだ。はっきり言って、あれは哲学におけるオイディプスだ。「あれこれ読んで、あれについてのこれを読まないうちから、まさか君は自分の名において語るつもりじゃあないだろうな」というわけだ。私の世代にはうまく切り抜けることのできなかった者もたくさんいる。
だれでも次のような悔いに悩まされたことがあるかもしれない。それはすなわちせっかく自ら思索を続け、その結果を次第にまとめてようやく探り出した一つの真理、 一つの洞察も、他人の著わした本をのぞきさえすれば、みごとに完成した形でその中におさめられていたかもしれないという悔いである。けれども自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍もまさる。-ショーペンハウアー『読書について』P9
哲学史というものを始めたのはヘーゲルです。そして、ショウペンハウエルは当時のドイツを支配していたヘーゲル哲学のことを「法螺吹き」と呼び、その荘厳な体系に対して猛然と挑みかかりました。それにもかかわらず、世間一般のイメージではショウペンハウエルは世を拗ねた「厭世家」ということになっています。誰かの肩越しに『読書について』を読むのではなく、彼の言葉に耳を傾けてみて欲しい。多分この著者に対して与えられた「厭世家」という肩書きが的外れなものであることに気づくはずです。
読書がもたらす利と毒
考えてみれば当たり前のことですが、何事にも良い面と悪い面があります。読書も同じで、本を読むことにも良い面と悪い面の両方があると考えるのはきわめてまっとうな考え方であって、読書がもたらす良い面ばかりをあげつらい、悪い面を言わない凡百の読書論と言うのは、それだけでもうダメな証拠のように思えてきます。
数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情はまったく同様である。いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。ーショーペンハウアー『読書について』
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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注
*1:本当はその後に「これからも献本よろしくお願いします」とばかりに献本先に媚びへつらう記事が続いているのですが、ここで貴重な時間を割いてまでこれ以上この安っぽい記事を論評するつもりはありません。
女の子同士の不可能な出産ーー東浩紀の『魔法少女まどか☆マギカ』disを巡って
『魔法少女まどか☆マギカ』における「ループ」の理論的意味
東浩紀は『魔法少女まどか☆マギカ』のダメな点について、次のようにTweetしている。
キャラクター/プレイヤーの存在論的循環で、そこを抜け出るにはぼくの哲学では郵便的/生殖的/現実界的経験をもってしありえないので、要は性差がなければセカイ系的なループは脱出できず、したがってまどまぎは女の子しかいないのでだめなんじゃないかとか、そんな話をいつかできたらいいですな。
— 東浩紀 (@hazuma) 2013, 10月 31
東浩紀の『まどマギ』disは今に始まった事ではない。彼は『まどマギ』に対して、当初から一貫して否定的な態度を維持してきた。しかし、彼が同作を叩くのは、よく言われるように、彼が原案を担当した『フラクタル』が商業的に失敗に終わったのと対照的に、同時期に放送された『まどマギ』が大成功を収めて、単なる「アキバ系狙い撃ち」にとどまらない広い支持を獲得したことに対する、私怨から発したものでは断じてない。
というのは、彼の考えでは、『まどマギ』の作品構造の本質は、女の子同士の同性愛関係で生じる不可能なセックス=生殖を描くことで観客が癒されるという点にあるのだが、そのような、同性愛的作品世界がもたらす一種の癒しに対する疑念を、東は『まどマギ』が放送されるはるか以前からはっきりと表明しているからだ。少なくとも2003年の時点において、彼は聡明にも、異性が登場しない同性愛的な作品世界(例えばやおい系)で好んで描かれる「不可能な出産」というモチーフに否定神学的な匂いを嗅ぎ取っていた。
※『フラクタル』のDVD売り上げは『まどマギ』のそれの1/70である。
最新作『セカイからもっと近くに』では、セカイ系の作品群において頻出するループというモチーフが、「不能性」を意味するものであることが示されている。そして、登場人物たちがループという「不能性」から抜け出るには、東によれば、生殖という「現実界的な」経験をもってしかあり得ない。要は、男女の性的差異がなければ、セカイ系的なループを脱出できない。
したがって、例えば、性的差異を抹消した『存在と時間』の現存在一元論では、クラインの壺の循環構造を脱出できないし、「女の子しかいない」『まどマギ』の同性愛的な設定では、セカイ系的ループを脱出できない。
ぼくは基本的に異性愛だろうが同性愛だろうがなんでもいいひとです。ただ他方で子どもを作るのも尊いことだと思っているひとです。この両者を両立させるのはなかなか難しいんですが、今後はそれしかないでしょう。
— 東浩紀 (@hazuma) 2013, 7月 21
東にとって「尊いこと」として賞賛されるべき性行為の唯一の場は、夫婦の寝室である。生殖へと定められ、あるいは生殖によって価値あるものに変化させられているような性行為だけが、有用かつ生産的であり、セカイ系的なループを抜け出すことができる。接吻や口唇性交、同性愛者たちの肛門性交のような「産めよ、殖やせよ」*1に関係のないただひたすら快楽だけを目指す社会的再生産に直結しないような性行為は、有罪や悪徳ではないにせよ、少なくとも肯定的に語られることはない。
同性愛者たちのそれのように、性的に転倒した者たちのセックスは、生殖という「現実的なもの」にはけっして到達し得ないということ。東浩紀にとって『まどマギ』と『存在と時間』は、セカイ系的ループを脱出できないという点では同じ「不能性」なのだ。
異性愛規範の特権化と生政治の歴史的関連性
歴史を遡ってみるならば、生産のサイクルにはめ込むことができないような同性愛者たちの性行為を役立たず(=不能)とみなす類の言説の数々を見出すことは容易である。
同性愛は、古代ローマでは犯罪とみなされていたし、ナポレオン法典は同性愛を悪徳の一つに数えあげていた。
例えば、プロイセンの刑法第143条は、男性の同性愛を動物との性交(獣姦)と同列に扱い処罰すべきものとして規定していた。医師たちによって何一つ医学的根拠がないと当時から非難されていたにもかかわらず、同国の刑法143条は、統一後のドイツ帝国においても、刑法175条として存続した。
プロイセン刑法143条
男性間あるいは人間と動物の間に行われた自然に反する猥褻行為を行う者は懲役に処せられ、また公民としての結婚の権利を喪失することもある。
それにしても、なぜこのような条文が当時のドイツにおいて存続し続けたのだろうか?道徳的な理由からか?そうではない。理由は簡単で、人口問題である。
当時、ドイツ帝国の人口は減少の一途を辿っていた。後に第一次世界大戦と呼ばれることになる戦争を準備していたこの国にあって、人口の減少は国力の衰退およびそれに伴う戦争での劣勢を帰結する頭の痛い問題だった。人口減少の解決を考えていた当時のこの国の支配層にとって子供を産まない同性愛者たちの性行為は、許容することが「不可能なもの」だった。
今日、性は、経営し管理すべきもの、生産のシステムの中にはめ込み、万人の利益のために調整し、最適の条件で機能すべきものとして語られている。
フーコーの『性の歴史』によれば、性が行政の対象となったのは、18世紀に入ってからである。それ以降、性は、行政機関の管轄に属し、経営・管理の手続きを要求するようになる。
彼によれば、18世紀における権力の技術において最大のトピックの一つは、経済的・政治的問題としての人口の問題だった。それは富としての人口であり、労働力としての人口である。政府はついに気がついたのだ。相手は、単に臣下でも民衆でさえもなく、人口という形式で捉えられた住民であることを。このような人口を巡る行政的な配慮の中心にはいつも性があった。
確かに、それ以前から、国が富み強大であろうとするならば、その人口は多くなければならないと言われ続けてはいた。しかし、一つの社会の未来と運命が、単に結婚の決まりや家族構成だけでなく、住民の一人ひとりが性を用いるその仕方にかかっているなどと言い出したのは、この時が始めてだった。
同性愛に対する態度の捻れ
19世紀のドイツ帝国刑法175条から、生殖の規則正しいメカニズムに従わない不規則な性の「不能性」を告発する21世紀の日本の文芸評論へと、まっすぐに通じる道を引くことができるかもしれない。
人口問題に配慮する生-政治*2の権力と、同性愛をはじめとする倒錯的性愛に対する有罪宣告とは一つの歴史的連関を形作っているーーそのことを誰よりもはっきりと言い切った『性の歴史』以来、人はいくつもの留保を挟むことなしには、もはや夫婦の寝室での生殖活動を「尊いこと」として手放しに賛美することなどできないし、生産システムに対する非貢献をかどに同性愛を非難することなどできはしない。ましてや生殖につながる異性愛者の「現実界的な」性行為だけが存在論のループ構造を抜け出すことができるなどと主張する「哲学」を「素朴に」開陳しようものなら、性器中心主義の誹りを免れないだろう。 *3
東浩紀はそのことを十分に承知している。確かに冒頭で引用したTweetを読む限り、彼は生殖につながるか否かという観点から、同性愛者たちの「不可能な出産」を貶め、異性愛者による生殖活動を「尊いこと」として賛美しているように見えなくもない。
しかしながら、彼は他方で、非生殖的で倒錯的な性愛に対して消極的とはいえ一定の理解を示してもいるし、一夫一婦制の下での夫婦間の生殖活動への手放しの賛美に対して一定の留保を示してもいる。最後まで読めば、『セカイからもっと近くに』はけっして「生殖万歳の本」ではないし、彼は、個人的には、「異性愛だろうが同性愛だろうがなんでもいいと思って」いるし、「同性愛者の権利拡大」を支持してもいる。
それにもかかわらず、彼は「女の子しかいない」『まどマギ』をあくまで非難しようとする。なぜそうするのか?政治的なレベルで「同性愛者の権利拡大を支持」するのであれば、それこそ文学のレベルでも同性愛者の権利拡大を支持するような理論的枠組みを提供した方がより一貫していると言えるのではないのか?政治的主張と文学的主張の間の彼の捻れは一体どういうことなのか?同性愛を存在論のレベルで肯定するような一個の哲学的言説を生み出すことを彼は目指すべきではないのか?
先の彼のTweetをもう一度読んでみよう。
キャラクター/プレイヤーの存在論的循環で、そこを抜け出るにはぼくの哲学では郵便的/生殖的/現実界的経験をもってしありえないので、要は性差がなければセカイ系的なループは脱出できず、したがってまどまぎは女の子しかいないのでだめなんじゃないかとか、そんな話をいつかできたらいいですな。
— 東浩紀 (@hazuma) 2013, 10月 31
「そんな話をいつかできたらいいですな」という部分から容易に想像がつくように、現時点では、おそらく彼自身もまだその願望をうまく合理化することができていないのだろう。
したがって、将来いつの日か書かれるだろう東浩紀による真っ正面からの『魔法少女まどか☆マギカ』批判に備えて、あり得べき争点をあらかじめ抽出し、彼に先回りして論じておくことが望ましいだろう。そして、それはおそらくラカンとマルクスを巡るものになるだろう。それは、『存在論的、郵便的』第二章において東が素描したプログラムに従えば、「アルチュセールのイデオロギー論を郵便的隠喩から再検討すること」、すなわち、複数のイデオロギー装置が交錯する「階級闘争の場」(=ネットワーク空間)を強調したアルチュセールのAIEを巡るものになるはずである。
性を巡る東浩紀とミシェル・フーコーの理論的差異
⑴東浩紀『網状言論F改』
性的欲望[セクシュアリティ]とオタク系文化の関係に切り込んだ2003年のアンソロジー『網状言論F改』によれば、『動物化するポストモダン』で主題として論じられた「動物化」という概念は、斎藤環の『戦闘美少女の精神分析』のような当時のラカン派のオタク論へのカウンターとしての意味があった。
ラカン派は人間の性の問題を主体の側からしか考えようとしない。しかし、一つの「動物として」人間を見るならば、「性にはまず生殖の問題がある。」と東は言う。ラカン派は、フロイトがけっして無視することがなかったものを省略している。動物的本能の次元、すなわち生殖だ。「個人の生活で言えば、妊娠であり、出産で」ある。それに対してラカン派が語るのは、支えのない作用、根を欠いた枝葉、生殖抜きの性的欲望に過ぎないのではないか。
もちろん「 生殖がない」性的欲望もある。例えば、同性愛がそうだ。そういう倒錯的な性的欲望を考えるのであれば、生殖のことを無視しても差し支えはないのかもしれない。しかし、それだけでは、人が生まれて死ぬという「現実」、生(性ではなくて)については何も語ることができない。
東 ラカン派精神分析は、フロイトが持っていた夾雑物を捨てて、かなり近代ヨーロッパの哲学に寄り添って組み上げられた体系でしょう。人間(象徴界)と神(現実界)の関係しか扱えない。だから動物的な次元が扱えない。性関係はそこには入ってこないから、存在しないことになった。そのために「存在」という言葉の意味まで変えてしまった。〔…〕
ラカン派の枠組みでは動物としての人間を扱えない。ラカン派の語る性は、セックス抜きのセクシュアリティにすぎない。「動物的」な次元、「単に男と女がセックスをして殖える次元」、この次元を抜きにして性を語ることはできない、と彼は言う。
⑵ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ』
それに対して、フーコーの『性の歴史Ⅰ』はどうか?この著作が、出版当時のフランスで支配的なイデオロギーだったラカン派へのカウンターとしての意味を持っていたことは、周知の事実だ。
ならば、性的欲望に対して生殖を、主体に対して動物という「現実」を、という点において、フーコーと東の立場は一致しているのではないか?
一般に『性の歴史』は、「生(=性ではなくて)や生殖の管理」が「現代社会の秩序維持の上で重要な問題」であることを論じた書物して読まれている。別の言い方をすれば、同書は「動物的な次元」、「単に男と女がセックスをして増える次元」、「精子と卵子が結合し、子宮が膨らみ、じゃんじゃか人間が殖えていく次元」について語ったものとして読まれている。それゆえ、フーコーと東は、一見、立場を同じくしているようにも見える。
ところが、『性の歴史』(特に第五章)をよく読めば、事態がそれほど単純ではないことがすぐにわかる。
二つの問題を区別しておかなければならない。
一方の問題は、性的欲望[セクシャリティ]の分析は、本当に動物的な身体の省略を必然的に伴うものなのか、という問いだ。この点に関して、『性の歴史』ははっきり否と答えている。人間の動物的な身体は消されなければならないどころか、問題は身体を、分析のただ中に出現させることであり、その分析とは、動物的な次元と、主体的な次元とが、人間の生を標敵にする権力の技術の進展に伴って複雑に絡み合うような分析である。
それは、人間の動物的身体をどのように知覚したかとか、それにどういう意味づけをしたのかを調べるような、身体についての考え方の歴史ではなく、具体的な身体の歴史的分析であり、具体的な身体において最も物理的で、最も動物的なものを資本として用いる権力の技術についての歴史である。
他方、先の問いとははっきりと区別されるべきもう一つの問題はこうだ。生殖や妊娠を動物的な「現実」の側に、生殖抜きの雑多で主体的な性的欲望[セクシュアリティ]を混沌とした観念や幻想の側に置くのは、果たして正当なことなのか、という問いだ。この点に関して「性の歴史』は、生殖という「動物的な次元」を、最終的な決定機関として位置付けるようなものの見方そのものに対して、はっきりとNOを突きつけている。
「(決定)不能性」を乗り超える最終審級としてのセックス=生殖という観念を拒否する『性の歴史』の立場は、セカイ系的な不能性(=ループ)を抜け出すためにセックス=生殖という「現実界的な」経験を最後の切り札として持ち出してくる東浩紀の立場と真っ向から対立している。
『性の歴史』の課題は、生殖や妊娠、性器や性本能といった「セックス」が性的欲望にどのようにして従属しているかを歴史的分析を通じて明らかにすることだった。性的欲望は極めて「現実的」かつ歴史的な事象であり、それが自己の機能に必要な要素として、「セックス[性器、性本能]」という概念を生み出したことを『性の歴史』は明らかにした。
フーコーは、セックス=生殖という何らかの「現実的」な決定機関があって、それが「象徴的」秩序との接触面において、性的欲望という多形的な作用を二次的に生み出すのだ、などと想像する者の素朴さを繰り返し叱った。「セックス」は反対に、性的欲望の装置のうちで、最も観念的でかつ内面的ですらある要素であり、そのような性的欲望を、生-権力が、身体の物理的「現実」に対する支配の中で、経営・管理していくのである。
たとえ否定的なものとしてであっても最終審級としてのセックス=生殖という観念を断固拒否すること、それはフーコーにとって、マルクス主義からキッチリと足を洗うことを意味していた。要するに、存在論的/主体的/象徴界的な上部構造が、「郵便的/生殖的/現実界的」な下部構造によって規定されていると考えるような唯物論=二層構造論は成り立たないということだ。
唯物論に対する二つの態度
思うに、東浩紀の残念な点は、彼が一冊の書物として真っ正面からきちんと構築したものを読めば、「おーっ」とか、「なるほどっ」という感じがするのだが、著作以外の彼が気を許した仲間との対談とか、日常のちょっとした思いつきについてTweetしているのをみると、「ようするにマルクス主義者じゃないか、マルクス主義の尻尾がまだ切れてないじゃないか」、と思えるようなことを無防備に言ってしまっている点にある。
それに対して、かつて共産党員だったにもかかわらず、対談での発言を見る限り、フーコーにはそういうところが全然なく、唯物論的なモノの見方をきれいさっぱり「始末」してしまっているように見える。
マルクス主義者たちの数ある著作の中で、唯物論についてもっとも曖昧ではない仕方で語った書物は、レーニンの『唯物論と経験批判論』だと言われている。同書によれば、唯物論が観念論に優越するのは、人間の脳が登場する以前から自然があったからだ。別の言い方をすれば、人類が存在して物事を考えるようになる以前から自然が存在していたからだ。『唯物論と経験批判論』をいくら読んでも観念論に対して唯物論が勝るとレーニンが主張する根拠はそれ以外には見つからない。自然哲学こそが唯物論が自らを正当化する唯一つの根拠なのだ。
唯物論者たちが崇め奉る自然哲学に対して、フーコーの態度は懐疑的だ。例えば、1976年にジャック・リュフィエの本に寄せた書評の中で、彼は「分子のひとかけらから、何百万年も一挙に駆け抜けて、生命の全歴史を辿り、人間社会へと至るような」唯物論による「壮大な総合の試みを信用するな」と私たちに警告している。なぜなら、かつて、マルクス主義者たちが「饒舌に語ってみせた、そうした自然の哲学からは、しばしば最悪の結果しか生まれなかった。」からである。
唯物論的な自然哲学に対する懐疑の念がフーコーの著作には骨の髄まで染み付いている。したがって『性の歴史』の戦略上の最大の敵は、唯物論だ。唯物論者にならないためには、どうすればよいのか。私たちの言説と行為から、私たちの心情と快楽から、いかにして唯物論を一掃したらよいのか。私たちの立ち居振る舞いの中に深く食い込んでいるこの唯物論をどうしたら追い出せるのか。キリスト教を信じるモラリストたちが魂の襞の間に刻み込まれてしまった肉欲の痕跡を追い求めたように、フーコーは、身体の中に残る唯物論のもっとも微細な痕跡にさえ監視の眼を向ける。
唯物論に対するフーコーの懐疑的な姿勢に対して、東浩紀の方は、唯物論がかつてもたらした厄災に対する記憶がまるでない。おそらく彼は唯物論的な意匠を何か「良いもの」であるかのように考えている。史的唯物論に対する屈託のなさ、先行世代の左翼的教養の伝統から歴史的にスッパリ切れている点が東浩紀の面白いところであり、同時に限界でもあるのだろう。
例えば彼は『思想地図』第4号の中沢新一へのインタビューの中で、文学を分析するための新たな概念として自らが提起する「アーキテクチャ」について次のように述べている。
思想地図の第三号で特集している「アーキテクチャ」とは、唯物論の新しい形のつもりです。人間の行動、思考のほとんどは外在的な条件に規定されている。それが唯物論の柱です。
上記の発言において東は、今や失われてしまった唯物論という古き良き伝統の復興者として振舞っている。そこには先行世代に見られたような唯物論に対する逡巡のようなものが見られない。もちろんこれは唯物論に対して死ぬまで懐疑的な姿勢を貫いたフーコーとは対照的なものである。
日本の批評史に目を転じれば、かつて吉本隆明は、マルクス主義者たちの唯物論的で自然哲学的なものの見方への批判から、「物質的条件」に必ずしも束縛されないフーコーの自由な思考様式に深く魅了された。
それに対して、柄谷行人は、先行世代である吉本隆明を批判するにあたって、吉本がマルクスを読む中で、唯物論など「意味がない」と言い切り、「物質的条件」を捨象したことに注目し、マルクスにおける「自然史」の重要性を執拗に強調した。
『日本近代文学の起源の起源 ――柄谷行人『柳田国男論』について - 鳥籠ノ砂』によれば柄谷の唯物論的なものへの拘りは、1986年の『柳田国男論』に始まり2011年の『世界史の構造』を経て、今年、文藝春秋より出版される予定の『遊動論――山人と柳田国男』においても通底していると言う。
東浩紀が提案する文学やアニメ作品の「環境分析」は、批評史的には、おそらく上に述べたような柄谷の批評的試みの延長線上に位置付けることができる。その発想は本質的に唯物論的なものであり、その初発の問題設定においてアンチ唯物論的なフーコーの権力論とは異質なものであるはずだ。にもかかわらず、フーコーの『監獄の誕生』を「アーキテクチャ」に結びつけて権力を語る試みが後を立たないのは一体どういうことなのか?
オタク論とセクシュアリティの関係
ぼくは最近、かつての自分自身の仕事の意味がようやくわかってきていて、たとえば近刊の「セカイからもっと近くに」を書くなかで、「ゲーム的リアリズムの誕生」が(表面的にはまったくそんな話をしていないにもかかわらず)じつは性差の問題を扱っていたということに気づいたりしているのですね。
— 東浩紀 (@hazuma) 2013, 10月 31
しかし、上で語られている「気づき」が、装われたナイーブさであることは明らかだ。10年前の『網状言論F改』では、彼のオタク論が「性差の問題とかセクシュアリティの問題に話が行くのを避けようとしているように見える」という小谷真理からの指摘に対して、次のようにコメントしている。
東 その点については、僕の立場は、オタク系文化の問題、とりわけ95年以降のギャルゲー系萌え文化とセクシュアリティの問題は切り離すべきだというものなので、単にそれを繰り返しているだけですけど。〔…〕
小谷 でも、ギャルゲーって、セクシュアリティの話じゃないの?
東 だから、表面的にはそう見えるけど、実は違うんだというのが僕の主張ですよ。
来たるべき『まどマギ』批判において、東浩紀は、これまでは「切り離」して考えていた性差やセクシュアリティの問題を、オタク系文化の「動物的な」下部構造に接続することを積極的に試みるようになるだろう。その時、フーコーの『性の歴史』は、かつて『監獄の誕生』がそうであったように、理論的源泉の一つとして参照され、創造的に誤読されるのだろう。
だがしかし、同時に次のことを絶対に忘れないようにしよう。『性の歴史』が最終的な決定機関としてセックス=生殖を想定するような唯物論的な発想を拒否していたということを。性倒錯の問題を扱った優れたページにおいて、同書が、生殖や性器の至上権を認めないような同性愛者たちの倒錯的性行為を肯定的に語り得る視点を提出していたことを。
人間において性倒錯の多形的な集合を描いては消し去って行くのは歴史であり、自然の奥底から人間の生を有無を言わさず決定しているような生物学的事実をそうした集合に見ようとしてはならないのである。そんなことを思いながら、フーコーの『性の歴史』第一巻と東浩紀(編)の『網状言論F改』を読み終えた。
唯物論的見解では、歴史における究極の決定的要因は直接的生命の生産と再生産である。ところが、これにはまたしても二通りの意味がある。一方では、食物・衣服・住居・そのために不可欠な道具など、生きるための手段の生産であり、もう一方では人間自身の生産、種の存続である。
追記
上でも引用させていただいたブログ『鳥籠ノ砂』の籠原スナヲさんからこの記事に対する応答がありましたので、この場を借りて応答したいと思います。
『これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性 - 鳥籠ノ砂』
http://sunakago.hateblo.jp/entry/2014/02/17/054408
籠原さんは上の記事の中で、柄谷行人は『トランスクリティーク』の時に「上部構造と下部構造の対立」、すなわち、幻想と物の間の対立を「脱構築してしまった」ことを指摘した上で、「物質的条件」に対する柄谷の拘りをロシア系の唯物論みたいな下部構造決定論と同一視するのは正確ではないと述べています。実際、柄谷行人の著作を読み返してみましたが、確かに籠原さんのおっしゃる通りだと思いました。たとえば、1978年の岸田秀との対談で、柄谷は、「幻想」と「物」について次のように語っています。
柄谷 フェテシュというのは物ですね。
岸田 物ですね。
柄谷 しかし、いわゆる物としてのものじゃない。以前にお会いしたとき、ぼくは岸田さんの「史的唯幻論」について多少文句をつけたことがありますけどね。それをいまくりかえしていうと、岸田さんは、それを「史的唯物論」に対立して考えておられるんだけども、ぼくは、マルクスの場合の「物」もいわゆる「物」じゃないと思う。逆に幻想といわれているものはどうかというと、あるものを幻想というためには、なにか幻想ではないものをはっきり持ってない限り、幻想といえないでしょう。つまり、自然科学なり生理学なりね。ニーチェにしても、フロイトにしても、幻想ということをいうときには必ず現実的な物をもってきている。
岸田 そうですね。幻想でないものを持ってきている。
柄谷 マルクスもそうですね。その場合にはたいがい十九世紀的な生理学あるいは物理学ですね。一応その場合のモデルになってるのは。しかし、本当に難しい問題というのは、物であるが物ではないような、また幻想がそのまま物であるような、そういう種類の物を扱うことじゃないか。たとえば幻想といっても、頭のなかにあるといった幻想じゃなくて、われわれが持っている幻想というのは、物よりももっと現実的なものですよね。
岸田 そうですね。人間にとって現実的なものとはすなわち幻想なのであって、われわれはそういう意味での幻想にしか接触を持っていない…。
どうやら柄谷行人は、「物」という語をかなり拡張した意味で使っているようです。ところが、僕の書いた記事は、柄谷が「物」に込めていた拘りをすべて局外に置いた上でロシア系の唯物論者が言う意味での「物質」と同一視してしまっています。この同一視が「物質的条件」に対する柄谷の拘りを不当に排除していたということになると、柄谷行人の「唯物論」の後継者として東浩紀を位置づけるというこの記事の時代解釈全体が問題になりかねません。その間違いがわかった今、この記事そのものを削除してあらためて書き直したい気持ちでいっぱいです。けれども、ブクマを付けてくださってる方も少なからずいらっしゃいますので、恥を忍んでこのまま放置することにしました。
籠原スナヲさん(id:suna_kago)へ
いつも刺激を受けながら読ませて頂いてます。このような駄文にお返事をいただき、どうもありがとうございました!
柄谷行人のあの独特な「物」の用法については、稿を改めて書きました。書いた瞬間に精魂尽き果ててしまったので今回の記事では「対幻想」云々までは踏み込むことができませんでした。遅くなってしまいましたが、↓の記事をもって籠原さんへの応答とさせていただきたいと思います。
関連記事
『柄谷行人と占星術』
http://rodori.hatenablog.com/entry/2014/05/25/162046
参考
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参考リンク
東浩紀×千葉雅也 新著『動きすぎてはいけない』をめぐるやりとり - Togetterまとめ
『フラクタル』 東浩紀「魔法少女まどかマギカはアキバ系狙い撃ちアニメ(笑)」 : にゅうにゅうす
注
*1:「産めよ、増えよ、地に満ちよ」 - 『創世記』9:1-17
*2:人口として構成された生きる人々に固有の諸現象、すなわち健康・衛生・出生率・寿命・人種といった諸現象によって統治実践に提起される諸問題を、18世紀以来合理化しようと試みてきたやり方のことをフーコーは生-政治と呼んでいる。
*3:『生きることを学ぶ、終に』の中で、ジャック・デリダはこの問題についてはっきりと自分の意見を述べている。
「もしわたしに立法権があれば、民法典と政教分離法から「結婚」という言葉と概念をあっさりと削除することを提案するでしょう。宗教的な、聖化された、異性愛的なー子を産むという誓い、永遠の貞潔さなどを伴ったー価値観である「結婚」というものは、世俗国家がキリスト教会に対して行った妥協の産物ですーとりわけその一夫一婦制において。これはユダヤ的なものでもイスラム的なものでもありません(結婚は前世紀にヨーロッパ人からユダヤ人に押し付けられたもので、マグレブのユダ人のあいだでは、数世代までは義務ではありませんでした)。この曖昧なもの、もしくは宗教的かつ聖化された偽善である「結婚」ということばと概念を削除して、性や数に拘束されないパートナーのあいだにおける、いわば一般化され、改善され、洗練され、しなやかで現状にぴったりあったパクス[pacs]である、契約で定められた「民事的融合」をそれに置き換えるべきなのです。[…]これはユートピアですが、そういうときはやってくると思います。」
-ジャック・デリダ『生きることを学ぶ、終に』P45-46
悪の凡庸さについて/映画『ハンナ・アーレント』を観る
イェルサレムのアイヒマン
悪の凡庸さについて
ハイデガーのナチス入党
ユダヤ人指導者たちによるホロコーストへの協力
アーレントの弁明
悪は根源的なものではない。
いやしくも真理を全うするためには、親しい者をも棄てるほうが一層よいことであり、またそうすべきだ、と考えられるであろう、とくに知を愛する人間である以上は。なぜなら、真理と友のいずれも親しいものではあるが、友以上に真理に尊敬の念をいだくことは敬虔なことなのだから。
*1
関連記事
↑の記事では、ハイデガーの『シェリング講義』について触れています。
参考
- 作者: ハンナ・アーレント,大久保和郎
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- 作者: マルティンハイデガー,Martin Heidegger,木田元,迫田健一
- 出版社/メーカー: 新書館
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注
*1:アリストテレス『ニコマコス倫理学』第1巻第6章1096a14
*2:「悪が事物の本質に属することはあり得ない。悪はただちに、有らぬものとしての正体を明らかにする。悪から逃れ、その境遇を変えようとする衝動は、悪からは決して切り離すことができないものだ。悪の内に、われわれは現実における矛盾を感じている。まことの本質だけが、純粋な意味で善く、かつ完全なものである。」
*3:同じような考え方を、『差異と反復(上)』のドゥルーズにも認めることができる。ドゥルーズによれば、人間だけが愚か=創造的になることができる。「愚かさは、動物性ではない。」動物は、自らを「愚かな存在にさせないそれ特有の形式〔本能=思考パターンの有限性〕によって保護されている。」
梅原猛の創価学会批判
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本書のちくま学芸文庫版には、『創価学会の哲学的宗教的批判』という評論が収録されています。タイトルからわかるように、創価学会の教えを一個の哲学とみなしてその内在的な批判を試みたものです。
残念なことに著者が仕事上で学会のお世話になってしまったため、この批判がこのあと展開されることはついにありませんでした。しかしながら、創価学会の教えを哲学的に批判する試みは現在に至るまでほとんどなく、その意味で非常に価値のある試みだったように思います。
梅原によれば、創価学会の思想には二つの大きな源流があります。
1.新カント派の価値論
2.日蓮の生命論
初代会長の牧口常三郎によって持ち込まれたのが1、二代目会長の戸田城聖によって持ち込まれのが2です。本書の前半では1が、後半では2が、それぞれ批判的に論じられています。
今日「創価学会」と言えば2の要素を私たちはイメージしがちです。しかし、そもそも「創価」とは「価値の創造」のことです。そのことを踏まえると、2に負けず劣らず1の要素が重要なものあることがわかります。
「真理」はあくまでも認識の対象であって評価の対象ではないと考えた牧口は、「真・善・美」を説いた新カント派の価値論から「真」を追放しました。そして、「真」の代わりに「利」を導入し、「利・善・美」の価値論を彼は説きました。
追放された「真理」はどこに行ってしまったのでしょうか?価値-評価作用の領域から切り離され、排除された「真理」は、認識作用の領域にすっぽりおさまることになりました。
真理 - 認識作用の領域
価値 - 評価作用の領域
梅原が批判するのはまさにこの二元論です。その成立の当初において「真理」を価値論の領域から排除してしまった創価学会は、自分たちが説く教説の当否を判断する自己批判の精神を失ってしまっている。創価学会がいまだに天台智顗の五時八教の教えや釈迦の入滅についての日蓮の教えのように現代の文献学からすれば非科学的でしかない教えに固執しているのは自己批判の精神が無いからだと梅原は手厳しく批判しています。
教義体系の中での「真理」の位置づけの当否はさておき、ドイツ観念論の系譜に連なる思想として創価学会のドグマを捉え直すというアイデアは非常にユニークだと感心しました。
真理と霊性/ミシェル・フーコー『主体の解釈学』1982年1月6日の講義のメモ
ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82)
- 作者: ミシェル・フーコー,廣瀬浩司,原和之,Michel Foucault
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『主体の解釈学』 1982年1月6日の講義
『主体の解釈学』は、ミシェル・フーコーが1982年に行ったコレージュドフランスでの講義録です。近代以前の人々にとって真理は主体に幸福をもたらすはずのものでした。ところが、近代以後、真理はそのままでは人間を幸福にすることができなくなってしまいます。どうしてこのような変化が生じたのでしょうか?この講義の第一講においてフーコーは霊性[spiritualite]をキーワードに真理を求める主体のあり方の歴史的変遷を記述しています。
前近代的な主体が真理に到達する条件
近代以前の人々にとって、主体は、そのままでは真理に到達する権利も能力もないものとみなされていました。確かに主体は生まれながらに物事を認識する能力を持っています。ところが、真理に到達するには認識だけでは十分ではないというのが当時の人々の常識でした。真理に到達するために主体がなすべき事、それは、自らを修正し、変形を加え、当初の自分とは別のものに変身することです。主体が真理に到達するために自らに加えるこうした諸々の変形作業の総体がフーコーの言う霊性[スピリチュリテ]です。
主体が真理に到達するために必要な変形を自身に加えるような探求、実践、経験は、これを「霊性[スピリチュアリテ]」と呼ぶことができるように思われます。
禁欲・魂の浄化・自己の放棄・まなざしの転換・経験の修正など、霊性[spiritualite]には多様な形態があり、主体はこうした霊的諸実践を通じて自分を変形することにより、はじめて真理に到達することができるのです。霊性とは言わば真理に到達する際に主体が支払わなければならないコストのようなものでした。そして、自己を変容させることに成功し、真理に到達することができた主体は、それまでに支払った対価と引き換えにさまざまな恩恵に預かることができました。自らを変形する労苦と引き換えに真理に達した主体が得ることができるこうした恩恵のことをフーコーは「真理の反作用」と呼んでいます。
真理とは主体に天啓を与えるものです。それは主体に至福を与えるものです。それは魂の平穏を与えるものなのです。
近代以降の主体が真理に到達する条件
かつて、真理に到達した時に主体が得ることできる諸効果、すなわち「真理の反作用」は、それに到達するために主体が支払った費用をはるかに上回るものでした。真理には、主体を幸福にし、救うことができる力がありました。ところが、やがて時が経ち、近代に入るとともに、真理と主体の関係もまたそれ以前とは異なるものに変容してしまいます。人々は今や「真理に到達することを可能にするのは認識であり、ただ認識だけである」と考えるようになります。主体は、他には何も要求されることなく、自らの存在を修正したり変容させたりする必要もなく、ただ自らの認識のみによって真理に到達することができると考えられるようになりました。
あの霊感の地点、あの完成の地点、主体が自らについて認識した真理の反作用によって変容するあの瞬間、主体の存在を変形させ、横断し、変容させるあの瞬間、こうしたすべてはもはや存在しえなくなりました。
近代以降の人々にとって、認識は、ただひたすらけっして完成することも終わることもない「進歩」の次元へと開かれました。近代の主体はもはやそれ以前のように霊性という費用を支払い、その見返りとして「真理の反作用」がもたらす啓示や魂の平穏といった至福を得ることもなくなります。人々が真理を認識することによって得る利益とは、せいぜい真理を見出すためにさんざん苦労したあげく、ようやく幾分なりともそれを見つけた際に生ずる取るに足らない心理的・社会的な利益にすぎなくなってしまいます。「真理は近代以降、そのままでは主体を救うことができなくなった。」ことが指摘され、第一講は締めくくられます。